突然、呼ばれた名前に。
焦がれる声が呼んだ、自分の名前に。

今度は、私が。
テーブルの下まで、箸を落とした。





「あれ、合ってるよね?」

「合ってます・・・」


そんなことじゃなくって。
まるで、自分の名前に聞こえなかった。

ありふれた、27年連れ添った名前が。
目も当てられないほど、眩しく光った。


もう、一生。
このまま誰にも、名前を呼ばれたくない。




ぼうっとする頭で口に運んだ、卵とじから。
濃厚な薬味、茗荷の香り。



よかった、と笑いながら。
直生さんは、鮭とイクラの釜飯をよそう。


「瀬名さんもさ、俺の名字知ってたじゃん。
“片倉”でメモ残したら、すぐ分かってくれたよね。」


「あ、ハワイの!」

「そうそう。笑
俺、片倉で伝わるかちょっと不安だったからさ。」


あのメモ、取ってます!
そう言おうか迷ったけど。
気持ち悪いなと思って、飲み込んだ。



「電話くれたとき、嬉しかった。」



今日、初めて。

伏し目で笑う時の、睫毛を知った。
私はどうせ、これだって。

漏れなく、大好き。






差し出された、小さなお茶碗を。
受け取る手が、震える。



今日のことは、一生忘れない。
直生さんの手の大きさも。
清潔な、短い爪も。

何度だって思い出して。
私は私の居場所を、がんばるんだ。









日曜の夜は、いつもより更けるのが早くて。
お店の真上だった月は、ゆっくり右に傾いていた。



また来てね、と柔らかく笑う女将さんと。
「瀬名さんっていうと?」
女将さんの腕にじゃれながら、人懐っこく覗き込んで来る知恵ちゃん。

直生さんは、大将と。
お店の中で話してた。


何だか、すっかり。
“直生さんの連れ”に収まってしまった感。




「瀬名さんのハンカチ、可愛かった~。あれ高い?」

「全然高くないよ。・・・あ、いる?」

「えっ?!いいと?!」

「こら、知恵!」


女将さんが、はしゃぐ知恵ちゃんを嗜める。

「いいんです、私同じの二枚持ってるんです。
買ったの忘れて、また同じの買っちゃって。笑」


使いかけでごめんね、と知恵ちゃんに渡すと。
キラキラした瞳で、私を見上げる。

いい匂いがする!と、女将さんを振り返る背中に。

こんなに温かい人たちから愛される直生さんに。
ますます胸が、苦しくなった。







素敵すぎて、苦しい。
知れば知るほど、好きになってしまう。

私なんて、到底届かない人なのに。
こんなに楽しかったら、馬鹿な夢を見てしまう。