沙都莉「すごーい。
   えびにホタテにタラバガニ!
   もしかしてこのお皿に入ってるのって、アンコウ?」
騎士 「うん。あっ!食べられない食材とかあった?
   甲殻アレルギーとかない?」
沙都莉「ないない。3人とも魚介類は大丈夫よ」
姫奈 「私、ホタテ大好き」
悠大 「ほう。俺はあんこう!
   あん肝なんて珍味だしサイコー!」
伊吹 「私もあんこう大好き!
   あんこうって美味しいし、あん肝なんて別格よね。
   フォアグラのような濃厚な味と、
   まろやかな舌触は幸せな気持ちになるわ」
悠大 「そう!俺たら、食べ物の好みが合うね」
伊吹 「ええ(笑)
   じゃあ、あんこうも入れちゃって一緒に食べようね」
悠大 「うん!
   ねねっ。できたらお皿にとってくれる?
   幼稚園の先生みたいに優しく」
伊吹 「えっ(笑)いいわよ。ユウくん」
向琉 「ちょっと待って!
   あんこう駄目!まだ入れないで!」
伊吹 「はい?」


それまで会話にも参加せず、静かにお刺身を食べていた向琉さんが、
トングを片手に眼鏡を曇らせて立ち上がった。
おのおの話していたのに、急に黙ってみんな呆然と彼を見る。
きょとんとしてる私を凝視しながら向琉さんは鋭い口調で語りだした。


向琉 「ひとり鍋のごった煮じゃないんだから。
   鍋の食べ方は、今入ってる具を先に皿にとって食べてから、
   次の具を入れて食べないと美しくない。
   それにたくさん入ってる鍋の中にあんこう入れちゃったら、
   身がボロボロになるだろ。
   鍋には入れごろ食べごろってのがあるんだ」
伊吹 「はぁ……」
騎士 「あぁー。始まった」
沙都莉「(騎士に耳打ちして)
   ねねっ、彼どうしたの?」
騎士 「ん?あいつ、鍋奉行なんだ。
   鍋になると人が変わったみたいになってね。
   相手が誰だろうと、T.P.Oを弁えずにいつもこの調子」
沙都莉「はぁー」
姫奈 「……」
悠大 「アダム、いいじゃないか。
   今日はみんなで楽しくしてる時だし、
   伊吹ちゃんはあんこうが大好きで食べたいって言ってるんだ。
   好きなように食べさせてあげたら」
向琉 「だからアダムって言うな。
   あんこうが大好き?
   ふふーん。そうか、それでね」
伊吹 「『ふふーん。それでね』ってなんなの?
   あなた、何が言いたいの?」
向琉 「今、この皿の上にのってるのはメスのあんこうだ。
   食用にされるあんこうは全部メスで、
   あんこうは深海魚で食べれば美味しいが、
   あんこうのオスはメスの1/10の大きさしかない。
沙都莉「えっ」
伊吹 「オスのあんこうはメスを見つけると、
   その体に生涯取りついて寄生しながら生きて同化する。
   そして、オスの残る機能は生殖器とごくわずかの器官だけで、
   メスから栄養をもらいながら生き続けるんだ。
   しかも一匹とは限らず、何匹も寄生しているメスもいる。
   生涯くっついて“ヒモ”のように生きるオスを、
   養ってるあんこうが大好きなんて。
   それを『うまいうまい』と豪語する君も、
   きっと男に利用されて苦労する女ってことだ」   
伊吹 「はい!?」
向琉 「さっきも黙って聞いてれば、条件に拘る人のことを非難して、
   もっともらしいこと言ってたけど、
   裏を返せばそれも君の拘りだろ。
   誰が誰をどんな風に好きになってどう愛し合うかってのも、
   正しいも間違いも、本物も偽物もないんだ。
   僕はそういう屁理屈っぽい人間が嫌いだ」
伊吹 「何よ!
   あなたのほうがどれだけ屁理屈言ってうんちく語ってんのよ!
   私のこと何も知らないくせに、
   勝手に決めつけていったい何様!?
   そんな身勝手で酷い態度を平気で取って、
   人を労わる言葉も心も持ち合わせてない人に、
   私のこととやかく非難されたくないわよ。
   文句があるなら私のことよく見て、
   どんな人間なのか知ってから言いなさいよ!」
沙都莉「イブ!少し落ち着こう。ねっ」
騎士 「イブ?」
向琉 「僕はただ!」
騎士 「アダム、もうやめろ。
   せっかくの楽しい時間が台無しだよ。
   伊吹で“イブ”ね(笑)
   おふたりさん、
   ニックネームが“アダムとイブ”なんだから仲良くして。
   “アダムとイブ”は最初の人間と記される人物で、
   恋に落ち神話になるくらいのカップルだったんだからさ。
   ふたりとも仲良く鍋を食べよう。
   今食べてるのは海鮮鍋で『禁断の果実』じゃないんだよ」
向琉 「それは、食べちゃいけないのにイブが食べてしまって、
   神に言われた約束を守らなかったからだ。
   言われた通りにしていれば、
   世界はもっと違ってたかもしれない。
   君と一緒だ。
   素直に美味しい食べ方に従ったらいいものを」
伊吹 「はい?
   食べたい物もあなたの指示でセイブしなくちゃいけないわけ!?
   それに何。
   イブが『禁断の果実』を食べて世界が変わったのも、
   今の世の中になったのもぜんぶ私のせいなの!?」
向琉 「まぁ、似たようなものだな」
悠大 「もうやめろ!この話はここまでだ。
   アダム、さっきから聞いてるとお前が悪いぞ。
   伊吹ちゃんとの楽しい語らいの邪魔するなよ。
   あんこうは僕も食べたいの。
   だからこれ以上あれこれ言うな」
向琉 「あ、あぁ」
悠大 「ごめんね。
   良い奴なんだけどさ、ちょっと拘り強いところもあってさ。
   俺のこの甘ーいマスクに免じて許してね」
伊吹 「はぁ……」


私の横に座っていた悠大さんは、緊迫した空気を一言で和らげ、
涙目になっていた私を覗き込んで微笑んだ。
先ほどから私たちが熱く話題にしていた人物。
そして私をマジに怒らせた人物。
その名は仁木向琉。通称、アダム。
何の変哲もない一冊の無料雑誌がもたらした、
何とも滑稽で腹立たしくて奇妙な縁。
その日の私は、吐き出せない怒りをアルコールでごまかし、
溺れるように飲み続け、倒れるように眠りについたのだ。


(続く)