十一月の下旬。
その日も玲二は昼休みに図書室に足を運んだ。
目的の本よりも先に、まずカウンターを確認するクセがいつの間にかついてしまっていた。

いつもの場所に菜々子の姿はなく、玲二はがくりと肩を落とした。
ついさっきまで、あんなに弾んだ気持ちでいたのに。
急速に図書室が色褪せて、つまらないものに見えた。

一応目的の本を借りて帰るか、自分の感情に正直にこのまま帰るか。
玲二は逡巡の末に前者を選ぶことにして、書棚の奥へと進んでいった。

玲二はそこで自分の選択が正解だったことを知る。
ふと顔を上げた先に、彼女がいたからだ。

あまり背の高くない菜々子が必死に背伸びをして一番上の棚に収められた本を
取ろうとしていた。


玲二は後ろからひょいと腕を伸ばして、彼女の代わりにその本を手に取った。
驚いた菜々子がぱっと玲二の方に振り返る。
至近距離で視線がぶつかって、お互いに慌てたように目を逸らした。

「……取りたかった本、これで合ってる?」

菜々子が唇を読みやすいように、玲二は意識的に口を大きく動かして言った。
そして、本を差し出す。

菜々子はこくりと頷き、その本を受け取った。

「それ、読んだことある?」

会話らしい会話をするのは初めてだな。そんなことを思いながら、玲二は彼女に問いかけた。
菜々子が胸に抱いているのは『扉の向こう側』というタイトルの小説で、SFの名作だった。
玲二はこの本が好きだったから、彼女がまだ読んでいないのなら是非勧めたい。
読んだことがあるのなら、感想を聞いてみたい。そんなふうに思ったのだ。

菜々子は大きく何度も頷いた。その仕草から彼女もまたこの本を気に入っているのだろと玲二は想像できた。

「俺も、それ好きなんだ」

そう言って、玲二が笑うと菜々子もまた笑った。
いつもの静かな微笑みではなくて、白い歯がこぼれる明るい笑顔だった。

菜々子は胸のポケットから小さなメモ帳を取り出すと、さらさらとペンを走らせた。
あっという間に書き終えると、メモ帳をひっくり返して玲二に見せてくれる。

【最後のシーン、犬のロンと再会するところ。あそこが一番好き】

女の子によくある丸っこい字じゃなくて、むしろ男らしい流れるような字を書くのが少し意外で新鮮だった。
彼女の新しい一面を知れたような気がして、自然と口元が緩む。

「俺はね、未来のシーンが好き。未来って言っても、年代的にはちょうど今の時代なんだよな。タイムマシーンはまだ実現してないけど、携帯型パソコンとか今のスマホに近かったりして面白いと思った」

玲二の話を聞きながら、菜々子はまたメモ帳に書き込む。そんなふうにしてふたりは会話を楽しんだ。

ふと気がついた時には、昼休み終了を告げるベルが鳴っていた。

「またね」

玲二はその台詞に「また話をしよう」の意味を込めて言った。
菜々子はにこりと微笑んで、玲二に手を振った。

玲二の願いは彼女に聞き届けられたようで、それからもふたりは図書室で顔を合わせる度に言葉と文字で会話をするようになった。