玲二があまりにもじっと見つめていたせいか、視線に気がついた彼女ー菜々子が不思議そうに玲二を見返した。

「あっ、すみません。これ、ありがとうございます」

聞こえないのだと理解していても、つい言葉を発してしまう。玲二は慌てて、手続きの終わった本を菜々子の手から受け取った。

菜々子はふんわりと笑って、大丈夫と言うように首を振った。

__あれ?聞こえないんじゃないのかな?補聴器で聞こえているのかな?

玲二は頭の中に疑問符を抱えたまま図書室を後にした。

菜々子が休学していた二年の間に唇を読む訓練をしたことも、そもそもそういうコミュニケーション方法が存在することも玲二は知らなかった。


それ以来、玲二の心の中には常に菜々子がいた。部活中もふと気がつけば図書室に目を向けていたし、彼女の所属するクラスの前を通るときは無意識のうちに彼女の姿を探していた。

菜々子はやっぱりいつも一人だった。
それを寂しいとか辛いとかそんな風に感じているようには見えなかったけど‥‥。


「あのさ、橋口のクラスに菅野さんって女子がいるよな?」

朝の生徒会室で、同じく役員をしている橋口に玲二は尋ねてみた。
橋口はプリントを束ねる作業の手を止めずに、答える。

「うん。元は先輩だけどね〜菅野さんがどうかしたの?」

「耳、不自由なんだよな? 不便とかないのかな〜って思ってさ」

「あぁ。こっちの言ってることはわかるみたい。唇の動きを見て、判断できるんだって。複雑になるときはノートに書いてもらったりもしてるけど‥‥」

なるほど、あれはそういうことだったのか。玲二がひとり納得していると、橋口が怪訝そうな顔を向けてきた。

「どうした?先生にでもなんか言われたのか?」

「や‥‥そういう訳じゃないけど」

玲二の曖昧な否定を図星ととらえたのか、橋口ははぁと肩を落とした。

「俺も一応生徒会とかにいる以上さ、あんまりいいことじゃないとは思ってるけどさ〜菅野さんは難しいよ」

「‥‥‥‥‥」

玲二は黙って、橋口の言葉を待った。

「元々先輩だったわけだから、気軽にタメ口きいていいのかも悩むところじゃん。特に女子はそういうの気にするし。
おまけに急に耳が不自になって、本人は馬鹿話なんてしたい気分じゃないよな〜とかってみんな気を遣っちゃうんだよ」

「まぁ、たしかに‥‥」

「だろ⁉︎ それをイジメだの無視だのって言われてもなぁ」

橋口の口ぶりから、菜々子がクラス内で浮いた存在になっていて教師が多少なりともそれを気にかけていることがわかった。

「それにさぁ」

橋口は少しだけ嫌悪感を滲ませた声で言った。

「菅野さん、俺らとひとことも口きかないんだもん」