「だから、両親の事も生まれた場所も知りません」


葵は、穏やかな声で緋月にそう告げた。

寂しいと、思っていた時期もあった。

葵だって、生きているから。

人恋しくなることだって、あるに決まっている。

でも、やっぱりそれを受け入れてくれる人はいなかった。


「何度私の世話役の老婆に聞いてみても、一度もはっきりと答えてくれたことはありません」


知らないと、一言だけでも返してくれるのならばいい方で。

聞いたって見向きもせず、一言すらもくれないことだってあるから。

葵はずっと、ここで独りぼっちなのだ。


「それでもいいのです、このままで。
ここに暮らしている人々を、私が守れるのなら」


葵はきっと、ここで生涯を通して神に仕えて生きる。

それはもう、決められたことだから。

きっと、覆すのはとても難しい。

たとえ辛くても苦しくても、逃げられない。

でも、それでいい。

逃げても、帰るべき場所がない。

葵を閉じ込める、まるで飼い慣らされた小鳥が囚われる、鳥籠のようなこの神社。

ここにしか、葵はいるべき場所は存在しないから。



「……そうやって、諦めているのか。
一度生まれ落ちた日に、誰しもが等しく与えられたはずの自由も。
我々神は、一度は等しく必ず与える。
それをどう抱えて生きるのか、あとは個人の勝手だが……
あぁ、そうか。
お前は、その与えられた全てのものを、捨てて諦めたのか」



穏やかな葵に、緋月が怒りを含む低い声で言う。

それを聞いていた葵の表情から、穏やかさが一気に消えた。


「……それとも、なんだ。
自身には、ずっと幸せを望むなと言い聞かせているのか?」


更に告げられる緋月の言葉に、葵の顔から完全に表情が消えた。

それを見ていたた緋月は口の端をつり上げ、不気味な笑みを浮かべる。


「図星か」


葵は、返事が出来なかった。

緋月の言う通りだからだ。

当たり前のように、幸せになる事を拒んできた。

それが巫女だと言い聞かせ、葵は贄の儀に耐えてきた。

誰にも見破れなかった、葵の心の中の思い。

それを緋月は、あっさりと言い当ててしまった。


「その、通りです……」

「やれやれ……。
巫女とは、不憫だな」


まるで独り言のように呟かれた、緋月の言葉。

その言葉が耳に届き、奥底で響いた瞬間。

何もなかった葵の無感動な心に、狂おしいほどの怒りが込み上げてきた。

『不憫』

葵をこの社に縛りつけ、あまつさえ両親や自由まで奪う神が。

神であるはずの緋月が、それをまるで独り言のように言ってしまうのか。