ヤンキー上司との恋はお祭りの夜に

「結局、お母さんの為を思って養子縁組を承諾したの。だけど、折角入った高校も変わることになってしまって」


迷ってたのはそれで…か。
夢があったから悩んでたんだ…。


「ボランティアの責任者を始めたのは腹いせみたいなもんもあるのよ。お祭りも確かに好きだとは思うけど、会社でも家庭でも『轟 大輔』でいることがイヤなの。だから、ここでは谷口姓を名乗ってる」


寿神社の日に「谷口」だと言ったのはそれで。
責任者の彼にとって、それは当たり前のことだったんだ。


「貴女にそんな大ちゃんの彼女が務まるの?」


サングラスを外した純香さんが聞いた。


「望まない会社の重役をして、やりたくもない仕事に就かされてる人の気持ちが分かる?家庭でも息が吐けなくて、逃げたがってる人の気持ちが理解してやれる?」


真剣な顔で問いかけられた。
あんなに堂々してる彼の心理が、そんなに弱いとは思いたくもないけど……



「…………」


あれこれ考えるとすぐには答えれなかった。
重役の責任の重さも仕事の大変さも私にはわからないし、本来なら寛げるはずの家庭ですら逃げたい場所だということがわからない。

私は何かあったら家に帰りたいと思う方。
血の繋がってる人達のいる場所が、自分の逃げ場の様な気がする。


なのに、轟さんにはその場所がない……?
だったら彼は、どこで寛げばいいの……。


(……私?…私があの人の逃げ場所になる?)


今、純香さんがした質問はつまり、そういうことなんだろうか。
私に轟さんを癒せるかって聞いてるんだろうか。


(……どうだろう)


自信を持ってあるとは言えない。
仕事でも何でも、私にはニガテなことがあり過ぎる。



「どうなのよ!?」


面と向かって聞かれた。
アガリ症が出たわけでも、吃って話せなくなったわけでもないのに声が出せない。



「何とか言えば!?」


言いたいよ。
できれば私だって声を大にして言いたい。


彼の気持ちを理解できる!って。
自信を持って、彼自身を癒してやれる!って。



(……でも、いつも反対だし……)


あの寿神社の祭り以来、常に癒されてきたのは私。
居てくれるだけでいいと轟さんは言ったけど、それで彼が癒されてるとは思えない。

いつも気を遣ってもらってるのはこっちで、今日だってきっと、気晴らしの為にここへ連れて来られたんだろうと思う。



やっぱり……向いてない気がする。


お姫様なんて向かない。

癒すよりも癒されてるもん、私……。






「ーーー帰る」


「えっ!?」


目を剥いて驚かれた。


「何で!?」


それを聞くの。
貴女が私に思い知らせてくれたんでしょ。


「大輔さんを癒す役目なんてできないから帰ります。…私には、そんな役目難しい……」


気持ちの上では何でもできるような気がしてた。

新しい部署だって恋愛だって、頑張っていけるような気がした。


でも、実際には違う。
気負ってばかりで行動が思うようにいかない。


言いたくても言えない言葉が増える。
喉の奥で絡まって、ちっとも出てこようとしない。


こんな私が誰かを癒したりできるわけがない。
こんな私の側にいたって、彼が寛げるはずがない。




「あっ!ちょっと……!」



純香さんの呼び止める声が聞こえた。

慌てて轟さんを呼びに行く気配も感じる。


それでもバタバタと走り出す足音を止められない。


真夏の昼下がり、私は一目散に坂道を駆け下りたーー。
私の足は50mも走らない辺りで止められた。
純香さんに話を聞いて店を飛び出してきた轟さんに、ガッチリと二の腕を掴まれたからだ。



「待てよ!」


息を切らした人の声に答えることも振り向くこともできなかった。
顔を見ると泣きそうな気がして、声を出せば泣き声になりそうな気がした。


「帰るってどういうことだよ!」


折角仲間に入れたのに何だその態度は…って言いたそう。


「い……居たって…役にも立ちません…から…」


声を振り絞ってそれだけ答えた。
オフィスだってどこだって、マトモに話せない私は居ても居なくても同じ。
周囲の人に気を遣わせてばかりで、困らせるだけの存在になる。


「最初から役に立とうとしなくていい」


轟さんはそう言ってくれるけど。


(そんなのわかってる。でも……)


私はそんな自分でいるのがイヤで仕方なくて、変わろうとしたんだけどーーー


「ケイ!」


荒っぽく腕を引っ張られた。
二の腕が引きつり、軽い痛みを覚えた。


振り向かされた途端、両方の二の腕を掴まれた。
対面する格好になっても、私は顔を上げれなかった。


「純夏に何か言われたのか?」


「何も」


言われたんじゃない。
教えてくれただけ。


「だったら何で帰るなんて言いだす?」


頭の上から落ちてくる声が問い詰める。
私はますます話せなくなって、ぎゅっと奥歯を噛み締めた。


(だって、私……)


今日は最初から会いたくなかったんだもん。
仕事で1週間気を張り詰め過ぎて、心も体もクタクタだったんだもん。



そうとは言えないから押し黙った。
こめかみが痛くなって、鼻の奥がつぅんとしてくる。


(泣いちゃダメ。泣いたらきっと止まらなくなる……)


1週間かそこらで根を上げるなんて情けない。
泣いたらそんな自分を認めてしまうことになるからヤダ。



「……やっぱり頼りにもならないんだな。俺は」


頭の上から注がれた言葉に(えっ…)と思った。


「ケイは俺のことを頼りにもしないんだもんな」


スルッ…と離された途端、手の温もりが急に薄れてしまった。


「俺はケイが居てくれたらそれだけで頑張れるのに、ケイは俺が居てもダメなんだな」


ガッカリしたような声をかけ、足の先が反対を向いた。


「……もういい。わかった」


ボソリと囁くと、足を踏み出す。


「帰るなら好きにしろ。送ってやれないけど、気をつけて帰れ」


前に向かって歩き出した人のアキレス腱が伸びる。
黒いスニーカーとカーゴパンツの隙間に見えてる足が浅黒く日焼けしている。


自分の足元との距離が広がりだして、思い出したように顔を上げた。

見えている背中が寂しそうに肩を下げてる。

ゆっくりだけど、確実に離れていこうとしてる。




(ーーこれでいいの?)


問いかける自分がいた。

(このまま離れてしまってもいいの?今夜から連絡こなくなることも考えられるよ。そんなの耐えられるの?)


切羽詰まったように響く心の声。
それはダメだと思うのに、追いかける勇気もなくてーー。



カクン…と力が抜けてしまった。
座り込む様な感じでしゃがみ込んでしまった。




(やっぱり……私は情けない……)


好きな人を癒すことも励ますこともできない。
失望させて困らせて、しょげさせてしまうだけの存在。

轟さんとの恋は祭りの夜に成就したかの様に思えたのに、あれはやっぱりその場限りの雰囲気に流されただけだったんだ。



(現実なんて、甘くないのよ……)


お尻をアスファルトにくっ付けて脱力した。
ベージュのコットンパンツの下からジワジワと伝わってくる熱。


今日の私は着飾ろうともしなかった。
適当に服を選んで、簡単にメイクをしただけだった。

カレシに会えるというのに心も弾まず、重く引きずりそうになる気持ちを抱えて待ち合わせの場所へ向かった。

思い出してみれば彼は、最初から私が浮かない顔をしてるのに気づいてたのかもしれない。

それを感じながらも、ここへ連れて来れば気が変わるかもしれないと信じたんだろうか。

何かあるなら話して欲しいとずっと思ってたのかもしれないのに。

なのに、私がそれすらも話そうとしないから呆れた。


背中を向けられた。
好きな人に………



「……うっ」



ポトンポトン…と、大粒の涙が落っこちた。

ベージュのパンツの上に浸み込んで、茶色の点々が増えてく。



(……待っ…て……)


声を出したいのに、思うように発声できない。
肺の中に空気が溜まり込んでて、出ようともしない。


涙が濡れて視界がボヤける。
溢れてくるものを手で受け取めるのが精一杯で、前すらも見にくい。



「と…どろき…さ…ん……」



違う。そうじゃない。



「だいすけ……さ、ん……」



好きな人の名前はそれだった。
ヤンキーみたいな人だけど、副社長でもある人。

私の前ではただの「大輔」だと言った。
飾りもしないし上司でもないと。

人間らしく悩んだり苦しんでるところを見せた。

息子として、お母さんのことを心から愛してるみたいだった。

お父さんのことも憎んでるけど捨てきれない。

そんな優しい人だから、きっと遺体の確認にも行ったんだ。

辛かったに違いないのに、金魚を見て私のことを思い出してくれた。

わざと明るく話して、暗い心境に陥らないようにした。


寛げない家の中で飼ってるキャリコが彼を癒してるんだとしたら、私はそれと同じように、ただ彼を和ませるだけの存在になれば良かったのにーーー。



「ごめん……なさい……」


いつも甘えさせてもらうばかりで。
優しくしてもらってるのに、本音だけは話そうとしなくて……。

貴方は王子みたいにステキなのに、私は灰かぶり姫のままでいてーーー。



「ひっ……ひっ…く……」


いつまでも涙が零れ落ちて仕様がなかった。
立ち上がろうにも力が起こらなくて困った。



日陰の中にいると気づいたのは涙が零れ落ちなくなってからだ。
さっきから眩しかった日差しが和らいで、変だな…と思い始めた時。


不思議な気がして前を向いた。
視界に見えた黒いパンツの生地には見覚えがある。



「泣き止んだか?」


頭上から声が降ってきた。


「いつまでもそんな所に座り込むなよ」


上半身を曲げて二の腕を掴まれた。


「立つぞ」


声をかけてから引っ張り上げられた。




「あ……っ」


日焼けした人の顔が近づいてくる。


「あーあ。顔がぐしゃぐしゃ」


汗と涙でくっ付いた髪の毛を取り払いながら笑った。
それからきゅっと、軽く体を抱きしめられた。



「こうしてると落ち着く」


そう言って身を預けだすから私は彼を受け止める以外に方法がなくて。



「ケイが居てくれないとヤル気が失せるんだよ、俺」


抱かれたままで言われた。


「ケイに頼られたいんだよ、心底」


腕の力を緩める。
彫りの深い目元が笑って、私の髪を優しく撫でた。


「仕事でもなんでもいいから頼れよ。丸ごと引き受けてやるから」


ニヤリと笑う人の顔は悪戯っぽくも見える。


「ケイも俺が居ないとダメだろ?」


当たり前みたいな言い方をしてる。

だけど、それは真実だと思う……


「う…ん…」


頷きながら答えた。
私はいつの間にかこの人の魔法にかけられてるような気がする。



「だけど……私は…何もしてやれてない……」


彼女として癒すこともしてない。
甘えさせてもらうことばかりで、甘えてももらえない。
一方的すぎる関係の中で、バランスがまるで取れてない。


「俺を好きだって言ったろ。それだけでいいんだって」

「でも……!」


反論しようとした。
だけど、唇に指を押し当てられた。


「それが一番欲しいと思うことなんだ。それ以外には望むものなんて何もねぇ」


口角を上げて微笑む。
その顔にキュンとして、同時に緊張の糸が解れた。



「しょ…商開部でね……」


意見を求められても答えれなくて困ったことを伝えた。
この1週間、緊張ばかりしてたことを話した。


「それなのに、ここに連れて来られるし……」


オフィスの人達とは違う人種の人もいるんだとはわかった。でも、やっぱり緊張する場面であることは違いない。


「純香さんにも教えられたの。大輔さんがホントは臨床心理士になりたかったんだ…ってこと……」


子供の頃の夢を知ってるのは幼馴染だからだとしても、養子になることを決めた話をした時に、そのことも聞かせておいて欲しかった。


「あー、そういうのを考えてた時期もあったなぁ」


懐かしそうに振り返って、私の肩を抱き寄せる。