それでも、会社の電話には彼から時折連絡がある。といっても、自社のCMやイベントへの出演を仕事としている彼が、物流資材部で働く私に仕事上の用件などあるはずもなく。仕事で広報課の担当者とやり取りをした後、毎回私に電話を回すようにお願いしているらしかった。お陰で、社内に変な噂が出回ったことは一度や二度ではない。否定し続けるのも怪しまれるため、最近ではすっかり放置しているものの、毎回彼からの電話に出るときは、周りに気付かれないよう、ビジネスライクな受け答えを心がける。
『どうも、三大会連続でオリンピック出場を決めた、稲地君です。』
『それは、おめでとうございます。』
『相変わらず、つれないねえ。でも、そんなところが魅力だよ、マイハニー。』
『…ご用件は?』
『今度こそ、金メダル取るからさ。約束どおり、リオまで応援に来てよ。』
『あいにく、そのようなお約束をした覚えはございませんが。』
『えー?だめ?じゃあさ、会社でやるパブリックビューイングで応援するとかさ。』
『申し訳ありませんが、繁忙期のためお約束致しかねます。』
『“彼女”なのに、来ないの?』
『お掛け間違いではありませんか?そのような事実はございません。』
『でもさ、これが最後のチャンスかもしれないんだ。恥ずかしいなら、一人で家でテレビの前からでもいいからさ。』
『だから、関係ないって言って……』
痺れを切らして、周りを気にしながらも、ようやく上げた抗議の声は彼の囁くような甘い声に遮られる。
『遙が応援してくれれば、今度こそ金メダル取れそうな気がするんだ。』
そんな甘ったるい言葉で私を惑わすなんて、卑怯だ。
いつだって私は、稲地君そんなひと言で勘違いしかけるのだ。
そう自分を強く戒めながらも、泣き落としのようなひと言に、心が揺れたのは否めない。