「わー!スゴイじゃない、美咲ちゃん」
 並ぶ提灯の下、的屋の前に女性の明るい声が響く。
 紙で出来た小さな網――ポイを手にしたわたしは、その声に少しばかり照れて笑ってみせた。
 左手に持った小さな鉢には、3匹の赤い金魚が泳いでいる。
「器用なのね。さっきの射的でも、くまのぬいぐるみ獲ってたし」
「まー…慣れてますから」
 はしゃぐ声に、曖昧に笑う。
 この祭りにはわたしが幼稚園の頃から来ているし、父が祭り好きなのもあって、的屋での遊びには多少の自信があった。
「はー……凄ぇもんだな、ジョシコーセイ」
 女性と反対側から、煙草を咥えたウタビトがひょいっと顔を覗かせてきた。
 さっきまでの調子悪さは何処へやら、飄々とわたしが手にした鉢を覗き込んでくる。
「慣れてるだけだって。……それより、体調はもういいの?」
「ん?あー……まな。………」
 微笑と共にそう答えてくるが、どうも歯切れが悪い。
 時々こめかみの辺りを押さえながら、反対側に居る女性を見ている。
「………気になるの?彼女」
「あ?あー……気に……」
 声を潜めて訊ねると、これまたはっきりしない返事が返ってきた。
 ゴニョゴニョと口の中で言葉を咀嚼しつつ、何か考え込んでいる。
「……ねぇ」
「はいっ!?」
 唐突に声を掛けられ、わたしは女性を振り返った。
「美咲ちゃん、彼氏居るの?」
「い、いいえ!!」
 いきなり問われたことに、咄嗟に首を横に振る。
「そう……ねぇ、美咲ちゃん」
「……なんですか?」
「もし、誰かと付き合ったら…後悔する別れ方だけは、しない方がいいわよ」
 彼女がいきなりそんなことを言い出した理由は分からなかった。
 けれど、切なげに微笑う横顔と声に、反射的に頷いていた。
「……ごめんね。いきなり……次、行きましょ。私、ヨーヨーが欲しいわ」
 わたしが頷くのを見た女性は、打って変わって弾んだ声で言うと、さっさと歩き出してしまう。
 的屋のおじさんに鉢の中の金魚を袋に入れてもらうと、ウタビトと一緒に慌ててその後姿を追いかけた。





 その質問に、旅人はハっとした。いつか誰かに、同じことを言われた気がする。
 何故か不安にが襲ってきて、旅人はその子の居る街から飛び出した。






「あー楽しかった」
 再び帰って来た川辺、三人並んで流れる蝋燭を見ながら、女性が笑顔でそう言った。
「美咲ちゃん本当に器用なのね。お陰で楽しかったわ」
「それは、よかったです」
 明るい声で笑う女性に、微笑みを返す。
 わたしの両手には、今日の“戦利品”がたくさん抱えられている。
「それで…ウタビトさん。私の名前は分かったかしら?」
「んん?あー……さーな」
 女性の問いに、ウタビトは誤魔化すように笑ってみせた。
 また頭痛がするのか、額を手で押さえている。
「そう……」
 その答えに、女性は寂しそう微笑んだ。
 その表情のまま、川を流れて行く蝋燭に視線を投げ掛ける。
 頼りなげに揺れる火が、女性の瞳の中に映る。
「…………」
「……わたしも」
 沈黙に耐えられなくなり、わたしは口を開いた。
 川面を滑る灯を目で追いながら、
 刻み付けるような気持ちで口を開く。
「わたしも、楽しかったです。来年も…このメンバーで来たいって、思うくらい」
 それは、わたしの偽りない気持ちだった。
 強引な彼女のペースに振り回されはしたけれど、本当に楽しかったから。
「……来年か…それは、無理ね」
「どうしてですかっ!?」
 バっと振り返って問い掛けるが、女性はただ黙っているだけだった。
 不意に、小さな声で唄いだす。

 Hey, my kitten, my kitten,
 And hey my kitten, my deary!
 Such a sweet pet as this
 There is not far nor neary.
 !!

「それ!!」
 わたしが声を上げるのと、ウタビトの方が跳ね上がるのは同時だった。

 Here we go up, up, up,
 Here we go down, down, downy;
 Here we go backwards and forwards,
 And here we go round, round, roundy.


 どこか祈るような声音で、女性は唄う。 
 分からないはずなかった。
 あの商店街で、男の声で紡がれる歌を、何度も隣で聴いた。
 ……マザーグース
「ありがとう」
 唄うのを止め、女性が笑った。
 柔らかに、密やかに。その笑みが、不意に溶けるように薄らいでいく。
「待って!!」
 手の中の荷物を放り出し、わたしは女性に手を伸ばしていた。
 だって、間違いなく彼女は、彼の――
「………さくら!!」
 不意に、ずっと黙っていたウタビトが声を上げた。
 わたしには初めてになる裸眼で、女性を見つめる。
 母親に置き去りにされた子どものような表情で、必死に手を伸ばす。
「……」
 それに答えるように、一度、女性の唇が動いた。
 何て言ったのか、わたしには分からなかった。
 けれど、その一言で硬直したウタビトの様子を見れば予想が付いた。
 ……本当の名前だ。多分。彼の……
「さよなら…ありがとう」
 ふっと、女性は消えた。
 夢のように、暗闇に溶け込むように、唐突に消える。
「……っ」
 必死で何かを叫ぶウタビトの声が聞こえたが、それもただ風に攫われる。
 後には、何も無かったような静けさと、蝋燭の灯、それと呆然と佇むわたしたちだけが残された。


 数年後、花束を手に、旅人はもう一度その街を訪れた。
 街の人たちに、彼は言ったという。
 あの子の亡くなった母親こそが、僕の恋人です。