俺さ、実は美咲ちゃんのこと、ずっと昔から好きだったんだ。

 夢の中で待ち構えていた私に、いつものように慶介くんが素敵な笑顔で笑う。

 もしよかったら、これからでもいい、俺と付き合ってくれない? そう言って、慶介くんは私に向かって手を差し出す。今日見たばかりの、長い指の綺麗な手。私は息を吐いて、慶介くんを見た。

 すごく仕事ができて、素敵な、きちんとした大人になっていた慶介くんに、私、今日会ったよ。夢の中で会う慶介くんより、写真の中の慶介くんより、実物はずっとカッコ良かった。

 私がそう言うと、それなら、と慶介くんははにかんだ笑みを見せて、私の手を握ろうとする。けれど、私はその手を避けるように一歩下がった。そして、それから私の決意がちゃんと伝わるように、慶介くんの顔を見て言った。

 でも、だめなの。慶介くんとは、付き合えない。

 私の言葉に、慶介くんが少し悲しそうな顔をする。けれど、私は気持ちを揺るがすことなく、言葉を続けた。

 ごめんね。私は結婚して、すごく大事な人がいるの。そりゃあ、慶介くんに心が揺らいだのも事実だよ。だから、あわよくば夢の中の慶介くんと二股できたら、なんてこと考えてみたけど……でも、私にはそういうの、無理みたい。

 現実の慶介くんと会ってしまったから、と私は痛む胸を押さえる。夢の中でさえ、私は自分をコントロールすることができないのだ。現実で慶介くんと再会してしまった今、馬鹿な私は夢と現実をごちゃまぜにして、そうするうちにきっと誰かを傷つけてしまうに違いない。

 私の決意が伝わったのか、慶介くんは残念そうな顔をして、それから少し大人びた口調で言った。

 今日、聞き忘れたけどさ、美咲ちゃんは今、幸せなの?

 うん、と私は胸の痛みを取り払って、しっかりとうなづいた。

 幸せ。本当に、幸せなんだ。

 そっか、と慶介くんはうなづいた。そして、またあのはにかんだ笑みを浮かべて、しょうがないな、とつぶやいた。

 その言葉が終わりの合図だったように、私と慶介くんが向かいあう夢の中は、夜が明けるようにだんだんと白んで、お互いの姿は光の中に埋もれるように消えていった。慶介くん、と私は消えていく彼の姿に目を凝らして、呼びかける。

 さよなら。たぶん私、もうあなたの夢を見ないよ。

 ふっと笑うような吐息が、遠くで聞えたような気がして、

 わかってる。さよなら、美咲ちゃん。と、光の彼方から、慶介くんの声が響く。

 その寂しそうな声に、ああ、本当にさよならなんだな、と私は遅れながらも理解して、そして少しだけ――ほんの少しだけ惜しいな、と思う。これが夢の中だけの恋にできるなら、私がもう少し器用なら――。




 どこかでまだそんなことを考えながら、私の意識は現実の朝にすうっと目覚めた。そっと瞼を開けると、隣では変わらずに夫が静かに寝息を立てていた。

 私は掛け布団からごそごそと慶介くんの手を取らなかった自分の手を出すと、そっと夫の手へと重ねてみた。

 夫はどんな夢を見ているのだろう。たとえどんな夢の中でも、この手を握るのはいつも私であって欲しい。なんて、勝手なことを思いながら。

【完】