春、掲示板に合格番号が張り出されると同時に至る所で歓声が上がる。全国的にも有名でマスコミにもよく取り上げられているが、東大ではアメフト部が合格者を胴上げするのが通例となっていた。ご多分漏れず、今年の春も同光景が見られ、宙に舞う元受験生達は歓喜の表情を見せる。
 腰まで伸びた長い黒髪、セーラー服に紺のダッフルコートを着た八神玲奈(やがみれいな)は、自分自身の番号を無表情で確認し、その歓喜の脇を黙って後にする。傍目から見ると不合格者と見間違われたに違いない。
 東大から足をのばし、神保町の馴染みとしている古本屋に向かうと真っ先に店長のところに向かう。玲奈に気付いたのか店長の橋爪(はしづめ)が手を挙げる。大学院生で時間がたっぷりあるのか、店長になるほどこの店で働いていた。取り扱い書籍がマニアック過ぎるためか、店内はいつも閑散としており、玲奈としては居心地が良い。
「よう玲奈ちゃん、早かったね」
「本」
 ぶっきらぼうに要求する玲奈に苦笑しながら、橋爪は棚にある全装真っ黒い本を取り出す。受け取るとカウンター前というのもお構いなくざっと目を通し始める。橋爪も馴れているのか黙ってその様子を黙って見つめている。数分後、玲奈は微笑みを浮かべつつ本を閉じた。
「いくら?」
「ははっ、気にいってくれたんだ。それね、先週のフリマで偶然見つけてさ、安く買えたんだよね。玲奈ちゃんが好きそうなヤツだったからすぐ一報入れたんだ。定価は八万なんだけどね」
「どうでもいい、値段言って」
 安くゲットした自慢話をぶった切って、玲奈は無表情で聞き返す。
「玲奈ちゃんは超常連だし、特別に一万円」
「却下」
 値下げ交渉も無表情で端的に主張する。
「も、もしかして玲奈ちゃん、僕がフリマでゲットした値段で買おうとしてる?」
 黙って頷く姿を見て橋爪は溜め息をつく。中学時代から面識があり、玲奈が何事にも引かない性格というのを痛い程理解していた。
「分かったよ、本当に玲奈ちゃんには敵わないな。二千円ね」
 オーナーに怒られることを覚悟の上で橋爪は言い値で売る。財布から二千円を出すと玲奈は本を鞄に詰めて踵を返す。礼も言わず立ち去ろうとするその様子に声をかけた。
「あ、今日って東大の合格発表だろ? どうだった?」
「合格」
「さっっすが玲奈ちゃん。来月から同じ大学だね。構内でも仲良くしてよ」
 下心ありありの発言に、玲奈は敢えて無視して店内を後にした――――


――夕方、近所の神社で手に入れた本を熟読する。表紙には『清明式黒魔術論』と書かれてあり、怪しさを通り越して不気味さが漂う。
 オカルトに傾倒している玲奈は黒魔術や呪いといった分野に目がなく、当然の如くこの趣味を理解してくれる者もいない。
 仏閣で黒い本を読むという行為も悪魔的で背徳感をそそられるという真っ黒な理由から行っていた。幽霊なぞ自分の作製した悪魔的呪物によって何とかなるとも思い込んでいるので目下怖いものナシである。
(夕日が沈む。暗くなる。早く世界を、私を闇で包んで……)
 夕闇に包まれ暗くなる神社の階段に座りながら玲奈は悦に浸る。こんなところに誰かと出くわしたら、人間じゃなく幽霊でなくても間違いなく恐怖で逃げ出すだろう。
(あぁ、世界の滅びが見たい。人類が滅んだ後の清々しい世界を一人で嘲笑したい……)
 大好きな妄想の世界に入り浸りながら玲奈は笑顔になる。数年前、玲奈が崇拝していたノスタルダモスみたいな名前の人物がいたが、終末予言が見事にハズレてからはただのホラ吹きオヤジに成り下がる。
(マヤ歴。今はマヤ文明の終末時計説を信じるしかない! 愚かな人間どもが早く滅んでほしい)
 玲奈は物心ついたときから優しく想いやりある少女だった。美人というほどでもないが明るく人望もあり、学校でも人気者だったが、転校した先で方言を理由としたイジメに遭い性格が反転する。そして、喜怒哀楽を表に出さず、ただじっと中学生活を送っていた。
 高校に入ってもそれは変わらず、三年間で友人と言える人物は一人として出来なかった。そのためか、家庭内でも一人浮いていて、リア充な姉と弟に挟まれ空気になることを旨として過ごしている。そんな玲奈の溜飲を下げたのが呪いであり悪魔的儀式だった。
 実際に効果があるとは思っていないまでも、空想したり実行することにより、精神的な安定が保たれていたのだ。人間の汚い部分ばかり見てきた玲奈にとって、この悪魔崇拝が唯一のよりどころと言える。
「人間なんてみんな自己中心的で、地球のカスよカス」
 ぶつぶつと独り言を言っていると、突然神社の裏で大きな物音がする。無感情の玲奈でもさすがにびっくりし動揺する。
(不審者かしら?)
 自分のことを棚に上げ、恐る恐る神社裏に足を運ぶ。この世で怖いのは、幽霊でも悪魔でもなく人間だという認識を持っているので、輪をかけて慎重になる。
 忍び足で裏側まで行くと倒れている人間の足が見え、その足だけを見て玲奈は直ぐに隠れる。一瞬しか見ていないが春先とは言えまだ寒い時期なのに裸足で短パンぽい服装だ。
(うわ、足しか見てないけど、生足だしきっと変態だ。早く逃げよ)
 逃げ出そうと決意し階段に置いてあるバッグを担ぐと、ふと気になることが頭をもたげもう一度現場に戻る。いつもオカルト本等で見ており、当たり前のように感じ過ぎていて違和感がなかったというのもある。足音に気をつけながら倒れている人物に近づき、その姿を確認すると見間違いではなかったとのだと理解した。その倒れている人物の背中には、大きく真っ白な羽が生えていたのだ。