「あと、これもどうぞ」
「は、あの……すみ、ません」

 女性の好意を拒むのも忍びなくて、しずくはバウムクーヘンとチョコレートを受け取った。

「有森のファンだよね?」
「……え?」

 びくっとして、しずくは女性を見つめた。女性の長い睫毛が急に攻撃性を帯びたような気がした。
 もちろん、気がしただけだ。
 そんなはずはない。
 だって、女性はずっと優しく微笑んだままなのだから。

 だいたい、前に来てから三ヶ月以上も間があいている。そのときも目立つようなことはしていない。
挨拶して、軽く会話をしただけ。ものの三分程度のものだった。
 もっと長々と引き止めていたファンはたくさんいた。あの日のしずくが周囲の誰かに印象づけられたはずがない。
 誰も覚えていないと思っていた。

「有森と喋ってたよね?」

 女性は微笑みを崩すことなく、しずくに追い打ちをかけてきた。

「そんなにしょっちゅう来てるわけじゃないのに、有森がすぐに気づいて近づいて行ったから……すっごい覚えてるの」

「すっごい」の部分にひどく力を込めて、女性は言った。右の口角だけが引き攣れるみたいに大きくいびつに上がった。ずっと同じ微笑みの形なのに、その瞬間だけ、般若に似ていた。

「それは……」

 しずくは口ごもって俯いた。
 ほんとうのことを言えばいい。
 簡単な話だ。
 それできっと納得してくれる。微笑みの隙間に般若が浮かび上がることはない。


 ――あの夏のわたしみたいに。
 ――間違った嫉妬なんてしちゃいけない。


 そう思うのに、うまく言葉にならない。


 ――こういうの、いやだな。すごくいやだ。


「あ、あの……そうじゃなくて……」
「有森とあなたのこと邪魔はしないけど、わたし負けないから」

 言いかけたしずくを遮って、女性はそれまでとは別人のような冷たい声を発した。


 ――負けないって……。


 しずくはぎょっとして、顔を上げた。女性の頬に過る般若が一段と濃くなっていた。綺麗なひとだからより怖い。とても醜い。
 間違っているから、更に歪んでしまうのだ。


 ――違うって言わなきゃ。そうじゃないって。


 しずくは曖昧に首を振った。やはりうまく言葉にならない。


 ――アリモリとわたしは、あの夏を共有しただけ。ただの共犯者。恋でもファンでもない。
 ――だから、わたしはあの夏に会いにいっているだけ。


 頭ではいくらでも反論が浮かぶ。
 でも、しずくは女性に言い返すことができなかった。