受話器の向こうのちょっと低くハスキーな声を聞いた途端、
さっきまで私を襲っていた睡魔はぶっ飛び、またも驚きに変える。
伊吹「もしもし……」
向琉『あっ。もしもし。ニキです』
伊吹「えっ(焦)なんで!?
それに……どうして私の携帯知ってるの!」
向琉『あぁー。悠大に聞いた』
伊吹「だから、なんで!?」
向琉『君、遠藤教授のこと好きなの?』
伊吹「はい!?
そ、そんなこと、どうしてあなたに言わなきゃいけないのよ」
向琉『じゃあ、悠大のことは。
もしかしてあいつと遊ぶつもり?』
伊吹「あ、あのね。なんで私がユウくんと遊ぶの」
向琉『じゃあ、本気であいつと付き合うんだ』
伊吹「あのさ、いきなり人の携帯に電話してきて、
まるで刑事の尋問みたいにあれこれと!
私が誰を好きで誰と付き合おうと、あなたに関係ないでしょ!?
それよりもあなたが私に電話してきた意図は、
いったいなんなのよ」
向琉『惚れたから』
伊吹「は、はい!?
ほ、惚れたって誰に!」
向琉『あんこうに』
伊吹「はぃ!?
(私!?……っていうか、私はあんこうじゃないわよ!)
あなた、私に惚れたって言ってる!?」
向琉『そう言ってるけど』
伊吹「あの。もしかして私をバカにしてる!?
会ってからこれまでのあなたの言動をみると、
どう考えても私に好意的とは思えないんだけど」
向琉『それは君の偏見だろ。
僕はバカにもしてないし、好意がないとも言ってない』
伊吹「だ、だけど(焦)
普通は気持ちって態度に現れるじゃない。
好きな人には優しく接するとか、
嫌われないようにするとかね」
向琉『君が言ってる普通って、意味がわからないな。
それに優しいからって、
そいつが誠実で好意的かどうかなんてわからない。
そんな考えだから、
男に利用されるあんこうみたいになりやすいって言ったんだ』
伊吹「はぃ!?」
向琉『悠大から今度の日曜日のことで電話あると思うけど、
僕は行くつもりだから、君には先に伝えておく』
伊吹「ん。日曜日?
あぁ。あのこと……」
今度の日曜日のこととは。
この間の合コンの帰り間際にユウくんの提案で、
今度の休みにトリプルデートしようという約束をしたのだ。
飲んで話してる間に、何故か自然と沙都ちゃんとナイトさん、
私とユウくんとカップルが出来上がっていた。
ニキさんに一目惚れの姫は、
黙ったまま最後までニキさんの横にぺったりとくっついていた。
その時の雰囲気と流れで、
不思議に違和感は感じなかったのだけど、彼は不服そう。
伊吹「あのね、姫はあなたを気に入ってるの。
それはニキさんだって彼女の態度を見てて分かってるでしょ」
向琉『まぁ。なんとなくは』
伊吹「それに私は、
ユウくんとこれからいろいろ知っていこうって、
お互いの連絡先を交換して話して帰ったの。
なのにあなたから“惚れた”なんて、
電話でいきなり言われても困るのよ。
とにかく。姫のこと泣かしたら承知しないからね」
向琉『姫奈さんのことは無下に扱うつもりはないけど、
勝手にカップル成立させてる意味が僕には理解できないな」
伊吹「えっ」
向琉「たった何時間か鍋を囲んで話しただけで、
どうしてそんなに簡単に相手を決めてしまうかがわからん』
伊吹「それはフィーリングってもんでしょ。
最初に感じた気持ちよ」
向琉『だから僕は、
最初に感じた気持ちで君に惚れたって言ってる。
それに君があの時、僕に言ったんだぞ。
『私のことよく見てどんな人間なのか知ってから言え』って」
伊吹「えっ……」
向琉「とにかく僕は伝えたから。
じゃあ、日曜日にな』
伊吹「ちょ、ちょっと(焦)
くっ。さっさと言いたいことだけ言って切ったわね!
はぁ。どうしよう。日曜日……」
彼は淡々と自分の思いを伝えると直様電話を切ってしまった。
一方的な仁木向琉の突発告白で、自分のペースを完全に崩された私。
心臓のドキドキは電話を切った後も続いていて、
耳に残る彼の『惚れたから』というセリフが、
繰り返し脳内を反響し駆け巡っている。
その夜、ニキさんが言ったようにユウくんから電話があり、
私は日曜日に逢うことに同意した。
その翌日の夕方。
いつもの帰り道。
筆とパレットを持って、絵を描いている冬季也さんの後姿を捉える。
私の心は川のせせらぎを聞いているかのようにリラックスしていた。
彼の穏やかで優しい光景を見ているだけで、
ホッと癒されて自然と顔が綻んでくる。
(東京、荒川河川敷)
伊吹 「こんにちは」
冬季也「やぁ(笑)おかえり。
今日は元気な1日だったかい?」
伊吹 「えっ。は、はい。
あの、冬季也さんは今日もいいの撮れました?」
冬季也「ああ。今日はね、
アオサギが魚を捕ってるところが撮れたよ。
そうそう!それとチョウゲンボウが撮れたんだ」
伊吹 「わぁー。すごいな」
冬季也「だろ?あれはきっと番いだな。
2羽が大きな翼を広げて水面ギリギリを飛ぶんだ。
そのあとはずっと空を優雅に舞ってたな」
伊吹 「うふふっ(笑)なんだか冬季也さんったら子供みたい」
冬季也「そうだね。本当に頭ん中は子供だよな。
野鳥のことになると、どうしても剥きに話しちゃうね」
伊吹 「でもそこが、冬季也さんの素敵なとこなんですけど」
冬季也「僕が素敵?そうかなー。
そう言ってくれるのは伊吹ちゃんだけだよ」
伊吹 「もう。私だけってことないでしょ?
(はい、またきました。このパターン)
あの、冬季也さん。
実は……相談があるんです。
ちょっとあることで悩んでて。
良かったら冬季也さんの意見聞かせてもらえたら」
冬季也「ん?それはどんなことかな。
僕で役に立つことなら、遠慮せずになんでも言って?」
伊吹 「はい。あの……」
彼は持っていた筆とパレットを、
木製の画材バッグの上に置いて私に微笑んだ。
そしてしっかり私と向い合わせになり聞く体制になっている。
私は破裂しそうなほどドキドキする胸をぐっと押さえ、
意を決して話しだした。
伊吹 「これは私じゃなくって、
と、友達の悩みなんですけど」
冬季也「うん」
伊吹 「冬季也さんならどうしますか?
今までまったく意識をしていなかった人から告白されたら」
冬季也「告白かぁ」
伊吹 「自分の心にはずっと好きな人が居て、でも片思いの恋で、
見向きもしてもらえないって自覚してるんです。
そんな時に突然思ってもいなかった人に、
『惚れてる』って告られたら、片思いの人を諦めて、
惚れたと言ってくれる人に決めますか?」
冬季也「えっ(苦笑)
それはまた、難しい問題だね。
んー。そうだなぁー。
僕ならどうするだろう……僕なら、
もう一度片思いの相手に自分の想いを伝えて、
どうしても実らない恋なら新たな恋をスタートさせるな」
伊吹 「実らないなら、新たな恋……」
冬季也「だって。
気持ちは伝えなきゃ、ずっと後悔するからね。
ただ、僕なら『惚れた』って言ってくれた人に決めて、
一緒に過ごすかどうかはわからないな」
伊吹 「えっ。何故ですか?」
冬季也「きっとその人を傷つけてしまうからかな。
フラれてすぐ切り替えられるくらいの想いなら、
初めから想い悩むこともないだろう。
人を好きになるって、そんな容易いことじゃないだろ?」
伊吹 「ええ……そうですね」
冬季也「そのまま流されて一緒に過ごすことを選んだら、
きっとその『惚れた』って言ってくれた人に、
片思いの人への想いを投影しちゃうんじゃないだろうか」
伊吹 「投影……」
冬季也「あの人なら自分に接してくれる時はこうかもしれない。
抱きしめてくれる時はどうだろうなってね。
飲むコーヒーの銘柄や食べる物までもそんな想いを巡らせる。
失恋で傷心しきった自分をその人に癒してもらうってことでしょ。
それって『惚れた』って言った相手にとったら酷な話だよね。
僕の言ってる意味わかる?」
伊吹 「え、ええ。わかります」
私ったら何やってるんだろう。
こんなこと冬季也さんに聞いて何の解決になるの。
いつものようにただ彼の言葉に一喜一憂して、
心が空しいだけなのに。
私のわがままでしかない質問を、
真剣に諭すように応えてくれる彼。
またも一語一句に神経は張りつめて、
自己嫌悪を体中に感じどんよりする。
でも、ある言葉が冬季也さんから出たことで、
今がチャンスかもしれないと思った。
冬季也「もしかして、その話の当事者って友達じゃなく、
伊吹ちゃんじゃないの?」
伊吹 「えっ……なぜそう思うんですか?」
冬季也「実は同じシチュエーションをね、
以前親友に相談されたことがあったから」
伊吹 「あっ」
私は極度の緊張から発生した生唾をごっくんと飲み込み、
ここぞ!というこの瞬間で、ある言葉を口にした。
フラれるのを覚悟で。
伊吹 「冬季也さんの仰る通りで……
その悩んでいる友達っていうのは、私です」
冬季也「そう(微笑)
こんな鈍感な僕に意見を求めるくらいだから、
すごく悩んでるんだね」
伊吹 「そんな。鈍感なんて……私。
その人に会った時から、4年間ずっと想い続けてきました」
冬季也「そう。4年は長いな。
でも、その彼に想いは告げたほうがいいよ。
もしかしたら片思いじゃなくて、
彼も伊吹ちゃんと同じように、
密かに想い続けてるかもしれないよ」
伊吹 「そうでしょうか」
冬季也「うん。
どちらにしても、素直に気持ちを伝えなきゃ前に進めない。
まぁ。フラれて傷つきたくないって、
臆病になる気持ちも分かるけどね」
伊吹 「はい……だったら、彼に告白します」
冬季也「うん。それがいい。
そうすれば自分の進む道が自ずと見えてくるよ」
伊吹 「私の、私の片思いの人は……冬季也さんなんです」
冬季也「えっ。僕!?」
伊吹 「はい。
私、4年前ここで冬季也さんと出逢ってからずっと、
ずっと好きでした。
私の片思いの人は冬季也さんです」
冬季也「伊吹ちゃん」
私の突然の「好きです」宣言に、吃驚した冬季也さんの表情。
オレンジ色の夕焼けは、
私と冬季也さんにスポットを当てるかのように輝き、
鳥が戯れ揺れる水面をキラキラと光らせた。
照らされてできた二人の黒く長い影法師は、
緑と土の小道に優しく写っている。
でも、そこにもうひとつ、
黒い影が私たちと並ぶように近づいてきた。
その影は……
私達を見て呆然と立ち尽くす仁木向琉のシルエットだった。
(続く)