カウンターに携帯を置いて、両手で顔を覆う。
覗く、翔の柔らかい瞳に。
一瞬、どっちなのか分からなくなった。
翔「理沙子、ニューヨーク来るって。」
バカラのグラスは、すっかり水滴に包まれて。
翔の手が触れる前に、そっと鞠子が取り上げて。
ハンカチで周りを拭った。
翔「いつか遊びに行くから、それまでに会社デカくしとけってさ。」
鞠子「おお!フラれたか!」
「さすが。笑」
翔「さすがじゃねぇよ!
どうすんだよ、うちの社は。」
鞠子「言えばよかったじゃん、理沙じゃないとダメだとか。
さっきまで散々、意気込んでたくせに。」
翔「鞠子さん引かない?
振ろうと決めて電話した男から、そんな粘られたら。」
鞠子「いや、私は引くけどさ。」
呻き声、のような。
大きな溜息をつきながら、翔はそのまま突っ伏した。
鞠子「ねぇねぇ、私の勝ちってことでいい?」
嬉しそうに囁く鞠子に頷くと、小さくガッツポーズをして奥に消えて行く。
「誰か紹介しようか?
ブランドミューズになるモデルがいるんだろ?
うちも、モデルはいい子が揃ってるぞ。」
ピクリともしない、広く薄い背中に。
鞠子「分かってたくせに。
だから、オープンチケットなんかにしたんじゃないの。」
いつも嬉しそうにじゃれていた理沙が浮かんだ。
もう二度と。
あの景色は、来ない。
鞠子「はいはい、翔くん。
うちの娘がすみませんね~。
倫くんがピンドン入れてくれたから、まぁ今日は飲もうよ♡」
鞠子が力強くカウンターに置くグラスにも。
全く顔を、上げようとしない。
「あれ、ロゼだった?
白じゃなかったか?笑」
鞠子「やだー、倫くん物忘れ?怖い怖い。」
お前のほうが怖いよ、と笑うと。
ムクリ、と起き上がった翔の表情は。
思っていたよりもずっと、血の気が無くて。
逆に、笑えた。
翔「決めた、アジア進出は延期だ。」
鞠子「延期~?せっかくいろいろ決めてたのに?」
翔「今更、理沙子以外は合わない。
しばらくはニューヨーク限定で動くわ。」
鞠子「しばらく?往生際悪いなぁ。」
翔「ジジイになるまで、待ってやる。」
鞠子は、面白そうに。
だけど、ひどく柔らかい仕草でグラスに泡を注いでいく。