橘邸を後にし帰宅すると、ニコニコ顔の愛里からお礼の言葉を受け自室に入る。ルタの時と同じように、レトも勝手に入って来るかと思いきや、自室ドアの少し離れた位置で座り込み勝手に部屋に入る様子はない。
(もしかしてちゃんとプライバシーとか考えてくれるタイプ? でも、千尋ちゃんの部屋には勝手に入ってたか……)
 分からないことだらけでレト本人にいろいろ聞きたいところだが、話し掛け辛い排他的オーラを発しており近付けない。
(下等生物とか言われたし、私の方から折れるのはちょっと違うよね。よし、私からは一切話し掛けないようにしよう!)
 レトへの接し方を決めた玲奈は、自宅は当然のこと学内でも居ない存在として扱うことにする――――

――翌日、通学や講義中、昼食と全てのシーンでレトは着いて来る。予想はしていたものの、ここまで着いて来られると気分が悪い。人気のない屋上まで来ると玲奈は堪らずレトを呼ぶ。
「レト、ちょっと来て」
「何だ?」
「守ってくれるのは嬉しいけど、これじゃずっと監視されてるみたいで、まともに生活送れない。せめて私の目の届かないとこから守って」
「俺は人間の命令は受けん」
「命令じゃなくてお願いなんだけど?」
「同じだ。聞いてやる必要がない」
(コイツ性格悪すぎる)
「ちょっと聞いておきたいんだけど、ルタになんて言われてきたの?」
「玲奈の命を守ってくれと言われた」
「じゃあ、私が病気になったりして命を縮めることになるのはダメよね?」
「ダメだな」
「このままレトに監視され続けたら、精神的に参って一週間で体調悪くなれる自信があるんだけど」
「そう来たか」
(さあ、どう出るかしら?)
 じっと見ていると、レトは黙ったまま玲奈に近づき、両肩を掴むと唇を重ねようとする。
(うぉぉい!)
「ちょっと! 何すんの!」
 玲奈は慌てながら両腕でレトの胸を押し返すが、
「キスだけど」
 レトは無表情でそう言い返す。
「いやいや、意味分からないし! 何で私がレトとキスしないといけないのよ!」
「ん、キスして俺のこと好きになれば、ずっと傍にいてもストレスにならないだろうと思って」
「なるほど、名案ね。ってそんなわけないでしょ! 私の恋人は……、ルタ、だけだし」
 玲奈は照れながら答える。
「じゃあ、俺のこと好きにならない?」
「ならない。私のことを下等生物なんて言う相手を、好きになれるわけがないでしょ?」
「じゃあ、玲奈って呼ぶ」
「じゃあって問題でも無くて、貴方って心の底では人間全てを蔑視してるでしょ? そういう心根を持っている時点で好きになれないってことなのよ」
「なるほど」
(危なかった。もうちょっとで唇奪われるとこだった……)
「じゃあアンタに一つ聞きたい」
(もう玲奈からアンタになってるし……)
「なに?」
「人間は好きか?」
(何気に重いテーマぶっ込んで来たぞ。今の私なら好きって普通に答えるのが筋だけど、人間の黒い部分も身を以って体験してきたのも確かなんだよね。人間の破滅を心底願ってたこともあるし)
「正直言うと、好きな人間もいるし嫌いな人間もいる。世の中、綺麗ごとが通用しないのも知ってる。そんな中でも、素敵な想いを分かち合える、かけがえのない人間もいる。人として生きて行く中で、嫌な出会いもあるけど、今の私は手に入れた素敵な人達がいるから、好きと言えるかな。レトは何で嫌いなの?」
 玲奈の問い掛けにしばらく目を閉じて黙っていたレトだが、意を決したように口を開く。
「俺は、人間の汚い部分をたくさん見てきた。アンタの住むこの日本という地は恵まれ過ぎてる。貧しい国では争いが絶えず、暴力と憎悪が無くなることなく増幅している。産まれたばかりの子供が犠牲になる光景を見たことがあるか? 生きる為に家族を犠牲にした者の涙を見たことがあるか? 俺は人間の欲望の為に消えて行く命を嫌というほど見てきた。そして、人間は生まれながらにして悪なんだと悟った。アンタの言うように中には善い人間もいるだろう。しかし、世界中のほとんどの人間は自己中心的で欲望の塊だ。そんな自分勝手で愚かな人間なぞ好きになれるわけがない」
(人間の一面とは言え、レトの言ってることに間違いはない。確かに私は私の短い人生観でしか人間を計れていないし、甘い考えなのかもしれない。過酷な状況下で人間の黒い部分ばかり見てきたら、私だってレトにように考えてたかもしれない。けれど……)
「でも、さっき私にキスしようとしたでしょ? それって私に好きになって貰いたいってことだよね? つまり、レト自身が優しい人間像を求めてるってことにならない? 人間が好きだからこそ、憤り、悩み、傷ついてきたんじゃないの? 辛い過去があったのは悲しいことだけど、そんな過去を良い方向に変えてくれるのも人間だと思う。私なんかにそれが出来るなんて断言しないけど、レトの受けた過去の傷をちょっとでも軽減できるように、良い人間のパワーってヤツを見せてあげる!」
 玲奈は笑顔で言い切る。
「傲慢だな。アンタに何か出来るとは思えないが」
「まだ知り合って一日でしょ? 判断するには早過ぎ。最低でもレトが見てきた黒歴史の期間くらいの猶予は頂戴」
 レトは黙ったまま突っ立つていたが、翼を広げると空に舞う。
「一ヶ月見てやる。その期間は視界に入らない距離で居るが、ダメだと思ったら監視に切り替える。いいな?」
「臨むところよ」
 玲奈の返事を受けると、レトは見えなくなるまで空の彼方へ飛んで行く。
「本当に見えないところまで行ってくれた。私のガードを引き受けてる時点で、優しいヤツだと思うんだけどな」
 今から一ヶ月でレトの人間嫌いを少しでも軽減出来るのか、ちょっと不安になりながら屋上を後にした――――


――夕方、赤門を潜ると珍しい組み合わせの人物たちが玲奈を待っている。
「玲奈さん、お疲れ様です」
 笑顔の千尋に対して、隣の葛城は緊張した顔をしている。
「千尋ちゃんに葛城さん。珍しい組み合わせだね。どうしたの?」
「お仕事の依頼です」
(討魔の仕事か。葛城さんがいるのにも関わらず、私にも誘いが来るってことは……)
「ベルフェゴールクラスってことね?」
「ご明察です。詳しいお話はリムジンの中で、現地に向いながらということで」
「了解」
 広い後部座席に座ると、いつも通り紅茶が出てくる。こんな状況でも千尋はもてなしの心を忘れない。
「そういえば恵留奈は? エレーナがいないとベルフェゴールクラスはヤバイでしょ?」
「えっと、今から依頼について説明しますね。その中でエレーナさんのことについても触れますから」
 そう言うと、千尋はテーブルに一枚の地図を開き説明を開始する。
「今回の依頼場所は富士山の地下洞窟です。そして、この地図は洞窟内のマップです。この地下で悪魔のクローン培養をしている施設があるそうで、その殲滅が依頼内容です。しかも特殊任務」
「特殊任務?」
「玲奈さんは神域ってご存知ですか?」
「天界の中でも更に深い領域でしょ?」
「はい、この神域には悪魔は入れません。この逆、魔域とも呼べる場所がこの洞窟なんです。神域や魔域は世界中にいくつか存在しますが、天界等と同じように反属性の対象は侵入不可です」
「だから天使の恵留奈は入れない、ってことね?」
「はい、入れるのは人間と悪魔だけです。天使は存在出来ずに消滅してしまいます。必然的にデビルバスターである我々に依頼が来たのです。前回のベルフェゴール戦と違い、先見隊もいません。ゆえにターゲットが明確ではありませんが、魔域に七柱レベルが居ないなんてことはまずないでしょう」
(七柱か。う~ん……)
「千尋ちゃん。私、討魔経験少ないから判断間違ってるかも知れないけど、今回厳しくない?」
「はい、かなり厳しいと思います」
「やっぱり。葛城さんはどう思います?」
「まず全滅だと思います」
(そんなにはっきり言われると困る。死にに行くようなもんだし……)
「葛城さんのことですから、何か策あるんですよね?」
「もちろん策は考えてます。しかし、俺自身も魔域でのハントは初めてで、策が成功するかどうかは未知数。まあ、玲奈様の命だけは守りますよ」
(非常に行きたくない……)
 黙り込む玲奈を見て千尋は察する。
「玲奈さん、ご辞退されるのでしたら構いませんよ。葛城さんも今回の件は、最初から玲奈さんを外すべきと主張してましたし」
(葛城さん、本当に私を守ることを一番に考えてくれてるんだ。それに比べてレトときたら……)
 千尋に斬り掛かっていたシーンを思い出してイラッとくる。
「俺的には今回の依頼うんぬん抜きに、デビルバスター自体辞めるべきだと思ってるよ。生死の危うい仕事なのに、見返りのない名誉職みたいなもんだしな」
 葛城の意見に千尋は反論する。
「私は名誉職だからこそ、やり甲斐があると思いますよ。自分自身の良心に基づいた仕事。光栄ではありませんか」
「まあ千尋ちゃんの意見もアリだが、大事な女性を危険なことに巻き込みたくないって思うのは真理だろ?」
「はい。それには同意です。玲奈さん、どうなされますか? 私たちは決して強制しませんし、当然ながら何があっても恨んだりもしませんよ」
(普通に断りにくい聞き方です)
「あのさ、いつも思ってたんだけど、千尋ちゃんって死ぬの怖くないの?」
「昔は、怖くなかったです。失うモノも悲しむ者もいませんでしたから。でも今は……、言わせないで下さいね」
 照れる千尋を見て、恵留奈のことが容易に想像され、玲奈も照れてしまう。
「だからこそ、死なない為に強くなり、あの方と一緒に笑える為に戦うんです。悪魔による被害者を少しでも減らしたいから」
(千尋ちゃん……)
「あの、葛城さんは?」
「怖くない。俺は命懸けで玲奈様を守る。そのために死んだとしても本懐だ」
(武士だなこの人……)
 異なる意見ながらも、使命感を以って命懸けで臨む二人の言葉を受け、玲奈は考え抜き決断を下した。