鏡の前に立つ艶やかな自分。
黒地に白と赤紫の牡丹柄が映える浴衣を着て、深いエンジ色の帯を締める。
帯留めにはシルバーの小花。柔らかくカールした髪はまとめて左肩のみに掛けてみた。
耳に垂らしたのはビーズで作ったイヤリング。
足と手に施したネイルは2時間もかけた力作だ。
ここまででトータル5時間以上かかってる。
後足りないものと言えば……
「ツケマにグロスか」
やっとメイクに入るのか…と思うと、少々ウンザリしてくる。
「なんの。これも彼のため!」
今日こそは違う自分を見せるんだ。
いい雰囲気になって、彼に求めてもらうために。
「ドキドキするぅ…」
下地クリームを塗りながら懸命に化けている私の名前は、乃坂 蛍(のさか けい)。
某玩具メーカーに勤務する26歳のOL。
今日は人生で初めてできた彼氏と3度目のデート。
夏祭りに行こうと自分から誘ってみた。
「ケイちゃんの浴衣姿楽しみにしてるよ」
彼氏の友近 郁也(ともちか ふみや)にそう言われ、必死で準備を始めた。
「浴衣でデート!?すっごいじゃん!」
「キレイに見せないとね」
「ご協力お願いします!」
オフィスの友人、真綾(まあや)と聖(ひじり)に頼んでアドバイスをしてもらった結果がこれ。
着飾った自分を何度見ても、まるっきりの別人に見える。
「詐欺だわ。これ」
一応写メしておこうか。
でも、カメラを向けたら顔が撮れない。
「自撮りする?でも、なんだかそれもどうも…」
いつもはオシャレに縁のない私。
言うなればこれは、一世一代の賭けみたいなもん。
「郁也くん、どんな反応するかなぁ」
ワクワクしながら家を出た。
「もしかしたら帰りが遅くなる(帰らない)かもしれない」…とおばあちゃんに言い残して。
夏祭りの会場は市内の神社。
人目を気にしてタクシーで乗り付けた。
「浴衣がお似合いですよ」
バッグミラー越しに運転手さんからも褒められ、気を良くした私はお釣りも貰わずに車外へと飛び出した。
「暑いっ…」
パタパタとハンカチで仰ぐ。
待ち合わせの時間まで、どこかに隠れておこうとキョロキョロ辺りを見回した。
「いい所発見!」
参道の脇に立つ大きな石灯籠の後ろがいい。
程よく影だし彼氏が来ても見える位置だし。
慣れない下駄を鳴らして歩きだした。
裾が捲れるのが気にしながら、ちょこちょこと小股で歩く。
(郁也くんに手握ってもらおう)
ほくそ笑みながら妄想は拡がっていくばかり。
なんとか道路を渡りきり、神社の鳥居をくぐった。
(あれは……)
見覚えのあるシャツが目の前に見えてる。
水色とイエローのストライプシャツにモスグリーンの短パン。
後ろ姿も髪型もどう見ても彼氏だ。
(……なんだ。浴衣なのは私だけか)
ガッカリしつつも、気持ちを奮い立たせて近づいた。
彼の後ろから3mくらい離れたところで、腕に絡みつく細くて白い指の存在に気がついた。
「っもう、郁也ったら〜」
手首の辺りを軽く抓ってる女性がいる。
顎のラインで切り揃えられた黒髪が綺麗で、赤いバラ柄の浴衣を着てる人。
同じ色の巾着袋は品が良くて、鼻緒までが同じ色で統一されていた。
「こんな可愛い梨乃(りの)見たことないからさ」
腰に腕を回した彼が、彼女の頬にキスをした。
「っもう、人前だからダ〜メ!」
そう言いながらも手の指を絡ませ続ける。
バカップルにしか見えない二人を前に私は茫然としたまま眺めていた。
「もうすぐ彼女来るんでしょ?」
絡みついた指先を離しながらバラ柄の浴衣を着た女性が聞いた。
「彼女はあっちじゃないよ、梨乃が本命」
向こうは友達…と口づける。
「そんなこと言って、惚れこんじゃダメよ」
「それはないって」
笑い合いながら別れた二人。
そのやり取りを半信半疑で聞いていた。
(……どういうことなの?これは)
郁也とは今年の春、オフィスの花見会で知り合った。
席が隣同士になり、いろいろと話しているうちに意気投合した。
『今フリーなんだ。良かったら付き合おうよ』
軽めな男だとは思った。
でも、この年まで彼氏がいなかったもんだから……
『…いいよ』
彼氏いない歴が実年齢だとは言えずに応じた。
郁也は忙しい人で、デートにはなかなか誘ってもらえなかった。
初めてのデートは付き合い始めてから1ヶ月経った時。
ショッピングモールに併設された映画館で、ホラー映画を一緒に観た。
(……あの時、女子らしく『キャー』と叫んでいれば良かったんだろうか)
あまりな出来事を前にして、そもそもあれが間違いだったのだろうか…と考えた。
(でも、退屈な内容だったし……)
悲鳴をあげるほど怖くもなかった。
だから平然と見ていただけでーー。
『ケイちゃんはホラー平気なんだね』
多少ガッカリさせたような気がして、慌ててその場を取り繕った。
『こ…怖いお面とか見慣れてるせいよ、きっと』
懸命に弁解した。
商品管理部で検品をしている私は、職場で嫌という程ホラーなものを見ている。
『そっか』
郁也はの態度はアッサリしたもんだった。
あからさまに嫌な顔を見せる訳でもなく、そういう子もいるよね…と、軽く受け流してくれた。
手を握る程度の幼いデートを終えて帰れば、郁也からラブメッセージが届いてきて。
『次のデートではリベンジさせて』
2度目のデートはアミューズメントパークだった。
皆が怖がるスクリューコースターも平気な顔で乗ってしまった。
(やっぱりアレが一番の間違いだったのかもしれない……)
郁也の後ろ姿に近寄りながら、これまでのことを反省した。
「郁也くん」
かけた声が震えた。
郁也はくるりと振り返り、一瞬、あ…っと口を開ける。
「ケ、ケイちゃん…?」
瞼をバタつかせ、疑うような顔をした。
「どうしたの。スゴい気合い入ってるね」
呆れるように聞こえるのは、さっきの二人のやり取りが頭の中に残ってるせいだろうか。
「…キ、キレイだよ」
それ、心から言ってる?
「今の……誰?」
耳や頬にキスするなんて、どういう関係なんだ。
「えっ?何のこと?」
しらばっくれるにも程がある。
「さっき一緒にいた子。赤いバラ柄の浴衣着たボブスタイルの女の子」
キュッと唇を噛んだ。
じっと上目使いに見ていたら、郁也が「はっ…」と息を吐いた。
「見られてたのか」
あーあ…と声を漏らされた。
「バレてるんなら仕方ないか」
視線を横に流し、開き直った態度を見せられた。
「向こうが本命。ケイちゃんは場繋ぎみたいなもん」
悪びれる様子もなく言いのける。
「…いつから!?いつからあっちと付き合ってるの!?」
せめて、私よりも後であって欲しい。
なのに、郁也が言った言葉はーーー
「んー?ケイちゃんと同じ頃だったかな。取引先の花見会に誘われて参加したら、彼女の方から告られたんだ」
ガツン!と頭をハンマーで叩かれたかのような痛みが走った。
郁也は自分から私に「付き合おう」と誘いつつ、他の子の告白も受けたのか。
「さっきの子、江東 梨乃(えとう りの)って言うんだ。デパートの玩具売り場に勤めるOLでね……」
スラスラと彼女の紹介を始める。
「………ふざけんな」
なんで無神経に紹介できるの!?
「えっ?何?」
デレっとした顔を見てるのもイヤだ。
「…ふざけんなっつったの!バカにするにも程があるでしょ!!」
人がどれだけ準備に時間をかけたと思ってるんだ。
朝からずっと自分に磨きをかけて、ドキドキしながらここへ来たというのに。
「キレられても困るよ。俺は最初から梨乃とここへ来る約束をしてたのに、ケイちゃんがそれをぶち壊したんじゃないか」
「なっ……」
言うに事欠いてそれ!?
「彼氏いない子に少しだけいい思いさせてやろうかと思ってたのにやめる。やっぱ梨乃と回るわ」
ズボンのポケットからスマホを取り出した郁也は、画面をタップしながら呟いた。
「似合いもしないのにド派手な浴衣着てさ。思いきりドン引きだよ」
鏡見てから来なよ…と言いながら電話に出た子に囁いた。
「梨乃〜?俺だけど……」
甘える声に虫唾が走った。
ぎゅっと手を握り潰し、堪忍袋の緒が切れてしまった。
「ふっざけんなっ!バカッ!!」