「・・・へ?」
「へ、じゃねーよ。
何時頃帰るか聞かれたから、あと1時間は帰りませんよって答えたんだよ。
そしたら、お前が別のとこで残ってるけど、じゃあ大丈夫かって。
俺もまさかこんな遅くまで戻って来ねーなんて思わないから、あーじゃあ大丈夫っすよって・・・」
不機嫌そうに喋り続ける浅山が、途中から無声映画になる。
モカ色のカーディガン。
持ち上げたときに飛んだ香りに、夜空の大輪が浮かんだのは。
エアコンの効きすぎる第一会議室で、居眠りをした愚か者。
それなのに、ちっとも冷えてないのは。
体中が、あの人の名前で熱いのは。
「な、な、直生さんは?!それでどこ行ったの?!」
「知らねーよ。さすがにもう上がりだろ。
だいたいお前・・・」
宝物になったあの手紙の中で、何よりも嬉しかったのは。
“お互いしばらくがんばりましょう”
私の日々の積み重ねが、認めてもらえたような気がしたから。
届くはずのなかった努力や葛藤が。
彼の目に少し、触れられた気がしたから。
体中に、血が巡るのを感じる。
彼以外にこんな感覚を教えてくれる人は
私には、いない。
「明日もがんばろう!」
「ああ?!聞いてんのか、人の話!」
会えても会えなくても。
距離が近くても遠くても。
私は
好きな人の好きな姿を
照らす光の分子になれる。
そんな幸せな不毛な恋は 、一生に二度は巡ってこない。
ささくれだった指先が、柔らかいニットを傷つけてしまわないように。
直生さんの優しさを
そっと、撫でた。