何度思い返しても、ニキさんが激怒するのはごもっとも。
でも、鴻美さんの心の底に眠る憎しみの元を断たねば、
また誰かが傷つき、彼女自身も悲しい罪を重ねるだけ。
そう考えると、どうしてもニキさんに連絡することができなかった。
私はほーほーと鳴きながら地面をつつく鳩の群れをぼんやりと見つめ、
思い出しては小さく溜息をついた。


(東京、荒川河川敷運動公園)


沙都莉「ちょっと、イブ!何ぼーとしてんの?
   それにさっきから何度も溜息ついちゃって」
伊吹 「ん?あぁ、沙都ちゃん、何の話してたっけ」
沙都莉「もう(笑)人の話、何も聞いてなかったの?」
伊吹 「ご、ごめん」
沙都莉「まったく(笑)いいわよ。
   それはそうと、ニキさんから連絡は?
   あれからまったくないの?」
伊吹 「うん。ない。私からもしてないし」
姫奈 「それって、もしかして私のせい?
   私のことで鴻美さんと会ったから」
伊吹 「何言ってるの(笑)
   違うわよ。姫はまったく関係ない。
   私が鴻美さんのことで、ニキさんのお兄さんを罪人扱いしちゃったから、
   だからきっと……きっと私は嫌われたのよ。
   身内のこと悪く言われたら誰だって怒って当然だし。
   それに縋って鴻美さんを助けてって言っちゃったんだもん。
   長い間のニキの苦悩を知ってたのに、私ったら」
姫奈 「イブが鴻美さんを庇ったのは、
   ニキさんのお兄さんが酷いことしたって聞いたからでしょ?」
伊吹 「うん。それにお母さん思いだって話を姫から聞いて、
   そんなに悪い人じゃないって感じたから。
   彼女、去り際に微笑んで『真相を聞きなさい』って言ったの。
   鴻美さんのあんな優しい目、初めて見たわ」
沙都莉「しかし同じ女として許せないな。
   いくらニキさんのお兄さんでも、恋人を裏切った上に、
   自分を好きだっていう女性を弄んだわけでしょ?
   ストーカーされても自業自得だと思うわ」
姫奈 「うん。そう言われたらそうだよね。
   たださ、多くの第三者を巻き込んだわけだからどっちもどっちよ。
   私も今回のことはいい勉強になったなぁ」
伊吹 「姫、本当にごめんね」
姫奈 「もう!気にしてないって(笑)
   今回の件で脱皮させて貰えたなって思ってるのよ。
   それより何より、イブがニキさんと仲良くしてくれないと、
   私が笑って新たな恋を進められないじゃないのー」
沙都莉「ん?姫ちゃん、新たな恋って、
   もしかして良い人できたの?」
伊吹 「えっ(驚)姫、ほんと!?」
姫奈 「うん!そうなのよねー。
   機転が利いて頭が良くて強くて硬派で」
沙都莉「へー。その人ってどんな人?かっこいい?」
姫奈 「うん、そうねー。細マッチョのイケメンかなぁ。
   ツンデレでいつもは無愛想な感じだけど、優しいとこもあって」
伊吹 「姫、あんたいつの間にそんな人と出逢ったわけ?」
沙都莉「ねぇねぇ、姫ちゃん。
   もったいぶらないで言いなさいよ!
   なんていう人?写真持ってたら見せてよー」
姫奈 「写真ね。うん!いいわよ(笑)」


姫は携帯を取り出し、満面の笑みで画像を開くと、
私たちの前に画面が見えるように携帯を翳した。
私と沙都ちゃんはその写真を見て顔を見合わせ、
同時に同じセリフを叫んでしまったのだ。


沙都莉・伊吹「えっ……ユウさん!?」
姫奈 「うん!」
伊吹 「ユウさんといつの間にそ、そんな関係に!?」
姫奈 「1か月前くらいかなぁ。
   私からデートに誘っちゃって。
   お互いのこと話してたら、なんか意気投合したっていうかね。
   彼、軍オタだけど、
   すごく男らしくて頼もしい人なの。紳士だし」
沙都莉「軍オタって?」
伊吹 「軍事オタクの略よ。
   (あぁー、あの日のユウさんを見てるからなんとなく分かるわ)」
沙都莉「あぁー」
姫奈 「ほらっ!私ってジェイソン・ステイサム、大好きでしょ?
   彼もファンなんだって!」
沙都莉「ナイトのやつ、何も言ってなかったわよ」
姫奈 「だって、今初めて二人に話したんだもん。
   ナイトさんも知らないよ」
沙都莉「そうなの」


吹っ切れたように笑顔で語る姫の顔を見て、私は内心ほっとした。
これで本当に蟠りなく今まで以上に友情を深められる。


姫奈 「イブ、いいよね。
   私、ユウさんを好きになっても」
伊吹 「えっ」
姫奈 「私ね、ユウさんから言われたの。
   ユウさんがイブのこと好きになったのは、
   絶対的信頼があって惚れ込んでる親友のニキさんが、
   友情と天秤にかけるくらい素敵な女性だったからだって」
伊吹 「……」
姫奈 「『姫ちゃんも、伊吹ちゃんを信頼して惚れ込んでるだろ?
   伊吹ちゃんに惚れてるアダムだから、
   あいつのこと好きになったんだろ?』って真剣な顔で言われて。
   なんだかやに説得力あったんだよね」   
沙都莉「姫ちゃん、変わったわね。
   しっかり女してるじゃん」
姫奈 「そうなの(笑)
   私、鴻美さんと過ごしたことで女に目覚めたの。
   イブのこと好きなユウさんを私が口説いちゃったけどいいよね?
   これでお相子でしょ?」
伊吹 「姫……」
姫奈 「だから!イブはもうユウさんには向かえないんだから、
   ニキさんと仲良くしなきゃいけないのよ。いい?」
沙都莉「でもさ、その前に!何て言ったっけ?
   さっき言ってた女のこと」
伊吹 「舞香さん」
沙都莉「そうそう。さっきその話をしてたんじゃない。
   イブがぼーっとしちゃってたから話逸れちゃったけど」
姫奈 「その人がどんな人なのか突き止めないとね。
   ニキさんに限って、まさか二股ってことはないと思うけど」
沙都莉「わかんないわよ。鴻美さんとの関係も怪しいかもよ」
伊吹 「えっ!?」
姫奈 「それは違うんじゃない?」
沙都莉「だってさっきの話じゃ、
   鴻美さん、あの日ニキさんに親しげに言ってたんでしょ?
   『私が良い人間な訳ないわよね?ねぇ、仁木』とか
   『あら、知らなかったの?仁木、話してやったら?』って。
   そうなんでしょ?イブ」
伊吹 「う、うん。ニキさん、彼女に言わせないように怒鳴ったし」
姫奈 「そういうことも考えられなくはないけど、
   彼は、イブに過去の話を聞かせたくなかったからじゃないの?」
沙都莉「まぁ、何はともあれ!
   その舞香って人のこと、私もナイトから聞き出してみるから、
   姫ちゃんもユウさんにそれとなく探り入れてみて?」
姫奈 「うん、分かった。そうしてみる。
   イブは、いつまでもつまんない意地張ってないで、
   近いうちにニキさんと連絡取るか逢って話さないとね。
   事実を知ってるのはニキさんしかいないんだからさ」
伊吹 「う、うん」


姫、沙都ちゃんと爽やかにわかれた後、
私はどうしても舞香という女性の存在が気になって、
まっすぐ家には帰らず、唐突にもニキさんの家に行ってみることにした。
いつもの通勤ルートである荒川の土手を歩き、
冬季也さんのバードウォッチング場所を過ぎて、
ニキさんと冬季也さんの住むマンションに向かった。


マンション前に着いたものの、聳え立つ建物を見上げると急に怖気づく。
何とか勇気を振り絞り、エントランスには入ったけれど、
肝心のインターフォンを押すことができない。
武者震いする体を両手で押え、ぶつぶつと独り言を呟きながら、
私は檻に入れられた動物のようにその場を行ったり来たりしていた。
ずっと気になっている二人の女性のうちのひとり。
ニキさんに関わる女性、舞香さんの存在が私を別人に変える。


伊吹 「私が今訪ねたら、ニキさんは舞香さんと一緒に居るかも。
   (そしたら…鴻美さんと同じ気持ちになるかもしれない。
   私、行かない方がいいのかな。
   でも、行かないと悶々と考えてしまう。どうしよう。
   冬季也さんと一緒なんだから、きっと彼女は居ないはずよ。
   だけど、あれから2か月経ってるし、
   状況が変わってて、冬季也さんも一人暮らししてるかも)
   どうするの、私……」

この場所に居れば居るほど、一秒一秒腕時計が時間を刻むほど、
複雑な感情を静める方法が見つからず、自覚症状はもっと酷くなる。
やり場のないハートは、胸の奥でざわざわして息苦しく、
無意識に何度も漏れる大きなため息と、バクバク波打つ鼓動。


辺りはだんだん薄暗くなってきて、次々に街頭がつき始めた頃、
どちらにも決断を出せない自分が無性に腹立たしなってきた。


伊吹 「もう!私、こんなとこで何やってるの!?
   実体のない幽霊みたいな女に何怯えてんの!?
   バカみたい!」


思わず叫んだあと、私はマンションのエントランスから出ようとした。
その時、私の視界にある人物の姿が飛び込んだ。
それは……


冬季也「伊吹ちゃん?」
伊吹 「と、冬季也さん」

(続く)