長いドレスの裾を踏まないように、軽く持ち上げながら階段を降りた。
左手で持ち上げていてクラッチの中で、携帯が鳴り始めたのに気づいて足を止める。
取り出した液晶に表示される、見慣れた名前に。
一瞬タップせずに、そのままクラッチへ戻そうとして。
今日は“花金”。
アフター後だと何時に折り返せるかも、分からないことに気づく。
『もしもし。切るよ、今から仕事だから。』
「出てすぐ切るなよ。」
『忙しいんだよ。今から今週で一番忙しいの。』
「お前パイナップル食える?」
『は?パイナップル?』
降りきった階段の下。
いつにも増して遠く感じる、その声の向こう側が。
なんだかざわついて聞こえて、足を止めた。
『好きだけど…。
なに?航大、今どこにいんの?』
「今、空港。」
『っぽいね。どこの?』
手首を返して、腕時計を確認する。
あと2,3分なら話せそう。
「沖縄。またメール見てねぇな。」
『見てない。えー、沖縄?!仕事?』
「いや…今日は、仕事じゃねぇけど。」
ふっ、と。
彼の意識が私から離れたのを感じた。
時々見せる、隣にいても瞬間的に遠くを捉える瞳が。
浮かんだ。
『そっか。沖縄ってまだ海入れるの?』
「入れるよ。」
『いいなぁ~、沖縄。
なんだかんだ言いつつ、航大はいろんなとこ行けてるよね。
ちょっとでも時間空くと、すぐどっか行っちゃうし。』
「呼んでも来ねえくせに。」
『だな。』
期待させんじゃねぇよ、と。
機械越しに届く、笑い声に。
あまりにも遠い、この距離を思い知る。
「お前に見せたい景色ばかりなのに。」
右耳から聞こえる、遠くで鳴るクラクションと。
左耳から聞こえる、聞き慣れた柔らかい声。
現実と夢の間を、身体が彷徨ってるような錯覚。
目を閉じたら、左耳に吸い込まれそうな気がした。
『何でもかんでも、すぐ写真送ってくるじゃん。
時差あるとこだとね、結構迷惑なんだけど。』
何度、泣けるような。
航大のフィルターを通した景色に、夜中叩き起こされてきたかわからない。
「安心しろ、もう送らないから。
今日で最後。」
『は?また何か送ったの?』
そろそろ、お店入らないと。
薄く吹いた風が肌寒くて、肘を抱えてお店のドアを振り返った。