思えば、つばきもこの日は様子がおかしかった。つばきはワガママだけど、それは幼い子供のように無邪気なものだ。
あんな風に露骨に菜々子に敵意を剥き出しにするのは、つばきらしくなかった。

「えっ⁉︎」
つばきの家と玲二の家は最寄り駅が同じだった。玲二は徒歩、つばきは駅からバスに乗るので、いつものように玲二はつばきがバスに乗るまで見送るつもりだった。だけど、雪の影響で少し遅れて到着したバスにつばきは乗らなかった。

「玲二の家に行きたい」

いつもの甘えた態度じゃなくて、いやにきっぱりとした口調でつばきは言った。

「今から?この雪、止む気配もないし帰れなくなっちゃうよ」

「‥‥‥‥」

つばきはうつむいて、柔らかい唇をきつく噛み締めていた。

「また今度遊びにおいでよ。 ね?」
玲二はそう言って話を終わらせようとしたけど、つばきはひかなかった。

「帰れなくなってもいいもん。玲二のご両親、最近あんまり帰ってこないって言ってたじゃない」

つばきの言う通り、元々不在がちだった父親に加えて最近は母親も何かと理由をつけては帰ってこない日が増えていた。
玲二は誰もいない真っ暗なリビングを思い出す。さらに言えば、隣につばきがいても菜々子のことばかり考えていることに少なからず罪悪感も抱いていた。

「あんまり遅くならないうちにタクシーで帰るなら‥‥」

つばきへの罪ほろぼしのつもりなのか、気がつけば玲二はそう返事をしていた。
言い訳にしかならないだろうけど、この時はつばきの為だと玲二は信じていた。
自分の行動が大きく間違えていたことを知るのはずっと後のことだ。

なぜ、今日このタイミングでつばきがこんなことを言い出したのか。
いや、つばきがどんな女の子でどんなことを考えているのか。
それすらも玲二はわかっていなかった。

随分と長い時間を一緒に過ごしていたのに、玲二はつばきを見ていなかった。なにも知ろうとはしていなかった。

つばきの身体は玲二が想像していた以上に甘く柔らかで、それは夢のような時間だった。そして、目が覚めてしまえば全てを忘れてしまっていて、何も残らない。そんな空虚さもまるで夢のようだった。

午後6時12分。窓の外はゴウゴウとうなるように雪が降り続けていた。
玲二が夢から醒めたちょうどその頃、菜々子は死んだ。