悠大「伊吹さん、大好きだよ。僕の彼女になってほしい」
伊吹「えっ」
悠大「まだお互いのこともよく知らないし、
2回しか逢ってない。
だから、何言ってるのって思うかもしれないけど、
伊吹ちゃんと一緒に居ると、なんだか僕は穏やかになれるんだ。
電話で話していても素直になれるっていうか。
だから、これからもっと君を身近で知りたいんだよ」
伊吹「ユウさん。私……」
ユウさんの気持ちはとってもありがたく、
本当なら嬉しい申し出なのにと思う反面、
心の中でニキさんの存在が徐々に大きくなっていって、
彼の顔が声がそして香りが、
私をゆっくりと動かないように締め付けてくる。
(都内某動物園、西園)
その頃、ニキさんと姫は、
動物園の西側にあるツルエリアにいた。
姫はニキさんの顔を幸せそうに何度も見ている。
向琉「今日はなんだか暑いね」
姫奈「そうね。歩いたから喉も乾いてきたしね。
やっぱりアイスクリームのほうがいいかな。
私、売店で何か買ってきましょうか?」
向琉「いいよ。
僕が買ってくるから待ってて。
アイスだけでいいの?
飲み物はいらない?」
姫奈「うん。アイスだけでいい。ありがとう(笑)」
向琉「うん。分かった」
ニキさんは笑顔でそういうと、
売店のあるほうへゆっくり歩いて行った。
姫はベンチに座って嬉しそうにパンフレットを見ていたけれど、
そこに後ろから女性が近づいてきて声をかけたのだ。
女性「あの。お尋ねしたいんですけど」
姫奈「はい。なんでしょうか」
女性「貴女は仁木向琉さんの彼女?」
姫奈「え?いえ、友達ですけど……
何故そんなこと聞くんですか?」
女性「先ほど東園で、
仁木さんを見かけたから声かけようと思ったんです。
けれど貴女がご一緒だったから、
声をかけたら悪いかなって思って」
姫奈「あの、貴女はニキさんのお知り合いですか?」
女性「ええ。
仁木さんご兄弟とはもう長い付き合いで、
彼のお兄さんとはずいぶん親しいのよ、私」
姫奈「そうなんですか!それは失礼しました。
私、知らなかったもので」
女性「いいのよ。
あっ、不躾にごめんなさいね。
私は山本鴻美(こうみ)と言います。
お友達だったらお聞きするけど、愛羽伊吹さんってご存知?
荒川近くに住んでる女性なんだけど」
姫奈「ええ、知ってます。
伊吹は私の親友ですから。
今日は彼女も一緒にここにきてるんですよ」
鴻美「ペンギンのところで一緒に居た女性よね?」
姫奈「ええ。そうですよ。
あの、伊吹ともお知り合いですか?」
鴻美「そうなの。この間も会ってお話ししたのよ」
姫奈「そうですか。
伊吹達ならきっと今頃、
ライオンのエリアくらいにいるんじゃないかなぁ。
今、ニキさんは売店に行ってて、
もうすぐ戻ってくると思いますから」
鴻美「そうなのね。貴女たちの邪魔しちゃ悪いし。
いいわ、また仁木さんとは逢う予定になってるから。
私のことは気にしないでください」
姫奈「え。いいんですか?
ニキさんに何か用事があったんじゃ……」
鴻美「ううん、今じゃなくていいことだから。
では、皆さんで休日楽しんでね」
姫奈「はい。では、失礼します」
姫は小さく手をふり去っていく初対面の女性に会釈をする。
彼女に柔らかく声をかけたのは、
ニキさんのお兄さんをずっとつけ回し、その彼女を脅した人物。
冬季也さんを追いかけまわし自殺未遂までして、
ニキさんを困らせ、私の自転車を壊したあの人……
あの恐怖の女性、山本鴻美だった。
彼女が立ち去ってから5、6分して、
ニキさんが白いビニール袋と、
ソフトクリームを二つ持って戻ってきた。
向琉「姫ちゃん、遅くなってごめんね。
売店のソフトクリーム売り場、
すごい行列でやっと買えたよ。
はい。溶けてきちゃってるから早速食べて」
姫奈「ありがとう。頂きまーす。
んー!美味しい」
向琉「それとお茶買ってるから、喉が乾いたら飲んでね」
姫奈「うん。あっ、ニキさん」
向琉「ん。何?」
姫奈「さっき、山本鴻美さんっていう、
茶髪で髪の長い女性から声かけられて」
向琉「えっ!?」
姫奈「ニキさんのこと話したの。
お兄さんの知り合いなんでしょ?」
向琉「それでその女は何て!?」
姫奈「えっ……
あぁ、そうそう、伊吹とも知り合いだって言ってた」
向琉「それ何時頃のこと!?
彼女は何処に行った!?」
姫奈「えっ(焦)そうね、10分も経ってないかな。
また逢う予定だからって言って、
東園の方へ歩いていったわよ。
私が伊吹はライオンエリアに居るかもって話したから、
もしかしたら伊吹に会いに行ったのかもしれないね」
向琉「……」
姫奈「ニキさん?
あの、何か私悪いこと言っちゃった?」
向琉「……」
姫奈「ニキさん?」
向琉「姫ちゃん、ごめん!これ持ってて!」
姫奈「ニキさん、どうしたの!?」
ニキさんはいきなり立ち上がり、
持っていたペットボトルの入った袋を姫に渡すと、
鴻美さんの歩いていった東園の方へ、
彼女の後を追いかけるようにすごい勢いで走り出したのだ。
その愕然とした表情は不安と激怒が入り混じっている。
ベンチの側には、
ニキさんが手に持っていたはずのソフトクリームが落ちていた。
そして、私とユウさんはというと、
ライオン・トラエリアから、
タカワシエリアにゆっくり移動しながら話していた。
先ほどのユウさんの告白について。
悠大「別に焦ってるわけじゃないんだ。
でも、ナイトと沙都ちゃんが付き合いだして、
姫ちゃんがアダムのこと好きだって聞いて、
これってそうなる運命なのかなって感じるんだよ。
これが自然な形で運命の引き合わせなら、
俺はそれを信じたいんだ」
伊吹「そうね……そうかもしれない、ね。
でも、もう少し私に時間をちょうだい?
私もその引き合わせが本当なら信じたいし、
それが本当なのかを知る時間がほしいの」
悠大「うん。分かった。
じゃあ、今度はふたりきりで逢ってくれるかな」
伊吹「え、ええ。いいよ」
悠大「よかった(笑)
ごめん。ちょっとトイレに行ってくるから待ってて」
伊吹「うん」
ユウさんは私の手を両手で握ると、
喫煙場の先にある公衆トイレに向かった。
私は止まり木に止まってるハヤブサを、
じっと見つめて、深い溜息をついた。
そしてゆっくり園全体を見回すとニキさんと姫の姿を探す。
伊吹「居るわけないか。
そうよね。ユウさんが言うように、
ナイトさんと沙都ちゃん、ニキさんと姫、
ユウさんと私、これが運命の引き合わせなのかもね」
私は自分に言い聞かせるように独り言を呟く。
そうすることで、諦めの悪い心に叩きこもうとしていた。
それでももう一人の納得しない私は、
言葉とは裏腹にニキさんを探している。
それがどんな大きな諍いを生むかを知っていて……
何気なくサルエリアの人に目をやった。
写真を撮ってる親子ずれに、中学生らしき男女のグループ、
ポップコーンを頬張りながら歩いてるカップルと、
流すように目線を向ける。
その群集の中に、
一人だけ目立つ女性の姿を見つけて直視する。
その茶髪の女性を見た瞬間、
私は背筋にゾクゾクと寒気を感じて更に凝視した。
どんどんこちらに向かって歩いてくる女性が誰なのか、
確認するために大きく目を見開く。
距離が少しずつ縮まるにつれて、私の中の恐怖感は増幅を始める。
そして、それがはっきりあの女性、
山本鴻美だと認識した途端、無意識にその場から逃げ出した。
彼女も私に気がつき、普通歩行から速足になり、
駆け足になって逃げる私の後を追ってくる。
どうしよう!
こんなとこまでくるなんて。
いつからここに居るの。
私が出かけるときから!?
これも運命の引き合わせなの!?
ニキさん、助けて!お願い、誰か助けて。
後ろを何度も振り返りながら、
今にももつれそうな足取りで走った。
私は“こもれびの森”と呼ばれるお散歩エリアに入り、
彼女から何とか逃れようと必死で人をかき分けながら逃げる。
それでも鴻美さんは薄笑みを浮かべながら、
じりじりと距離をつめて私に迫ってきたのだ。
(続く)