霧里町に降り立った時のことはよく覚えている。

肌を切り裂くような冷たい空気はどこまでも透明で、静寂という単語の本当の意味を玲二は初めて知ったような気がした。
自然に降り積もったなんて到底信じられない、誰かの意思が介在しているとしか思えない高く厚い雪の壁は、全ての色と音を呑み込んで、真っ白な世界を創り上げていた。

雪が反射し目に眩しいほどに明るいのに、まるで闇の中にいるようだった。

与えられた寿命が尽きるのをただ待つだけの玲二にはぴったりの場所だとそう思った。

◇◇◇


「もうさ、余生を過ごすみたいな気持ちでここに来たんだ。今さら、東京には戻れないし、戻りたいとも思わない。
この街でひっそり暮らしていこうかなって‥‥」

玲二はそこまで言って、思わず自分の言葉に笑ってしまった。
修はまるで自分のことのように辛そうな顔をしている。中原さんはじっと玲二の言葉の続きを待っていた。
長洲はむすっとした怒ったような顔を向けている。

「けどさ、千草ばあちゃんの作ってくれる飯は美味いし、ヨネは可愛いし、びっくりするくらい星空は綺麗だし‥‥」

この街は玲二にとって、ちっとも闇なんかじゃなかった。
修は眩しいほどに真っ直ぐで純粋で、一緒にいるだけで癒された。
長洲は東京での自分を見ているようで、どうしても無視できなかった。彼女の変化を自分のことのように嬉しく思った。
中原さんはどこか菜々子を思い出させた。自分にはない強さに憧れた。

「東京ではもう感じなくなってた楽しいとか、嬉しいとか、そういう気持ちをたくさん思い出しちゃって‥‥菜々子はもうなにも感じることが出来ないのに‥‥」

修と中原さんの目には涙が浮かんでいた。長洲だけがやっぱり怒っていた。
どうやら、怒りが臨界点に達したようただ。

「ばっかじゃないの⁉︎ 修もみちるちゃんも、泣いてどうなんのよ。泣いたらその子が生き返るわけ?」

そんな風に言った長洲の瞳も涙で潤んでいた。玲二だけが泣けなかった。菜々子が死んだと聞いたあの時もつばきと最後に話をしたあの時も、どうしてか涙は出なかった。

「一番馬鹿なのは五條、あんたよ。悲劇のヒーローにでもなったつもり? そんで、死んじゃったその子を勝手に悪役にするの⁉︎ 」

「私もそう思う。五條君の気持ち、わからなくはないけど‥‥その子に失礼だよ。
聴力を失っても毎日笑って過ごせるくらいに強い子だったんだよね。 そんな子が五條君につまらない人生を送ってほしいなんて思うかな? 精一杯生きて欲しいって思ってるんじゃないかな⁉︎」

ーーそうなんだろうか。
菜々子、菜々子。 もう一度だけでいいから、君と話がしたい。
今、どんなことを思っている?
あの時、何を言おうとしたの?
あの手紙には何を書こうとしていた?
聞きたいことがたくさんある。
伝えたいこともたくさんあるよ。