「お嬢様。
国民を納得させるために、策はあるのですか」
「……正直言って、ないわ」
「え」
「だって急すぎるんだもの。
プーセが勝手に写真を…」
「プーセ様が写真を?
そもそも、どうして熱愛報道が出てしまったのですか?」
わたしは、シエルが月の真珠に似たようなネックレスを持っていること以外、
伏せながら一部始終を語った。
月の真珠以外にも、熱で理性が飛んでしまったらしいシエルのことは言わなかった。
あれはわたしとシエルの秘密だから。
「…何故、シエル様は熱があったにも関わらず、エル様に夜中会いに行ったのですか?
色んなことがあってね、では納得いきません」
「……わたしがシエルのこと傷つけちゃって…」
「それで何故シエル様が会いに行くのですか?」
「わたしがシエルを傷つけて、シエルに出て行ってって言われちゃって。
それを謝りにシエルが来たのよ」
「どうしてお嬢様はシエル様を傷つけたのですか?」
月の真珠のことを話さなければ、説明出来ない話。
どうしようか迷っていると。
「……もしかして、月の真珠についてお話しされたのでは?」
「え?」
「プーセ様が月の真珠を持ってきたとは聞きましたが、
その話にわたしは違和感を抱くのです。
どうしていきなり、プーセ様は自分がリュンヌの王子だと思われる月の真珠を言い出したのでしょうか?」
「……確かに、突然すぎて違和感を持つわね。
ある日突然出てきたって言うの?」
「プーセ様が昨夜お嬢様のお部屋に行った時、お嬢様とシエル様が月の真珠についてお話しされているのを聞いてしまったのではないでしょうか」
ドクの言葉を聞き、ふと疑問を抱く。
プーセは一体、いつからわたしたちのことを見ていたのかしら。
シエルとの話に夢中で、周りの音なんて聞こえなかったあの日の夜。
知らないうちに部屋に、帰ったと思っていたプーセがいて、写真を撮られた。
もし、シエルが月の真珠だと思われるネックレスを持っているのを、プーセが見ていたら。
紺色の紐に真珠なんて、どこにでもありそうなデザインなのだから。
偽装することも……可能かもしれない。
「……けほっ、…ドク、さん」
プーセの持つ月の真珠が偽装か本物か考えていると。
シエルの弱々しい声が聞こえ、振り向くと上体を起こしているところだった。
「シエル、まだ起きちゃ駄目よ」
「……見てほしいもの、あるんです……っ」
わたしはベッドに座り、シエルの背中を押さえ支える。
シエルは自由になった両手で、スポンッと、髪の毛に隠していたものを抜いた。
「……これは…」
シエルがドクに渡したもの…それは月の真珠と思われるネックレス。
受け取ったドクは、まじまじ見つめていた。
「それが……本物かどうか、わかりませんけど……」
「……これを、どこで」
「施設の、園長が……亡くなるときに、渡してくれて。
僕が、施設に行った時、身に着けていたものだって」
シエルは途切れながら言うと、ドクから再びネックレスを受け取った。
「でもっ……言わないでください…」
「どうしてですか?
これをイヴェール様に見せたら……」
「イヴェール様は、プーセさんが持っていた月の真珠を、本物だと言いました。
今更見せることなんて、出来ませんっ……こほこほっ」
月の真珠の持ち主、エテ・リュンヌ王妃と親友だったお母様が、プーセの持っていた月の真珠を本物だと言った。
偽装だと言われてしまうのは…こっちだ。
「っ、けほけほっ、こほっ」
「シエル、横になっていよう?起こしているの辛いでしょ」
「そんなのよりっ…けほっ、僕は…エル様から離れるのが辛い…」
シエルはわたしにもたれて目を閉じる。
息も荒くて、話すのでさえも辛いはずなのに、シエルは話す。
「元々、プーセさんの言う通り、貧乏人な僕は、最初から勝ち目なんてなかった。
でも、出会って、しまったから。
大事な人が、たったひとりでも存在して、
たったひとりでも、僕に生きてと言ってくれる人に、出会ってしまったから。
だから少しでも……あなたの役に立ちたくて。
あなたの願うことを、全て叶えたくて。
無茶だって、無理だって、不可能だって知っていた。
でも、諦めたくなかった……。
好きだから……エル様のことが、大好きだから…」
シエルは目を開け、わたしを見上げる。
「幸せになってください、エル様。
あなたの幸せが、僕にとっての幸せです。
傍にいられなくなっても、僕は、あなたの傍にいます」
シエルはそこで話し疲れたのか眠りに落ちる。
息は荒いけど、すっきりとした寝顔に、わたしは逆に辛くなる。
「……どうしてわたしたちは、結ばれないんだろうね。
結ばれない運命になっちゃったんだろうね、シエル。
結ばれないなら、最初から会わせないでほしかったよ……!」
わたしに出会わなければ、シエルは今だって自分自身を否定して傷つけ続けていたと思う。
でも、結ばれないのに出会わせるなんて、誰だか知らないけど残酷すぎる。
こんな運命、わたしはいらなかった。
シエルを寝かせ、ドクに任せたわたしは部屋を出る。
寮を出て本家に戻り、とぼとぼ廊下を歩いていると。
「よぉエル」
「……プーセ」
わたしの部屋の前の廊下で待っていたプーセが笑う。
その首には、月の真珠がかかっていた。
「驚いただろ?これが月の真珠だぜ。
俺はリュンヌ王国の王子様だったんだ」
「……じゃあ、どうしてクザン家に?」
「聞いたら親も白状してくれたよ。
俺、赤ん坊のころクザン家の前に置いてあったらしいんだ」
「クザン家の養子だったってこと…?」
「ああ。
俺はすげぇ血を受け継いでいたんだな」
嬉しそうに語るアンス。
わたしは嬉しくなんてなれない。
だって、わたしはプーセなんて愛せないんだから。
「……エル」
「何?」
「俺と婚約したら、アイツ助けてやるよ」
プーセが取り出したのは1枚の書類。
受け取り見ると、婚約届だった。
「アイツって」
「シエルだよ。あの貧乏人。
アイツが今国中で何て言われているか知っているか?」
「知らないわよ…」
「金だけのために王女様に近づいたって」
お金だけのために……。
そんなことはないはず。
もしそれだったら、シエルが雨の中倒れていたのは計算だってことになる。
「アイツ、金を稼げって言われてきたんだろ?
それが明るみになった途端、金目当てに王女様に近づいたって」
「そっ……んなことないわよっ」
シエルが嘘だったなんて言わないで。
わたしを好きだと言ってくれたのも否定しないで。
「まぁ真実はどうでもいい。
ここでこの書類を書けば、アイツを叩く奴らを俺が処分してやる。
アイツを守ってやれよエル」
最悪なシエルの評判。
払拭させるには、これを書けば良い。
評判が消えたら、シエルは幸せになる。
ねぇシエル、言ったわよね。
わたしが幸せになるのを願っているって。
わたしだって、シエルの幸せを願っているんだよ。
辛い思いばかりしてきたシエルが、幸せになりますように。
「……わかったわ」
その日の夜。
わたしは婚約届を隙間なく埋め、プーセに渡した。
数時間後には、テレビなどで叩かれていたシエルの悪口は全て消えた。
☆シエルside☆
【ソレイユ王国次期国王、エル・ソレイユ様、
月の真珠を持っているプーセ・クザン様と正式に婚約を発表!】
朝。
テレビで天気予報を欠かさず見ている僕の目に飛び込んできた、トップニュース。
その後やった天気予報は、全く頭に入ってこなかった。
「……届かない」
僕の思いはもう、エル様に告げることは出来ない。
自分で選んだ道のはずなのに、後悔している僕は未練タラタラだ。
「……僕は執事としてやるしかない」
大きく深呼吸をして、立ち上がる。
昨日はあんなにも高熱で苦しんでいたというのに。
もう熱は下がっている。
僕は執事服に着替え、寮を出た。
途中出会ったおじさんも、
すれ違うメイドさんも執事も、
食材を厨房へ運んでいたシェフさんも、
ただ「おはようございます」とだけ言って通り過ぎていった。
だから僕も変わらず、「おはようございます」と返して歩いた。
僕の気持ちが荒れ狂っていても。
日常は変わらず廻っていく。
その当たり前の現実が、何故だか酷く苦しかった。
「……はぁはぁっ…」
息が苦しくなり、僕は廊下に座り込む。
熱は下がったはずなのに。
息が上手く出来ない。
「ちょっと、あなた大丈夫?」
「大丈夫です……っ!?」
背中をさすってくれた人の顔を見たとき、僕は言葉を失った。
声をかけてくれたのは、エル様だった。
「体調管理には気をつけなさいよね。それじゃ」
呼吸が普通に出来るようになり、立ち上がると。
エル様が無表情のまま、立ち去ろうとする。
「あのっ……!」
「何かしら。手短にしてくれる?」
振り向いたエル様は、やっぱり無表情で。
いつものエル様とは別人に見えた。
「あっ……ありがとう、ございました」
「気をつけなさい。
ここでの生活が苦しいなら、辞めることね」
冷たい言葉に、疑問しか湧かない。
どうしてこんなに…冷たくなってしまった?
エル様はもっとあたたかくて柔らかい人だった。
「待ってくださいエル様っ……」
「言ったでしょ?
わたしは忙しいんだから、行くわね。
結婚式は1か月後に控えているんだから」
エル様はそのまま行ってしまった。
僕はその場に取り残された。
「……仕事、しなくちゃ」
僕はエル様と反対の方向へ歩き出す。
仕事をして、全て忘れたかった。
その日はエル様と関わることなく、軽い雑務を終えた。
エル様の執事といったって、エル様から命令されなければ何もない。
仕事を言いつけられないのだから、やることは雑務だけ。
「大丈夫ですか?はい、吸ってー、吐いてー」
早めに仕事を切り上げた僕は、過呼吸を起こしていたところ、丁度通りがかったドクさんに助けられていた。
背中をさすられているうちに、呼吸が楽になっていく。
「ありがとうございます…助かりました」
「それは良かったのですが…どうされました?
何か不安でもありましたか?」
「……大丈夫です…」
寮に戻ろうとすると、ふらっと眩暈が襲う。
廊下の壁に体当たりしてしまった僕は、ドクさんに支えられ座り込んだ。
「少し熱ありますね……」
「またですか……」
「恐らく疲れたのでしょうね。
部屋に行って休めば大丈夫ですよ」
ドクさんは僕を背負ってくれた。
広い背中に身を預けていると、ドクさんが立ち止まった。
「お嬢様」
「あらドク。こんばんは」
「こんばんは。お忙しそうですね」
「そりゃそうよ。
式は1ヶ月後って言っても用意が大変だもの。
明日はウェディングドレスを作りに行くのよ」
ドクさんの背中で表情は見えないけど、嬉しそうな声音。
苦しくなって、きゅっとドクさんの白衣を握った。
「お体には気を付けてくださいね。
シエル様もお疲れになってしまったようなので」
「……そう」
「おや。心配になられないのですか」
「……使用人ひとりひとりに心配していたらそれこそ疲れるわ。
体調管理もしっかり出来ない人が、本当にわたしの執事になれるの?」
ひゅっと、喉がしまる。
何で…何でそんなこと言うの。
エル様じゃないよ……エル様じゃない。
「わたしは忙しいからまたね、ドク」
ドクさんだけに挨拶をしたエル様は行ってしまった。
ぎゅうっとドクさんの首に手をまわしていると、ドクさんが僕の背中をぽんぽんと叩いた。
「大丈夫ですよシエル様。
あなたが思っているほど、世界は残酷ではありませんから」
ドクさんの言葉は優しいけど、僕は再び過呼吸を起こす。
そこで初めてわかった。
エル様の行動ひとつで、僕の体調は大いに変わる、と。
☆エルside☆
「シエル大丈夫かな…シエルシエルシエル……」
わたしは夜、ベッドの中でシエルの名前を呪文のように唱えていた。
朝廊下で座り込んでいる執事。
声をかけるとシエルだった。
苦しそうな息遣いで、でも熱はないみたいですぐに治った。
さっきドクとすれ違った時、シエルはドクの背中にいた。
疲れたらしいとドクは言っていたけど…。
『ひゅぅっ…ひゅうっ…はぁっ…』
ドクと別れて、聞こえてきたおかしい呼吸。
絶対あれ…シエルだった。
今日調子悪かったのかな…。
でも、声をかけることなんて出来なかった。
だってわたしはもう…シエルと今までみたいに接することなんて出来ない。
わたしは国王であり、シエルは執事。
身分差の大きなわたしたちが、仲良くすることなんて出来ない。
またシエルがお金目当てでわたしに近づいたと言われて苦しむなら。
わたしがシエルを突き放すしかない。
「自分で決めたのに…辛いな……」
ぎゅっと布団を握る。
わたしひとりしか眠っていない、大きなベッド。
前には隣にシエルがいたのに、今は誰もいない。
「未練タラタラなこと言ってんじゃねぇよ」
「……プーセ」
最近わたしの部屋に入り浸っているプーセ。
煙草をよく吸うので、煙が部屋中に充満してしょうがない。
「ソイツを幸せにしてぇから俺と婚約したんだろ。
もう書類は出しているし、うるせぇんだよ」
「…………」
わたしは黙って布団を握る。
「黙ってお前は準備してろ」
「……わかっているわよっ!
もう寝るからあんたは出て行って」
「……はいはい」
プーセは煙草を吸ったまま部屋を出て行く。
わたしはすぐに消臭剤スプレーを部屋中にまいた。
「……シエル、元気かな。
体調崩さないでほしいんだけど……」
わたしは夜8時だけど、寝ることにした。
寝て全てを忘れていたかった。
寝ようと目を瞑るも、一向に眠れない。
目が冴えてしまっている。
「……お水でも飲もうかしら」
立ち上がって気が付く。
水がこの間なくて汲んだのは良いけど、ポットをシエルの部屋に置きっぱなしにしてしまったことを。
しょうがない…厨房まで取りに行こう。
部屋を出て、厨房まで行き水を貰う。
朝食の仕込みをしていたという新人シェフが、「ご婚約おめでとうございます」と言ってくれたけどちっとも嬉しくない。
水を飲み歩いていると。
私服姿のメイドたちが廊下で立って話していた。
「でも本当残念よねぇ」
「ええ、とても良い方だったから残念だったわ」
「お嬢様に何て言うつもりかしらね?」
わたしがいると気が付かず、話すメイドたち。
ふとその会話が、ティラン伯爵の家で聞いた会話と似たようなもので、
シエルを思い出す。
病気かと疑うほど細すぎる手足。
血色の悪い肌。
目なんて死んだ魚のように色がなくて。
失礼だけど同じ人間だと思わなかった。
でも…シエルだって、同じことを思っていたはず。
自分を奴隷の身分だと真面目に言うシエル。
ずっとストレス発散『道具』としか扱われてこなかったから。
自虐的な発言が多くて、ネガティブで簡単に自分を追いつめて。
よく泣いて、でも笑うことはなくて、いつも辛そうにしていた。
最近では、人間らしくなってきた。
ぎこちなくだけど笑うようになったし、
わたしやドクやアンスやお父様、お母様に身を預けることが出来るようになった。
変わらずよく泣くけど、出会った時と比べたらきっとその涙は違う。
自虐的な発言も最近聞いていない。
頑張り屋さんで心配性で、誰よりも相手を大事にしていて。
「……シエル、好きだよ」
いつも、どこにいたって。
わたしはシエルが、大好きです。
「あっ……こんにちは」
ハッと気が付き、メイドたちのほうを見る。
立ち話をしていたメイドたちに話しかけたのは、シエルだった。
わたしが通販を通じて買った青チェックの服に身を包み、
ドクが買ったスラリとしたジーパンを穿いている。
シエルは細身だし背も結構高いほうだから、ラフな格好がとても似合う。
「あらシエルくん。
丁度あなたの話をしていたの?
ご出発はいつ?」
「今日の夜です」
「これからどうするつもり?」
「アンス・クザンに相談して、落ち着くまでクザン家で雇ってもらえるようになりました」
「良かったわ。
クザン家なら安心よね、お友達だものね」
「はい」
……我が耳を疑った。
シエルが…今日の夜、クザン家に行く?
雇ってもらって、そこで働く?
見るとシエルは、小さな鞄を持っている。
学校の指定鞄で、膨らんでいた。
「それじゃ、そろそろ迎えの時間なので。
お世話になりました」
「待ってシエルくん」
ぎこちなく笑い踵を返そうとしたシエルを、メイドが呼びかける。
「どうしていきなり、お嬢様の傍を離れようとしたの?
お嬢様がご婚約されるから?」
「…………」
シエルは真っ直ぐメイドさんを、長い前髪の向こうの目で見つめ、口を開いた。
「……ここ最近、体調が優れなくて。
ドクさんから、エル様と離れたほうが良いと言われました」
「ドクさんが……?」
「一緒にいるから体調を崩すんだ。
出来ればエル様から離れたい。
とっても失礼な我が儘を言ったら、ドクさんがアンスに声をかけてくれて。
落ち着くまでアンスのもとで過ごした方が良いと……」
「本当に原因は、お嬢様なの?」
「……苦しいから、傍にいるの」
シエルは「それでは」と踵を返し行ってしまう。
わたしは追いかけなかった。
わたしがシエルを苦しめている。
わたしの存在が、シエルの体調を悪くさせている。
「……っ」
こんなに辛いなら、恋なんてしなければ良かった。