私は、人生でついてないと思う。
むしろかわいそうだとさえ思ってしまっている。

言ってしまえば、私は、悲劇のヒロインぶっているのだ。

私は、現在中学一年生である。

名前は、斉藤 愛和(さいとう あいわ)

小学3年生のころから、今に至るまでの5年間のことを綴ろう。

それは、三年のある日だった。

私はバスケを習っていた。

その日は、監督がおらず同級生のチームメイト
浅田 愛海は、男子チームにいる好きな子と遊んでいたのだ。しっかりしなければならないと思った私は、それを注意した。
が、それが癪に障ったようだった。
その日はそれで終わりだった。

次の日のことだ。
次の日は試合であった。アップの時間たまたま愛海と目が合ってしまった。
その時腹を立てていた愛海は、私に
「キモイからこっち見ないで。」
と言われたのだ。

これが始まりだった。
学校での悪口(陰口)はもちろんのこと、バスケではほかの子を巻き込んで悪口(陰口)を言ったりしていた。
やつは、裏でしか悪口を言わないのだ。
時にはすれ違いざまに、
「死ね」
なんて言われたりした。
考えてみれば悪口しか言われていないが、
みなさんが想像するよりこれははるかに辛いことだ。そして、それは今も続いている。

私は、一人だけ味方を作った。
名前は、加藤 藍屋。
藍屋は、謙虚でキチガイだが、とても優しい子である。

また別の日の試合で、悪口(陰口)を言われた私はついに泣き出してしまった。
ただ、愛海は父兄の方に怒られると思ったので謝りに来た。わたしはそういう時なぜ許してしまうのか。今でも後悔することは多々ある。

こんなケースは少なくなかった。
町での祭りのダンスにチームで出た時も、陰口が聞こえてしまって泣き出してしまった。その時も同じ理由で謝られた。(結局怒られたのだけど。)
そんな時藍屋にいつも励ましてもらっていた。
本当に感謝している。

私は、家に帰って紙に沢山死ねと書いたりしていたが、怒りは今でも収まることはない。

それは二年ほど続き、4年の頃収まった。

5年、6年の時は普通に仲良くしていた。

ただ6年の終わりにいろいろなことが変わり始めていった。

バスケの卒団式からだった。

わたしもバスケを卒団するということで、卒団式に参加した。
式の時、愛海と仲の良い珠侑という子に、自分のことをどう思っているのかを聞いてもらった。珠侑は、筆談をしていたのだが、その上は今も残っている。
紙には、
〝本当は、苦手じゃなくて嫌い。
でも嫌いっていうと、中学も一緒だし一緒にいる人いないからさ。〟
と書いてあったのだ。
仲良くしてたので傷ついた。
そんな思いで私といたのか…

でもその時はなんとなくスルーした。

卒団式が終わり、春休みに入ると、
珠侑と私と愛海で、映画を見に行った。
ただ…愛海が、わざと珠侑とだけ仲良くしたりあからさまな嫌がらせをするので、私は、腹が立って二人だけで行動された時、電話で親を呼んで途中で帰った。

それには、愛海もきづいたようで、
その後LINEで謝ってきた。
私は、本当に怒りがたまっていたので
しばらく許さなかったが、とうとう許してしまった。あのことはいまでも後悔している。
なぜなら…
謝ってきた本当の理由を知ってしまったから。