(墨田区東向島、悠大のマンション)


半開きの窓に凭れて立っている礼服姿のニキさん。
そしてそこには、微笑みソファーに座る舞香さんの姿もあって、
恐怖感から私は震える手で傍にいた姫の腕を掴んだ。


伊吹「姫、ユウさん。
  これは、どういうことなの」
姫奈「伊吹、ごめん。
  ニキさんとユウから言うなって言われてたから」
伊吹「そ、そんな」
悠大「伊吹ちゃんはアダムとじっくり話すべきだと思う。
  あれ以来、俺たちとはもちろん、
  姫や沙都ちゃんとも交流を避けてたみたいだしね」
向琉「僕がここに居るって知ったら、君はまた逃げただろ?
  人の結婚式まで乱入しといて、黙って去っていくなんて卑怯だぞ」
伊吹「それは……たまたま通りかかっただけで乱入なんてこと。
  そ、そのことでニキさんが、ここに居るのなら謝ります。
  お二人の大切な時間を邪魔してしまって、すみませんでした」
舞香「伊吹さん。私は舞香と申します。
  私がこちらへお邪魔したのは、伊吹さんに謝罪してもらうためじゃないの。
  貴女にどうしても会って話したいことがあったからなのよ」
伊吹「えっ」
舞香「それで結婚式の後、会わせてほしいって無理矢理頼んだの。
  向琉は嫌がってたけど」
伊吹「そ、それはそうでしょう。
  私はニキさんに嫌われてるし。
  それに舞香さんを大切に想ってるから、会わせたくはないでしょう」
向琉「はぁーっ。
  本当に君って人は、どうしていつもそうなんだ。
  いつ僕が君を嫌いだと言った?
  どうしていつも事実を聞かず、何でも決めつけるんだ」
伊吹「だって!ニキさんはあの日、
  鴻美さんのことがあった日。
  電話が鳴って誰かと話した後、私をおいて無言で帰ったじゃない!
  私が舞香さんのことを聞いても、何も答えずそのまま」
向琉「そのことに関しては、あの場で否定したはずだ!」
伊吹「でも!何もないなら答えられるはずでしょ!?」
向琉「警察が居て、あのごった返した状況で、
  当事者のあの女が傍に居たんだ。
  話せるわけがないだろ!
  僕たちは命を狙われかけたんだぞ!」
悠大「おい、アダム落ち着けって」
伊吹「あの日からそれっきり連絡もなくなったじゃない。
  それはニキさんの心に、舞香さんの存在があったからでしょ」
向琉「何を馬鹿なことを」
伊吹「知られたくないことを鴻美さんに暴露されて、
  誤魔化せなくなって、それで連絡できなかったのよね」
姫香「ちょっと、イブ」
向琉「あのさ。
  君は全く事実が見えてないし、何もわかってない!
  あの時もそうだっただろ。
  僕が一言でも君にそんなこと言ったか!?」
伊吹「でも好きなのは私じゃなく、舞香さんなんでしょ!?
  だから今日彼女と結婚式を挙げたんでしょ!?」
向琉「僕が結婚するわけないだろ!
  僕が好きなのは、伊吹さんなんだぞ!!」
伊吹「……」
向琉「あっ。(し、しまった)」
悠大「まったく。お前らは(笑)」
伊吹「何血迷ったこと言ってんの!?
  舞香さんが目の前に居るのよ!」
舞香「うふっ(笑)向琉ったら、変わってないな。
  そんな怖い言葉で告白したって、伊吹さんが委縮しちゃうでしょ。
  私が先に話すんだからちょっと黙っててよ」
向琉「うっ……」


舞香さんから強い口調で抑えられたニキさんは、
格好がつかなかったのか、窓を開けると無言でバルコニーへ出てしまった。
空気を察したユウさんも、彼の追うようにバルコニーへ出る。
私はニキさんの言葉で呆気にとられ、
何が本当で嘘なのか、この場の状況が把握できずにいる。
舞香さんは立ち上がり、茫然と立ち尽くす私を座らせて言った。
姫はキッチンに入り洗い物を始め、
そして時折、私たちの様子を気にかけながら見守っている。


舞香「向琉って頑固でしょ。
  言い合いになると絶対に引かなくて(笑)」
伊吹「あの、舞香さん。
  今日は本当にすみませんでした。
  ニキさんったら、式まで挙げてるのに何を言ってるのかしら。
  私は、貴女やお友達にひどいことをした鴻美さんのことを庇って、
  ニキさんのお兄さんのことも侮辱したんです。
  もう、貴女たち夫婦に近付いて迷惑をかけることは」
舞香「私たち夫婦って、もしかして向琉と私のこと言ってる?」
伊吹「え、ええ」
舞香「あははははっ(笑)
  伊吹さんったら。
  貴女、大きな勘違いをしてるわ。
  向琉が私の夫なんてありあえないもの」
伊吹「えっ。でも、式場の階段でブーケ・トスしたあと、
  ニキさんとハグしてキスまで……」
舞香「あぁ。あれ、見られちゃったんだ」
伊吹「はい……
  舞香さんは、私と洋佑が大切な式の邪魔をしてしまったから、
  その件で来たのでは」
舞香「えっ?確かにあの時はびっくりしたし、
  式の参列者も式場の人も半パニック状態だったけどね」
伊吹「ご、ごめんなさい」
舞香「でも、それも式の良いスパイスになったわよ」
伊吹「はぁ……」
舞香「私がここにきたのは、
  向琉が貴女のことですごく動揺してたから」
伊吹「……」
舞香「それに式が終わって、遠藤さんの話を向琉に聞いたのもあるわ」
伊吹「(洋佑、ニキさんに何を話したの)」
舞香「伊吹さんが何故私と向琉が結婚するなんて思ったのかわからないけど。
  頑なに結婚式の招待状を受け取らず出席しないといってた向琉が、
  二か月前に翔琉さんに招待状をもらい、
  はがきを持ってうちを訪ねて来たの。
  そして何をいうかと思えば、
  今までのことは水に流して私たちを祝福したいって」
伊吹「えっ」
舞香「何故急にそんなことを言うのかって、主人の瀬斗が理由を聞くと、
  本気で好きな人ができたからだって言ったの。
  恋愛に奥手な向琉がそんな風にいうなんてびっくりだったわ。
  それでどんな人なのか見せてって二人して無理矢理せがんだら、
  見せられた写真が伊吹さん、貴女だったの」
伊吹「えっ。私……」
舞香「仲直りの証に向琉には瀬斗のベストマンをお願いしたわ。
  本当は彼に、私のブライズメイドをお願いしたかったんだけど、
  どんなに頼まれてもそれだけは嫌だって言われちゃった(笑)」
伊吹「あの、舞香さんの旦那様って……」
舞香「ああ(笑)
  向琉の親友で、向琉のお兄さんの翔琉さんや冬季也さんとも幼馴染。
  私。いろいろあった時、ずっと瀬斗に相談に乗ってもらってたのよ。
  それから彼を好きになって付き合うようになってゴールイン。
  それもできちゃった婚でね」 
伊吹「で、でも。
  ニキさんは舞香さんとの結婚を考えてたんでしょ?」
舞香「そうね。
  確かに昔は考えてたみたいでプロポーズされたこともあったけど、
  鴻美さんと翔琉さんのことが発覚して、
  向琉が兄弟喧嘩になったのがきっかけね。
  私たちの仲までおかしくなって結果、私が思いきり彼をフッたのよ。
  私の赤い糸を握っていたのは向琉じゃないの」
伊吹「舞香さん」
舞香「伊吹さん、向琉とはもう過去の話なの。
  だから私に遠慮したり、向琉から逃げたりしないでね。
  意地を張らずに素直に彼と向き合ってあげてほしい。
  精神的にタフそうには見えるでしょうけど、
  すぐ強がちゃうし、案外寂しがり屋なの。
  彼から逃げだした私がいうのも変な話だけどね(笑)」
伊吹「舞香さん……」
舞香「私、瀬斗と一緒に居れて今すごく幸せなの。
  だから伊吹さんも向琉と幸せになってね」
伊吹「ありがとうございます。舞香さん」


舞香さんは私の手をとってニッコリと微笑む。
彼女の慈悲深い優しさに私は涙が溢れた。
それから私に鴻美さんと一緒にいた3カ月間の出来事と、
何故ニキさんとの別れを決意したのかを話してくれたのだ。
暫くして、舞香さんはリビングに入ってきたニキさんと話した後、
ユウさんと姫に挨拶をかわし、
迎えにきてくれた旦那様と満面の笑みで帰っていった。



舞香さんを見送りにいったニキさんは、
リビングに入ってくるといきなり、着ていた礼服の上着を脱いだ。
ネクタイを外し、カッターシャツの袖をまくりあげながら、
私の傍にやってきてくると、
力強く手首を掴んですたすたとバルコニーに向かう。


伊吹「ニキさん、何!?」
向琉「ちょっと」
伊吹「ちょっとって何」
向琉「いいから!こいって」


(悠大のマンションバルコニー)


不器用に振る舞うニキさんと私の姿を見て、
ユウさんと姫は含み笑いをしている。
私は、引っ張られるようにバルコニーへ連れ出された。
微かに感じる街の雑踏音を聞きながら、
夜の風に吹かれてまたも向かい合わせになった私たち。


伊吹「なんなの?」
向琉「……」
伊吹「ニキさん」
向琉「僕は君を泣かせてるの?」
伊吹「えっ」
向琉「遠藤さんから言われたんだ。
  僕が泣かせてるって」
伊吹「そ、それは、ニキさんから連絡がなかったから、
  もう駄目なのかと思って……
  あの時の件でギクシャクしてたし。
  何を洋佑に言われたか知らないけど、私は」
向琉「彼女の結婚式が終わってから連絡をするつもりだった。
  君に問われて何も言い返さなかったのは、
  過去の自分にけじめをつけてから話したかったからだ」
伊吹「ニキさん。
  それならそれで、ちゃんと理由を聞かせてくれたら」


言いかけた瞬間、彼は私の腕を取り自分の胸に引き寄せて強く抱きしめた。
あの時と同じ。
動物園で見せた優しさ、新日本橋駅の裏路地で感じた力強さ。
ずっと触れたいと願っていた彼の温もりに包まれて、
私は伝えようとした言葉を忘れてしまった。



向琉「ナイトの家に向かう車の中で、僕に言った言葉覚えてる?」
伊吹「えっ」
向琉「初めて会った時、僕を見て本当は感じてたって。
  “アダム”ってニックネームを聞いてすごく気になって、
  もしかしたらこの人がって、本当は感じてた。
  今だから素直に言える。私も初めからニキさんが気になってたって」
伊吹「うん……覚えてるよ」
向琉「今だから僕も素直に言える。
  初めて会った時、伊吹さんを見て本当は感じてた。
  “イブ”ってニックネームを聞いて、すごく気になって、
  もしかしたらこの女性が僕の隣に居る女性かもって本当は感じてた。
  悠大や冬季先輩、遠藤さんの存在が僕の心を掻き立てて、
  悔しいけど、あの女が現れてからどんどん君が大きくなっていった。
  もう歯止めがきかないくらいに」
伊吹「ニキさん」
向琉「伊吹さん、大好きだよ。
  もっと早くにこうしたいと思ってた」


私の中でずっと我慢していた何かがパン!と弾けて、
あまりの嬉しさと触れることができた安堵感から涙が溢れる。
それと同時に、先ほど舞香さんから言われた言葉が頭をよぎった。


『意地を張らずに素直に向琉と向き合ってあげて…』


伊吹「私も……ニキさんが大好き。
  私もこうなりたいと思ってた。
  ニキさんのこと、私のアダムだったらいいって思ってた。
  これからはずっと貴方の傍に居るから」
向琉「伊吹……」


ゆっくり彼の顔が近づいてくると、
ニキさんの柔らかい唇は優しく私の唇に触れた。
さっきまで聞こえていた街の雑踏が、瞬間静かになり、
頭の中で、ニキさんとの間に起きたこれまでの出来事が走馬灯のように蘇る。
ニキさんを感じれば感じるほど私の頬が熱くなって、
ふたりの心と身体は今にもとろけそうなほど熱くハートは高鳴っていった。
ここがユウさんのマンションだということも忘れてしまいそう。
スローモーションのように離れた私たちは、
微笑み見つめ合い、アイコンタクトで愛の言葉を交わした。
私に捕りついていた冷たい氷の壁は、
彼の温もりで少しずつ溶かされ、眠りから覚めた恋するハートは、
真っ赤に熟れた果実のように色づいていったのだ。

(続く)