買ったばかりのパンにかぶりついたまま足を止め、目の前の時計塔を見上げた。

丁度昼を告げる鐘が鳴り、辺りにその音色を響かせる。

この街・ドリーラの南端に建てられた時計塔は観光名所の1つでもある。

街の南部は海に面しており、すぐそこから海を一望できる事に加え、時計塔のすぐ前には水しぶきをあげる大噴水、色とりどりの花が咲く美しい公園になっている。

その公園の左右に立ち並ぶ店によって行き交う人の賑わいが更に増す。

最後の1口を喉に流し込んで再び足を動かし、行き交う人々の間をぶつからないように進んで行く。

時計塔の下部はトンネルのような空洞になっており、そこから向こう側、つまり海に向かって1本の橋が架けられている。

その橋の先に、この街のもう1つの観光名所がある。

「おや、あんたの剣」

橋の手前に来たところで、1人の男に話し掛けられ足を止めた。

真っ黒な警備服を着ている事から、この橋の警備を担当しているのだろう。

男は帽子をクイッと上げると俺の腰元にさげている剣に目を向けた。

「随分使い込まれた良い剣だ。挑戦するのかい?」

「いや」

楽しそうに話す男から目を離し橋の向こうに目を向けた。

ずっと向こうに見える球体の建物。

海にぽつんと浮かんでいるように見えるその建物が、もう1つの観光名所である闘技場・アダン。

強さを求め己の力を測る者が集う場所。

「なんだ、挑戦者じゃないのか。勿体無い」

男に目を向けると、白い歯を見せてニヤリと笑った。

「だかまぁ見物するなら急いだ方が良い。今日も凄え奴がいるらしいぜ」

そう言って警備の仕事に戻る男の背中を見送りながら思わず眉を寄せた。

「なにが楽しいんだか」

戦う姿を見て何が楽しいんだか、それ以前に闘技場というものの存在理由が全く理解できなかった。


橋を渡って辿り着いたアダンはドームのようになっていて、ここからでは中の様子は分からないが盛り上がっているのであろう歓声が聞こえる。

正面にぽっかり空いた入り口の左右には展示品として剣や斧、槍など様々な武器が飾られている。

それになんとなく目を向けながら入口までやってきた時、1人の子供がすぐ横を駆け抜けた。

その姿に目を向けた時、子供は入口に立っていたスタッフらしき男に腕を掴まれた。

「こらこら、子供は中に入っちゃダメだよ」

足を止めて振り返った子供は男を見上げた後、
何故かこちらを見た。

目が合った。

見た感じ10歳前後とみられる小さな少女だった。

肩まで伸びた漆黒の髪を風に靡かせながら左右で色の異なる瞳で、俺を見ていた。

黄金色の右瞳と、碧色の左瞳。

「中、用ある」

目が合っていたのは一瞬だった。

男を見上げた少女の声が、賑わう人々の間を抜けて俺の耳に届いた。

「お父さんとお母さんは?はぐれちゃったのかな?」

少女の目の高さに合わせてしゃがんだ男の言葉に、少女は首を振った。

「中、入る。それ、目的」

噛み合わない会話に男は困った様な表情で立ち上がると、入口にいたもう1人の男に声を掛けた。

「この子迷子みたいだから、ちょっと連れてくよ」

もう1人の男が頷いたのを確認して歩き出そうとした時、ずっと腕を掴まれていた少女が男の手を振りほどいた。

男があっ、と声を上げた時には少女はもうアダンの中へ走り去っていた。

「あーぁ、まぁ中の奴に連絡すりゃ大丈夫だよ」

「これだからガキは嫌いなんだ」

悪態をつきながら再び仕事に戻る男達から目を逸らし、少女が入っていったアダンの中に目を向ける。

少女の姿はもう見えない。

これが全ての始まりだったのだと気付いたのは、それからずっとずっと後になってからだった。