「おい、カミノ、ちょっと来いよ」
 放課後、高山に会おうと職員室へ向かっていたぼくを、あの(、、)二人+五人の男子が止めた。学校から離れた廃屋の中へ連れて行かれ、一対七の“決闘”が始まった。
ニンゲンはこんなアンフェアなことをするんだな、とランドセルを放り投げながら思った。でも所詮十歳だ。ぼくの十年とニンゲンの十年とは大分、かなり、相当、違う。ぼくにニンゲンの動きはとても遅く感じるし、手や足をやたらめったら伸ばしてきたって怖くない。掃除機のコードがどこまで伸びるかわからないほうがよっぽど怖い。
 向かってくる小学生を丁寧に一人一人転がしながら、ニンゲンってなんなんだ、と思った。中年女性やオマワリサンみたいに優しくしてくれたり助けてくれたりするニンゲンもいれば、こいつらみたいにルールを無視して不条理でフェアじゃないことをするニンゲンもいる。家の中はきれいにしても外は誰もきれいにしない。そもそもあの人たちはぼくの外見が子供じゃなくても助けてくれたのか?どうして高山はこんな子供に振り回されているんだ?みんな種族が違うのか?同じニンゲンじゃないのか?わからない。ぼくにはわからない。
「おいカミノ、俺達の負けだ。許してくれ」
 教室でバッドを持っていたガタイのでかい男子が言うと、他のやつらも口々にごめんごめんと言い出した。
「俺は山中秀雄だ。お前、強いな」
 山中は傷だらけの顔で笑った。ぼくは拍子抜けしてしまったけど、仕方なく、まあね、と言った。
「おい帰るなよ、そこ座って、はいもう何もしないから」
 七人をぼくの目の前に座らせ、なぜ教師である高山の言うことに従わないのかと聞いた。
「別に、初めはしたくてしたわけじゃねーよ、ただなあ」
 そう言って、山中は隣の、田中と名乗った男子に目配せした。
「ただ、何だよ」
「リカがさあ、あいつのこと気に入らねえって言うからさあ。それに、やり始めたら案外おもしろくなったし」
「俺はどっちでもいいけどさ、やらないと殴るって山中が言うから」
 と隣の田中。パパの言う通り、何にでも原因があるということ、ニンゲンの子供は思考回路が単純すぎる、ということが本日の結論。
「高山って弱えーし」
「お前らの方がよっぽど弱いよ。先生はあの時お前らをボコボコにすることだってできたのに、それをしないでガラスの破片でぼくたちが怪我をしないように、って守ってくれたんだろ。お前らってほんとガキ」
「何だとカミノ!」
「だってそうだろ。女の言う通りに先生いじめて恥ずかしくないのかよ」
 七人が黙った。なぜか泣き出すヤツもいた。山中はふてくされたようにそっぽを向いている。でもぼくは思った。こいつらは本当はそんなこと、とっくにわかっていたんじゃないかって。
「ところで、リカって誰?」
「うちのクラスの女子だよ。学年で一番かわいい」
「お前、リカに気がつかなかったのかよ」
「わかんないよ。みんなガキすぎて区別つかない」
「言ってくれんじゃんカミノ」
 田中が笑った。山中も苦笑しながら坊主頭をかいている。
「知らないかもしれないけど、高山先生って実はめちゃめちゃ強いんだよ。リンゴや缶ジュースなんて親指と人差し指で潰せるし、素手で電話帳裂けるし、自転車なんて片手で持ち上げるし、両手なら一人でトラック押せるんだ」
 ぼくは研修で見た“世界びっくりニンゲンたち”がやっていたことを言った。
「嘘だろ?おい、あいつが?」
 七人は顔を寄せ合って囁いている。
「一回本気で怒らせたら、君たちの頭蓋骨なんて粉々」
「そんなことしたらよお、ピーテーエーが黙ってねーだろ」
「頭蓋骨粉々にされたら、PTAも何も関係ないと思わない?」
「っつーか、何でお前がそれ知ってんだよ」
「見たんだよ、ぼく。先生が溝にはまって動けなくなってたトラックを手で持ちあげて元に戻してあげたのを、さ」
「やばくねえ?つえーよ」
「まじかよ、こえーじゃん」
 ニンゲンのいいところは、素直なところだな、うん。
「コルアァ入るなと言っただろうクソガキがあ」
「やべぇ、ハゲタカだっ」
 割れた窓に、大きなハゲ頭がのぞいている。何だ?と思う前に七人がランドセルを持って一斉に走り出した。ぼくも七人のあとを追って廃屋の裏口から外へ出た。
 息が切れるまで走って、気がつくとまた学校に戻っていた。そこで七人とは別れ、帰路についた。
 ぼくよりあとに帰ってきた高山は、昨日の夜と同じように疲れた顔をして、でも愚痴の一つもこぼさずに黙々とご飯を食べている。パパもママもぼくには学校の様子を尋ねるけど、高山には話を振らない。昨日はわからなかったことが、今日は少し、見えたように思った。
 夕飯のあと、高山と二人でウーちゃんに餌をあげに行った。ウーちゃんはやっぱり無言で大根の葉っぱをむしゃむしゃ食べている。
「今日、怒鳴ってごめんな、コウタ」
「気にしてない。あそこで殴ったぼくが悪いし」
「それと、ありがとな」
「何が?」
「本当は、殴りたかったのは俺だ。コウタが山中と田中を殴ったところを見て、少しすっきりした。教師失格かな」
「お兄ちゃん、もっと怒っていいと思うよ?相手は子供だよ」
「子供のお前が言うなよ」
 昨日と同じように、高山は横顔のまま笑った。
「わかんないやつには、少しくらい脅した方がいいんだ。殴っちゃダメなら、机くらい叩いたら?」
「そうだな、優しすぎるって可菜子にも言われるんだ」
「可菜子って、彼女?」
「うん。今週の土曜日にうちに来るよ」
「ふうん・・・ねえ、お兄ちゃん、ハゲタカっていう名字あるの?」
「いろんな名字の人がいるけど、さすがにハゲタカなんてのはないんじゃないかな」
「じゃあ名前では?」
「名字よりもっとありえないなあ。そんな名前をつける親はいないだろう」
「じゃあハゲタカって何」
「人間のハゲ頭みたいに、頭部に毛のないタカのことだよ」
「・・・なるほど」

 次の日、学校へ行って“リカ”を探した。どの子が一番“かわいい”のか、やっぱりぼくには判断がつかない。大あくびをしながら教室に入ってきた山中に聞くと、女子の中心にいる髪が長くて色の白い、一番派手な服装の女子だとわかった。
 ニンゲンは心の中が外見に反映される不思議な生きものだ。しかし、ニンゲンの子供は本当の姿を見る目を持っていない。ニンゲン学ではその逆だと習った。
「お、おはよ、う。朝の会、を始めます」
 顔を上げ、男子がきちんと席についているのを見て、一瞬高山の動きが止まった。リカが異変に気付き、山中や田中を睨んだ。
「女子、自分の席に着きなさい」
 それでもリカたちは無視して話を続けている。
「席に着けと言っているだろう」
 高山が教卓を握りこぶしで叩いた。すると、教卓がミシミシと音をたてて壊れ、次いで壁掛け時計が崩れ落ちた。朝早く来て解体した甲斐があった。効果はテキメンで、ビビった男子が口々に、
「席に着けよ、やばいよ」
「早くしろよ、殺されるぞ」
 と女子に言ったから、ふてくされた顔をしながらも席に着いた。一番びっくりしていたのは高山で、自習しているように、と言い残して慌てて教室から出て行った。
「ちょっと、どういうつもりよ」
「うるせーな、もうやめたんだよ」
 リカが顔色を変えて山中に詰め寄ったが、山中は応じない。
「意気地なし!弱虫!最低!」
 リカが言うと、他の女子も同じようなことを連呼し始めた。何なんだニンゲンの子供(女)というものは。ニンゲン学では男が女を殴るのは最低の所業だと習ったが、よくニンゲン(男)は我慢できるな。ぼくが短気なだけか?それとも大人になるとパパみたいに優しくなるのか?
「意気地なしはお前だろ、リカ。高山にふられたからって腹いせに俺ら使うんじゃねえよ」
 何!?初耳だぞ、それは!リカは見る見る赤くなって、さっきよりももっと強く山中を睨んだ。耳まで真っ赤になって、目も口もつり上がってまるで別人だ。
「おっかねー、あの顔ひくわー」
 田中が俺に顔を近づけてつぶやいた。もしかして、力の弱い女子の、これが精一杯の威嚇なのだろうか?ニンゲンとは複雑だ。
 突然、リカがわざとらしいほど大きな声をあげて泣き出した。ポロポロと涙が頬を伝い、それでも何かわめいている。これはもしや、威嚇第二弾か?山中も明らかに狼狽して、何とかしろよ、と近くの男子の肩を小突いている。効果あるな、これは。ニンゲンの子供(女)は男を心得ている。
「いやー驚かせて悪かったね。今片付けるから、」
 高山が用務員の老年男性を連れて教室に入ってきた。泣いているリカを見つけると、
「どうした?どこか痛いのか?」
 といつものように優しく声をかけた。
「違うの、山中君が、」
 しゃくりをあげながら、リカは山中を指差した。指された山中は、俺何もしてねーよ、としどろもどろに弁解した。しかし高山は、
「女の子を泣かすなんて男として一番いけないな。里村に謝りなさい」
 リカは山中に対して怒っている高山を見ると、即座に泣き声を和らげ、指を絡ませ、先生。とつぶやきながら頬を桃色に染めた。目は大きく開き、心なしかキラキラと輝いている。これが“かわいい”というものだと、その時ぼくは理解した。ニンゲンの女子、恐るべし。そして山中、男って切ないな。
 放課後、山中と田中をハゲタカハウス(命名ぼく)に集合させ、明後日の土曜日に高山家へ来るよう命令した。今までのことで、高山は優しいが相手のことを思いやりすぎる、という性格を持つことがわかっている。GTを完成させるには、強い押しの一手が必要なのだ。
「何でお前んちに行かなきゃなんねーの。野球の練習があるんだよ」
「いいから来いよ。おいしい何かとかわいいウーちゃんが君たちを待ってるよ」
「ウーちゃん?何それ、食うの?」
「・・・食べないよ」