「何やってたの。遅かったじゃん」
「エリサ、何してんの」
和紗の声が固い。驚いてるみんなを見てるのが気持ち良かった。明菜も和紗も桃子も鞠子も、あたしをすごいと思ってるんだと感じた。だってトイレに連れ込んでボコるなんて、まるきりドラマじゃん。あたし、すごいことしてる。
白い火花はぱちぱち唸りを上げ血液にのって全身を駆け巡る。
「ちょっと殴って、腹蹴ってやっただけだよ。こういうのってやったもん勝ちなのにさ、こいつ、めっちゃ弱いの。あたしだって殴り合いの喧嘩なんかしたことないんだから、大して強かないのに。立ち向かおうともしない人間って、マジ生きる価値ないよね」
文乃の後頭部を上ばきの先っぽで蹴り上げる。うっ、と低い声を漏らす文乃の頭をぐりぐり踏みつけると、鼻血でも出たのか水色のタイルの上に赤いものが散った。きったない。
悪いのは文乃だ。弱いくせに強くなろうとしない、立ち向かおうとしないからこんなことになる。弱いままでいる限りこうやってあたしみたいな人間に踏みつけられるのに。それを体で教えてやっているあたしは、なんて親切なんだろう。
「ほら、みんなもやんなよ。何いつまでもそんなとこにいんの」
明菜たちを振り返って言うけど、みんな凍りついたように動かない。これしきのことでびびってるんだろうか。度胸なさ過ぎ。
「早く来なって、てかいつまでドア開けっ放しにしてんの、誰か通ったらどうすんのよ」
「エリサ。あたしたちもう、いじめはしないよ」
そう言ったのは鞠子だった。何かの覚悟に固まった瞳がまっすぐあたしを見ている。
いつもあたしの後ろ一歩を歩いていた鞠子。こんな目をしていたことがあっただろうか。
「は、何言ってんのよ」
「いじめはしないって言ったの」
「ちょっ、今さらいい子ぶってんの、おかしくない? なんでいきなりそうなるのか意味不明なんですけど」
マジでわけがわかんなかったしイラついていた。友だちになったばかりの頃の今よりもずっと小さくて幼い鞠子を思い出す。中学生になってからだいぶ改善したけど、もともと鞠子は大の引っ込み思案で内気過ぎるほど内気で、声をかけるだけでほっぺたをりんごちゃんにしちゃうような子だった。
誰かと遊びたいのに自分からは友だちの輪に入っていけなくて昼休み中じっと机に座ってた鞠子、係の用事で先生と話さなきゃいけないのにいつまでも話すタイミングを掴めず教卓の隣に立ち尽くしていた鞠子……
その鞠子があたしに歯向かうなんてあっちゃいけなかったし、あるはずもないことだ。
「なんでって、決まってるじゃん。こんなこと、ダメだって。高橋さんが可哀想だよ」
床に転がった文乃を見つめ生意気な口調で鞠子は言い放つ。何言ってるんだろう、この子。文乃の机から教科書を盗み出したり文乃の弁当箱を中身ごとゴミ箱に捨てたり、やれと言われればなんだってやったくせに。今さら何を正論振りがさしてるんだろうか。
「何言ってんの鞠子、こんな奴が可哀想なわけないじゃん」
「可哀想だよ」
「ねぇほんとにどうしちゃったわけ? 頭おかしくなったの」
怒鳴る寸前の声ですごんでも鞠子は怯まなかった。一ミリも迷いのない顔で一気に言った。
「頭おかしいのはエリサでしょ。こんなことしても何とも思わないなんて、異常だよ。あたしもみんなももう、エリサにはついていけない」
その瞬間、あたしはようやくすべてを悟った。
鞠子は、本気だ。
本気であたしに歯向かい、自分の足で歩こうとしている。つまりあたしを捨てるってこと。今日限りで友だちやめるってこと。何も言わない明菜たちも鞠子と同じ気持ちだ。
ずっと手のひらでしっかり掴んでいたと思ってたものがたちまち指の隙間からこぼれていく。みんなの中心になること、みんなに可愛いって、すごいって、思ってもらうこと。誰よりも「上」でいること。ほとんどそれだけ考えて生きてきた。
そんなあたしが鞠子を始めとするみんなを失ってしまったら。
「何言ってんの」
声が震えていた。鞠子に笑いかける。動揺で唇の端ががくがくして、うまく笑えない。こうなったらプライドもへったくれもない、何をしてでも鞠子を繋ぎ留めなきゃ。
「何、何よそれ、頭おかしいとか……鞠子とあたし、親友でしょ?」
「違うよ」
冷たい声にすべてが終わったことを知らされた。軽蔑と憐れみが一緒くたになった鞠子の目があたしを見ている。
「ごめん」
「ごめんね」
「エリサごめん」
感情のこもってない謝罪たち。鞠子、明菜、和紗、桃子……形だけの「ごめん」を残して、くるりと背を向けてトイレから、あたしから、遠ざかっていく。文乃とあたしだけが残されたトイレ。窓の外から冬の風が入ってきてむき出しの太ももをひんやり撫であげた。
おかしい。こんなの、絶対おかしい。許せない。こんな現実、こんな状況、到底受け入れられない。いや受け入れるもんか。
誰よりも可愛いあたしが、誰より目立ってる女王様のあたしが、誰より「上」のあたしが、こんな目に遭うなんて。
文乃がおもむろに体を起こし、あたしを見上げた。
「どうするの」
「……は?」
「まだ、やるの?」
うつろな目の奥にはあたしに対する嘲りがはっきりと潜んでいて、頭の血管が三本ぐらいブチブチちぎれた。
鞠子やみんなに捨てられた上、ついに文乃にまでバカにされるなんて。
それは何よ、つまり今のあたしはこいつより下だってこと?
許せない。そんなの認めない。
殴って蹴って踏みつけてやりたかったけれど、これ以上はやればゆるほど文乃はあたしをバカにする。だからあたしを見上げる文乃の顔に思いっきり唾を吐きかけた。それだけにした。文乃は一瞬何が起こったのかわからないように目を白黒させた後慌てて顔に手を当てた。そんな文乃を残して、トイレを出た。つまり、逃げた。
許せない。そんなの認めない。
許せない許せない許せない。
文乃だけは絶対許せない。
文乃が消えればいいのに。
そんなことを考えながら足を動かした。カツカツと冷たい音が人気のない廊下に響く。
遠くグラウンドのほうで、誰かのやたら楽しそうな笑い声がはじけてた。
ごめんなさい、はわかる。でもその後が意味不明。いったいこの人たちは何を言っているんだろう。
「もう一度言ってくれる?」
ひっくり返った声で聞いた。右から三川明菜、横井和紗、相原桃子、そして半田鞠子。八つの目が一斉に見開かれ、しょんぼり謝罪ムードだった四人の間にぴりっと何かを警戒するような空気が走る。
昼休みの女子トイレだった。お弁当を食べ終わるやいなや四人がぞろぞろとわたしの机のところに集まってきて「高橋さん、ちょっと話があるの」って何やら深刻そうな顔で言うもんだから、またいじめかなあどっかに呼び出されて殴られんのかなぁと一瞬思ったけどこの前の一件がある以上そんなこともなさそうだし、目の前にある四つの顔は生真面目そうに沈んでたからああこの人たちはわたしに謝りたいんだなと直感した。
いじめられ歴の長いわたしはいじめられて謝られたことが二度ある。一度目は小四の時、男子と一緒になってデブブスとわたしをはやし先生に怒られて泣いてた女の子。先生に怒られたその日の放課後ゲタ箱の前で謝られて、その後は罪も罪悪感も忘れたようにごく無邪気に過ごしていてクラス替えまで一切わたしと関わることはなかった。
二度目は小六の頃で、上ばきを何度か隠してたっていう子が卒業式直前になって友だちと一緒に謝りに来た。なかなかかわいい顔立ちをしていて頭が良くて庭にデッキチェアのある大きな家に住んでいた子で、卒業したら私立の中学に行っちゃったからそれきり会ってない。どちらの時も謝るぐらいなら最初からそんなことしなきゃいいのにと、謝罪の言葉を繰り返しながらぐずぐず泣く女の子を目の前にして冷めた頭で思っていた。
わたしがあんまりぶすっとしていたせいで、デッキチェアつきの家に住んでた子の友だちからこんなに人が謝ってるのにその態度はなんなのよと睨まれたっけ。いじめの主犯はその子のほうだったに違いない。
わたしはちゃんと知っている。目の前でごめんなさいとぽろぽろ涙をこぼすこの人たちは、わたしのためじゃなくて自分のために謝りたいんだ。いじめをした悪い自分のままでいたくないから、自分をいい人にしたいから。
だから頭を下げる明菜たち四人を見ても「あぁこの人たち、わたしに謝ってくれたんだ、いじめをしたことを悔いてくれたんだ、嬉しい!」なんてもちろん思わないし、むしろああそうですかあなたたちも偽善者なんですねって喉の奥で吐き捨てたんだけど、ごめんなさいの後に友だちになりたいだなんて付け加えられたらさすがに戸惑う。
「あのね、あたしたち、高橋さんと友だちになりたいの。これまでさんざんエリサと一緒になっていじめてきて今さらそんなことって思うだろうけど、もし高橋さんが嫌じゃなかったらわたしたちのグループに入ってほしい」
あらかじめ用意してきた台詞を丁寧にかみ砕くように明菜が言う。思う「だろう」じゃなくてほんとに思ってるってば、今さらそんなことって。あとさ嫌じゃなかったらって、自分のこといじめてた人たちとつるむなんて嫌に決まってるじゃん? ごめんなさいとか二度としませんとかいくら繰り返しても中身のないからっぽの言葉で、ここまでひとの気持ちを無視できるってことは本当は反省なんかかけらもしてないくせに。
お腹の底から噴き上げてくる本音を飲み込んでから口を開く。
「どうして?」
「どうして?」
明菜がリピートして、四人の間に再び警戒ムードが伝染していった。みんな困っている。こんな無茶苦茶な頼みごとしといて、わたしを誘う理由も用意してないとは。わたしも頭は良くないけれどこの人たちも相当頭悪い。まぁエリサの金魚のふんじゃしょうがないか。
金魚のふん四人組の中でもいくぶんかましだと思われる和紗がぼそぼそと口を開く。俯いていた顔をちょっと上げて、わたしと目が合うなりすぐまた気まずそうに下を向いた。
「どうしてって、高橋さんが、その、一人でかわいそうだから。きっと、一人でいるからいじめられると思うんだよね。ほら、スズメでもライオンでもペンギンでも、動物ってみんな群れを作るって言うでしょう? 一人ぼっちでいると敵に襲われるけど、みんなでいれば襲われない。人間もそうなんじゃないかなぁ、たぶん」
あんまりなたとえ話でつい口があんぐり開きそうになったけれど、明菜と桃子は和紗の横からそうそう! ってしきりに頷いていて、どうも本気で和紗のいまいちピントのずれた比喩をイイハナシとか思っちゃったようだ。人間はスズメでもライオンでもペンギンでもない。陰湿でずる賢くて残酷で卑怯な生き物なのに。
「高橋さんって今までずっといじめられてきたらしいけど、高橋さん自身に悪いところはないと思うんだ。たまだま友だちがいないだけっしょ? 要は人間って一人じゃ生きられないとか、そういうことだよね」
「明菜いいこと言うじゃーん。そうそ、うちらと一緒にいればもう絶対いじめられないもん。今からでも明るい青春、取り戻そうよ。友だちいたらいたで絶対楽しいから」
堰を切ったようにべらべらまくし立てる明菜と桃子の間で、和紗が小さく頷いている。鞠子だけは押し黙っていて、時々怪訝な視線をこちらによこす。なんとも不思議な四人組からは妙な威圧感がびしびし伝わってくる。
何が友だちだよ今さらさんざんいじめといてふざけんなー、って叫べたら楽なんだろうけど、頭や肩を小突かれても幅跳びの時間に砂場の砂を投げつけられても掃除の時に足を引っかけられ転んだ途端にモップで頭をごしごしやられても、泣いたり喚いたり怒ったりしないでただ黙って不快な時間が通り過ぎていくのを待つことがとっくの昔に当たり前になってしまったわたしは、感情のままにものを言うことができない。
この人たちが言っているのは友だちになろう、なってください、じゃなくて、友だちになりなさい、いやなれ、なりやがれボケ、ってことだ。ここで断ったらまたいじめられるよっていじめられっ子の直感が訴える。
わたしは顔も悪いし頭も悪いし動作ものろいしいじめられるのはしょうがないってだいぶ前から諦めてる。きっと高校生になっても大学生になっても大人になってもおばあちゃんになっても、わたしをいじめてくる人はいる。仕方ないこと。でもやっぱり、いじめられるのは嫌だ。
泣くことも怒ることもせずに黙っていじめをやり過ごしたって、心がじわじわ腐っていくような惨めさがなくなるわけじゃない。痛みを感じないフリをすることはできても痛みが消えるわけじゃないから。
こく、と小さく首を動かすと、ほんとー、やったー、と明菜たちの顔にぱっと笑みが広がる。一番左にいる鞠子は最後までぶすっとしていた。
「桃子ってさーなんでそんな肌キレイなの? 桃子の顔にニキビできてるの見たことない」
「なんでって別になんもしてないよ、化粧水とか乳液とかみんなお母さんのだし。ほんとは美容液も使いたいんだけど中学生にはまだ早いって使わせてくんないの、うざっ。明菜だって十分キレイじゃん」
「キレイじゃないよー全然、ほらここニキビできてるし、おでこの生え際」
「そんなのちっともわかんないじゃん。二人ともいいなぁ、わたしは部活で真っ黒だから。一度日焼けするとなかなか白くんないんだよね」
「友だち」ってやつになってみてまもなく気付いたけれどこの人たちの会話はえらい退屈だ。制服の着崩し方、ダイエットとか美容関連、メイクの方法、今やってるドラマとかアイドルとか芸能関係、あとはひたすら男の子のこと。
同じ学校の同じクラスに通う同じ歳の子たちなのに、この人たちの世界にまるで興味を持てない。教室の片隅で輪を作る明菜たちと一緒にいるわたしは、客観的には仲良しグループの一員に見えるのかもしれない。たしかに共に休み時間を過ごし共にお昼を食べ共に放課後帰る以上仲良しグループではあるんだろうけど、この人たちとまともに話したことは一度もない。いつもこうして輪の隅っこで退屈な会話をぼんやり聞いてるだけだ。
「ねぇー鞠子ってお姉ちゃんいたよねぇ? 使ってない美容液とかもらえないのー?」
桃子に話を振られ、さっきから爪磨きに夢中になっていた鞠子が顔を上げた。この人と明菜たち三人組の間にはなんとなく距離がある。別に嫌われてるわけでも仲間外れにされてるわけでもないだろうけど、明菜たち三人プラス鞠子そしてオマケでわたし、って構造のグループだ。
「うちはお姉ちゃんっていってもトシ離れてるからお母さんみたいなもんだもん、桃子のとこと同じ。そんなもの中学生には早い、必要ないって一点張りだよ。マジウザ」
そっかー、と桃子が落胆のため息をつく。鞠子のお姉ちゃんの美容液をパクろうとでもしてたんだろうか、ムシのいい人。鞠子は再び爪磨きに戻ろうとするけれど、その前にちらりとわたしに怪訝な目を投げた。気のせいじゃない。
別に好かれたいと思ってはいないしこのわたしが誰かから好かれること自体がありえない。とはいえこうまであからさまに嫌悪感を出されると、さすがにちょっとだけ肩がすくんでしまう。好意を向けなくてもいいから、明菜たちみたくわたしなんていてもいなくても同じって感じで接してほしい。
「なあー四組の田原が明菜のこと好きだってよ」
増岡のでかい声が明菜たちの会話に割り込んできて、頭スカスカな三人組の興味は一瞬でその田原って人に移る。増岡の後ろに小松崎、山吹、黒川とクラスでもよく目立つ男子たちが並んでいた。運動神経が良かったり顔が良かったり背が高かったり、見た目がそこそこいいもんだから女子からも人気があるらしい、クラスの中心的グループ。時々エリサたちと一緒になって、わたしの体操着袋でサッカーやったりしてたっけ。
明菜たちがわたしをグループに入れたことは彼らにとって衝撃だったらしく、五人で行動した最初の日には顔に穴が空くんじゃないかと思うほどじろじろ見られたし、小松崎や山吹なんて「高橋さんって、好きなテレビとかあるんですか」「好きな芸能人はなんですか」とか、余程テンパってたのか同い歳なのにずいぶん年上の人に対するような敬語と、今にも逃げ出しそうな野生動物にそろりそろり近づいていくような態度で接してきた。
あれから数日後、明菜たちと増岡たちとの間にどんなやり取りがあったのかわからないけれど、今はもう彼らは積極的にわたしに関わろうとしない。明菜たちにならってわたしをいてもいなくてもいい存在として扱い、一瞬だけちらっと「あ、今日もいるんだこの人」って確認するような視線を投げるだけ。
「えー四組の田原って三年生と付き合ってるって人でしょ、デマなんじゃないのぉ」
桃子はこういう話題になるといち早く反応する。頭スカスカ三人組の中でもいっとう脳みその密度が低いようで、自分のことでも他人のことでも無闇に発情してしょうがない。よく中二にして既に処女じゃないってことを大声で言ってるけど、そんなこと自慢して自分の品位を下げてることにも気が付いていない。もちろん、そういう話になった途端らんらんと目を輝かせる明菜も露骨に羨ましそうな顔をする和紗も、同レベルなんだけど。
「デマじゃねーしさっき聞いたし! 俺とコマと山吹とクロちゃんが証人だから、なー?」
「明菜どうすんだよあいつマジだよ。違うって言ってたけどすんげー赤くなってたもん」
コマっていうのは小松崎のこと、増岡に同意を求められてこくこく盛んに頷きながら言う。なんで誰が誰を好きとかいう話になると、男子も女子もこんなに楽しそうなのか。恋愛ってそんなに面白いもの?
「いいなー明菜、モテモテだね」
「何よ和紗、羨ましいのー? 先輩がいるくせに、浮気はいかんぞ浮気は」
「違うって。桃子と一緒にしないで」
「えー何、桃子浮気者なのかよ?」
黒川が下品に口元をにやつかせながら言って、桃子が違うしっとその肩を軽く小突いた。当の明菜は『四組の田原』が誰なのか本気でわからないらしく増岡が一生懸命説明してて、その横で和紗が一学期の頃桃子が二股かけてたって話を暴露しだし、マジかよーとはやし立てる黒川たちの前で桃子は違う違うと言いつつ笑ってる。鞠子は増岡から田原についての説明を求められ、面倒くさそうにしつつもなかなか一生懸命田原の特徴を挙げていた。
鞠子の隣になんとか自分のポジションを確保しているわたしは、頷くことも会話に入っていくこともできず棒立ち状態。こういう時何かしゃべったほうが仲良しグループらしく見えるんだろうけれど、ひとと接したことが十四年間の人生の中で極端に少ないわたしは、大勢が作る輪の中で会話に入っていく術を知らない。みんなも無理にわたしをおしゃべりに引き込もうとはせず、マイペースに楽しくやっている。
グループに引きずり込まれてはみたものの持て余されている存在であることを改めて自覚する。
小学校の頃からずっと一人で行動してて、一人ぼっちが寂しいとか惨めだとか思うことは忘れた。でも、誰かといる時の孤独に慣れるのにはまだまだ時間がかかりそうだ。
頭の後ろに刺すような視線を感じて背中がぞわりと粟立った。うすうす正体に気付きながら振り向くと、自分の席にうずくまって石膏像みたいにぴくりともせず、こっちを睨んでいるエリサが見える。その顔はわたしをトイレで殴ったあの日のままで、鬼の形相としか表現できない表情はむき出しの敵意に満ちていた。
慌てて向き直る。どうしたのー、と明菜が何かのついでみたいに声をかけてきて、いきなりしゃべりかけられたことにちょっとびっくりしつつ小さく首を振った。明菜はそれ以上わたしへの興味を持続させず自分たちの話に戻っていく。
まったくもう、ほぼホラーだ。あんな顔で睨みつけてきてわたしが何をしたって言うんだろう。エリサのこの視線にも、しばらく慣れそうにない。
明菜グループからはじき出され自然と一人で行動するようになったエリサは、自分と入れ替わりにグループに入ったわたしを時折親の仇かなんかみたいに睨んでくる。毎日それぐらいしかすることがないみたい。
ちょっと前まであれだけ女王様気取りでいばってたくせに今は一日中誰からも声をかけてもらえないんだから、自業自得とはい可哀想なのだ。無視という形のいじめはわたしみたいにもともと一人ぼっちの人間にとってはなんでもないことだけど、周りから注目されることだけが生きがいみたいなエリサにしたら何よりしんどいいじめ方だろう。
エリサのことは可哀想だと思う。自分をいじめていた人間のことを可哀想だなんて変かもしれない、でもいじめられているが故にエリサのことをずっと観察していたわたしは、今のエリサが本当に可哀想な人に見える。
最初のうちは女王様だったのにね。一学期の頃、休み時間のたんびに明菜や桃子に囲まれてすごーいその巻き髪どうやったのーだのそのグロス超いい色―どこのぉー貸してー、だのとアイドルみたくもてはやされご満悦になってたエリサを思い出し、頭の後ろの刺し貫くような視線に向かって呟いた。
エリサがわたしをいじめ出したのは、女王様の地位をキープするためだ。自分は弱い者をいたぶる権利を持つ強い者であることを周囲にアピールし、いじめの中心にいることで明菜たちの信頼と羨望を得ようとする。明菜たちも増岡たちも割と早くいじめに飽きてしまったのは、エリサにとってもわたしにとっても想定外だった。
やっぱり、小学生までとは違うんだろう。中学二年生にもなれば家と学校の往復以外にも少しずつ世界が広がっていく、制服の着崩しや化粧、放課後の寄り道、いっぱしに彼氏彼女を作る人さえいる。桃子みたく、エッチなんて下品極まりないことをしている人も。特に明菜たちみたいに派手な子は世界の広がるスピードが速い。いじめ以外にも楽しいことは世の中たくさんあるってわけだ。
そこで焦ってもっとひどいいじめで明菜たちの関心を得ようとしたエリサは、結果的にいじめに狂った女とみなされドン引かれた。いや、みなされ、じゃなくてほんとに狂ってるのか。放課後のトイレに呼び出され殴られ蹴られた日。鼻血は出たし口の中も切れたしお腹を蹴られたせいか後でげーげー吐いた。ひどい顔で家に帰ったらどうしたのとお母さんに眉をひそめられ、階段で転んだってベタな言い訳をした。