「……すばらしい!」

 僕が、30時間以上をかけて。

 歌い続けていた20万桁の『円周率』という歌をようやくやめたとき。

 目の前に座って、ずっと記録をとっていた井上教授が。

 立ち上がって、握手をしに来た。

 眼鏡をしているから面倒だと。

 女性なのに、化粧一つしない素朴な顔が、喜びに輝いている。

「すごいですよ、大滝さん!
 1ヵ月後の本番でも、同じ事が出来れば。
 あなたは、円周率暗記の世界記録を大幅に塗り替えるでしょう。
 今回は、ちゃんとした準備をしていないので、公式記録には載せられないのが残念です」

「……」

 僕は、何とか微笑むと、ペットボトルに残った最後の水を全部飲んだ。

 ……疲れた。

 実際に記憶している、と言う事と。

 それを公式ルールにのっとって発表できるのは、別だ。

 暗記していた円周率の数字をずっと喋っている間は、他に何も出来ない。

 実に、丸一昼夜に渡り、まともに食事を取ることも、眠る事もできなかったから。

 僕の身体は、ありえないほどの、疲労と空腹でがちがちになっていた。

 でも。

 体力と記憶の限りを尽くして、数字の羅列を唱える事は、嫌いじゃなかった。

「こんな膨大な数字を、あなたはどうやって覚えているんですか?」

 やっぱり、語呂合わせですかね?

 と首を傾げる井上教授に、僕は笑って答えた。

「いいえ……違います」