あれから、あの祭りの日から、3日が過ぎた。
 わたしは変わらずウタビトの所に通っていたけれど、彼は唄うことなく、ただいつもの場所に座ってボーっとしているだけだった。
「………ウタビト?」
 今日もいつも通りに商店街に来たわたしは、
 呆然と座るウタビトに声を掛けた。
「……」
 けれど彼はそれに答えず、いつもの鞄を抱き締めて、ただジッと座っている。
 ………ショックを受けるのも、無理はない。
 ずっと捜して来た恋人は、実は……
 もしわたしが同じ立場でも、同じように座っているだけだったろう。
 でも……
「ねぇ、ウタビト」
 答えが無いのも構わずに、わたしは声を掛ける。
 このままだと…駄目な気がするのだ。
 このまま彼が座ってるだけなんて、あの人の望むことじゃないと思う。
 だって……
「ウタビト」
「俺は“ウタビト”じゃねーよ」
 なおも呼びかけると、ウタビトはポツリと言葉を漏らした。
 目は何処を見てるか分からないまま、唇だけが言葉を紡ぐ。
「俺は、“ウタビト”じゃねーよ。本当は…」
「聞きたくない!」
 虚ろな声で続く言葉を、わたしは咄嗟に遮っていた。
「あんたの本当の名前とか、そんなのどうでもいい!!
 でも、あんたがこのまま此処に座り続けるだけなんてのは認めない!!
 あの人が最後に何て言ったか、あんた聞いてなかったの!?」
 『ありがとう』と。彼女はありがとうと、確かにそう言ったのだ。
「………………さーな。……忘れた」
「っ!!」
 ただ虚ろな声で言ってくる言葉が、酷くわたしの頭を熱くした。
 勢いを付けて立ち上がり、俯くウタビトの頭を睨み付ける。
「あんたなんかに、彼女に想われる資格無いっ!!
 心からのお礼を受け止めること出来ないあんたなんか、
 あの人の恋人なんて言わない!!」
 言葉を叩きつけ、走り出した。
 人の間を抜け、商店街を駆け抜ける。
「ジョシコーセイっ」
 後ろから呼びかける声が聞こえた気がしたけれど、無視した。
 とにかく、今はアイツから離れたかった。



 その言葉を聞いた、街の人々の顔が曇った。
 そして、彼らは言った。
 あの女の子も…数ヶ月前に亡くなったというのだ。





 次の日。わたしは、また商店街に向かっていた。
 さすがに…昨日は言い過ぎた気がしてきて、アイツのことが心配になったのだ。
 それでも……間違ったことを言ったつもりはないけれど。
「だって…あのままなんて、絶対におかしいもん……あれ?」
 道路に人だかりを見つけ、わたしは呟きと足を止めた。
 滅多に渋滞も起こらないような交差点に、たくさんの人が集まっている。
「……どうしたんだろ」
 なんとなく胸騒ぎを覚えて、人ごみの中に入ってく。
 どうやら、交通事故が起こったらしい。
 断片的に耳に飛び込んでくる話を総合してみると、誰かが幼い女の子を庇って車に轢かれたそうだ。
 ……誰、が?
「っ!!」
 人ごみの最前に来たわたしは、息を呑んだ。
 事故現場らしくブレーキ跡が残る道路。
 その冷たい路面に力なく横たわった、銀色の髪のブランドスーツ……
「ウタビトっ!!」
 咄嗟に、彼へと駆け寄る。
 膝をついて呼び掛けると、微かに彼の体がピクリと動く。
「……っ……ジョシコーセイ……?」
「なんで!?なんであんたが!?」
 ワケが分からず、問い掛ける。
 コイツがなんでこんな事をしたのか、全く理解できなかった。
「さーな…今度は助けたかった…のかねぇ」
 皮肉な笑みを顔に上らせて、
 何処を見てるか分からない目でウタビトは呟く。
 けれど、そのサングラスの向こうの瞳が誰を見ているかは、分かった。
「………ウタビトっ」
「なー……ジョシコーセイ。
 あの、本……あの…童話の、結末…俺、本当は知って…」
 力なく、彼の指が離れた場所を指差す。
 その方向、冷えた路面には彼の鞄の中身が散らばっていた。
 童話の本、携帯電話、煙草、ハンカチ。そして…サイフから覗く免許書。
 "彼"の、本当の名前が書かれているだろう、身分証明書。
 けれど、わたしはそれを見たいと思わなかった。
 コイツが何者だろうが――名前が何だろうが、どうでもよかった。
 コイツが誰であれ、コイツは…人の名前を呼ばなくて、偉そうで、
 歌が巧くてアークロイヤルの良い香りがしたコイツは、“ウタビト”でしかないから。
 たとえ本人が認めなくたって、コイツの呼び名は“ウタビト”しかない。
「ハッピーエンドってのは…そう無ぇもんだな……」
 ただ静かに呟いて、唐突に彼の言葉は途切れた。
 後に訪れる、冷たい沈黙。
 到着した救急車のサイレンも、周りの人の声も、何も耳には届かなかった。
 ただ…話さなくなった彼の銀色の髪の毛を、ジっと撫で続けていた。



 旅人は泣いた。
 二つの墓標に花を捧げて、後悔した。
 何故、“今”を大切にしなかったのだろうと。
 今、自分の歌を聴いてくれた少女のために、
 唄ってやらなかったのかと。





 3年後。
 夜の商店街に、1人の唄う女性が現れる。
 目にはサングラス、口ずさむのはマザーグース、そして香る煙草はアークロイヤル。