「翔さんのことはね、謝んない。」
柔らかいソファに踏ん反り返って、小指を立てた手でサングリアのグラスを持ち上げる。
『やばい、うっかり忘れそうになってたし!
それだよ、まじどーにかして。また来そうなんだけど!』
「だって、あたし、あんなのもの預かれないわよ。」
『あんなもの?』
「直接聞きなさい、金も返さないといけないでしょ?一回、ちゃんと話さなきゃ。」
『私が金借りてるみたいに言わないでよ・・・。』
翔さんが出て行った翌週。
私は言われたとおり、半ばやけで部屋を売ることにした。
提示された額は、私の予想を一桁超えていて。
こんな部屋に住まわされていた自分の無知に足が震えた。
絶対返そう、そう決めて。
部屋だけじゃなくて、無駄にブランドだった家財道具一式なんかの売却で得たお金も全て、手をつけずに取っておいた。
ただの紙キレのはずなのに。
私には重く、ぴりぴりと磁気を発する預金通帳。
翔さんがいなくなってから3年。
年数ごとに、重さを増してるような錯覚。
確かに、あれは早く渡してしまいたい。
「あんた、この仕事はいつまで続けるつもりなの?」
サングリアを飲み干した葵ちゃんが、ガラスのお皿に残っていたドライマンゴーを摘んだ。
『いつって・・・まだ、分かんないけど。』
続けるか、辞めるか。
選択の年齢に立っているのは自分でも気づいていた。
続けるなら。
私は、そろそろもう一歩先に行かないといけない。
「翔さんは、色恋沙汰だけであんたに会いに来たわけじゃないと思うよ。
一つの選択肢として、一回話を聞きなさい。」
『だから、それってどういう________』
葵ちゃんが、カウンターにチェックの合図をしたから。
私は、もうそれ以上聞けなかった。
帰りの車の中では、2人。
ほとんど言葉を交わさなかった。
葵ちゃんの車は、香水の香りが強すぎて。
酔ってしまいそうになるから、私はうっすら窓を開ける。
窓から侵入してくる、夜の匂いに目を閉じて。
何となく開いたら、いつもと違う道を通っているせいで、建物の向こうに陽斗くんのマンションの頭が見えた。
今頃、あの部屋にいるのかな。
あの部屋で、私を見下ろした瞳。
落とされた唇の、蕩けるほど柔らかい感触と、漏れた甘い吐息。
私の名前を呟く、掠れた響き。
だけど、それでも肩に戻るのは。
昨日私を抱き締めた、航大の腕の強さだった。