それから、空しく時は過ぎ、
変わりない日常を過ごしているけれど、
相変わらず姫からも連絡はない。
そして、ニキさんからも。
自転車も買った。
やっと通勤が一人になった。
そして、心機一転。
年長クラスの担任にもなって気を引き締めて新学期を迎える。
だけど……
本当の私は悶々と割り切れない気持ちを抱えたまま、
甘い春の空気漂う4月を迎えていた。
仕事帰り、久しぶりにあの土手を通って帰る。
するとあの時のように、変わらない彼がいた。


(東京、荒川河川敷)


私は自転車を押しながら彼の居る場所にゆっくり近付いた。
そして動揺を隠しながら彼に近寄って、
声と表情を強張らせ挨拶をした。
冬季也さんは優しい眼差しで迎え、
いつものようににっこり微笑む。
この笑顔が眩しい。


冬季也「やぁ!伊吹ちゃん、おかえり!」
伊吹 「冬季也さん……ただいま。
   お久しぶりです」
冬季也「久しぶりだね。今帰り?」
伊吹 「はい。あ、あの、今日もいいの撮れてます?」
冬季也「うん!撮影できたよ。
   実は今日、コチドリとオオヨシキリの撮影ができたんだ。
   ほら、モニターを見てごらん」
伊吹 「わぁー。かわいい。綺麗に撮れてますね」
冬季也「ああ!
   久しぶりに『ギョギョシ、ギョギョシ』って、
   賑やかな声が聞こえて、視線を向けるといるもんなぁ。
   もう興奮しちゃってさ。
   無我夢中でシャッター切ったよ」
伊吹 「もう、冬季也さんったら(笑)
   相変わらず子供みたいですね」   
冬季也「そうだな(笑)
   野鳥を追っかけてる時は童心に帰っちゃうよな。
   僕、この野鳥が好きでね。
   姿もだけど習性もなんだか憧れるっていうか」
伊吹 「えっ?野鳥に憧れる、ですか?
   なんだか変わってて面白いですね」
冬季也「そう?オオヨシキリってさ、
   アシの茎の中におわん型の巣を作るんだけど、
   こいつらは一夫多妻の習性を持っているんだ。
   それに、カッコウに託卵させる鳥でよく知られてるんだよ」
伊吹 「えっ!托卵って。
   仮親に育てさせるってことですよね」
冬季也「そうだよ。よその鳥の巣に卵を産みこんで、
   その後の世話をその巣の親鳥にまかせてしまうという鳥の習性」
伊吹 「えーっ。それのどこが憧れなんですか?」
冬季也「そんな大胆なこと、僕にはできないからね。
   奥さんが複数いて、見も知らない人に子育てさせるなんて。
   一度はやってみたいっていうか、願望だな(笑)
   身勝手な男の言い分かもしれないけど」
伊吹 「うふっ(笑)
   なんだか気持ち分からなくはないですけど、
   私はどちらかというと、カッコウに同情します」
冬季也「えっ。どうしてだい?」
伊吹 「自分の巣に産んだはずがない卵があっても、
   疑いもせずに律儀に育てちゃうなんて。
   それって、私がワンルームに戻ると、
   生まれたばかりの赤ん坊がいて、
   何の疑いもなくミルクあげたり、
   おむつ変えるのと同じことですよね。
   考えたらぞっとするし、私にはできないもの。
   冬季也さん的にいうとカッコウの習性に憧れる、かしら?」
冬季也「あはははっ(笑)なんだか伊吹ちゃんらしいな。
   でも伊吹ちゃんはカッコウまではいかなくても、
   それに近しい仕事をしてるじゃないか」
伊吹 「それをいったら冬季也さんだってそうですよ。
   園児より大学生を教育するほうがぜったい難しいし大変そう」
冬季也「まぁね。どんな仕事でも大変なのは一緒さ」



私と冬季也さんは、夕日の写る荒川を見つめながら、
ゆったりと流れる時間に浸たる。
まるで彼の恋人発言や鴻美さんの存在やなかった、
あのときめきの日々へ戻ったように……



伊吹 「あぁ、そうだ。
   私、冬季也さんに聞きたいことがあるんです」
冬季也「ん。何かな?」
伊吹 「あの日、私が冬季也さんに告白した日。
   私に話したいことがあったんじゃないですか?
   それ、今聞かせてほしいんです」
冬季也「あぁ……そうだね。
   あの騒ぎだったから、きちんと返事をしてなかったね」
伊吹 「はい。あの時のお返事もください」
冬季也「うん。あの時はニキが居たし、
   例の女性もやってきたから言えなかったけど……
   僕には以前、婚約者がいたんだ。
   でも、すごく傷つけてしまって破談になってしまった。
   だから僕は女性を愛する資格のない男だし、
   君の純粋な気持ちに応えられる男じゃないと言いたかったんだ。
   それに今じゃ君にまで、例の女性のことで嫌な思いをさせてる」


西の空に沈むあかだいだい色の太陽をじっと見つめながら、
淡々と話す冬季也さんをみて、私がずっと思い悩んでいたことに、
なにかの答えが得られるような気がした。


伊吹 「そんな。私は大丈夫です。
   冬季也さんは立派な男性ですよ。
   女性を愛する資格のない男性だなんて、
   そんなこと思ったこともありません。
   だって、私が4年間ずっと好きだった素敵な男性ですもの」
冬季也「伊吹ちゃん」
伊吹 「今でも冬季也さんは私の憧れの人です」
冬季也「伊吹ちゃん……ありがとう。
   こんな情けない僕をそんな風に思ってくれて」
伊吹 「嫌だなぁ。ありがとうなんて。
   これからも冬季也ファンは止めませんからね」
冬季也「ああ」
伊吹 「それに……すみません。
   鴻美さん事件があってから、
   実は冬季也さんの婚約者のお話しも、
   今までの経緯もニキさんから聞いたんです」
冬季也「そう」
伊吹 「私、どうしても腑に落ちないんですけど。
   ニキさんのお兄さんをずっとストーカーしてた鴻美さんが、
   どうして冬季也さんに気持ちが傾いてしまったのか。
   鴻美さんが取っている行動をみても、
   ただ一方的にやってくるストーカーとは違う気がするんです。
   もしご迷惑でなければ、
   冬季也さんから詳しい事情を聞かせてほしいんです。
   そしたらこの問題も、
   解決の糸口があるかもしれないと思うんですよね」
冬季也「そうだね……」


私のストレートな質問に、冬季也さんは口籠っていたけれど、
視線をそらさない私を見て観念したように徐に話し出した。