雨は嫌い。
お兄ちゃんがくれたこの大きな帽子が濡れるから。
雨は嫌い。
パパとママが死んじゃった日も雨だったから。
雨は嫌い。
お兄ちゃんが遠くへ行っちゃう日も雨だったから。
雨なんて大嫌い…。
『風邪をひくよ』
その声で振り返ると、そこには綺麗な少年が立っていた。
『誰…?』
恐る恐る身構える私に、蝙蝠傘をさした少年は自らを[カナタ]と名乗った。
雨模様のこの空とはやけに不釣り合いな人懐っこい笑顔を見せたカナタに、私は大好きなお兄ちゃんの言葉を思い出す。
「「兄以外の者を信用するでないぞ」」
二人きりの家族になった時、お兄ちゃんは私を抱きしめながらそう言ったっけ…。
『服を乾かした方が良い。
僕の家が近くにあるから、雨宿りしていきなよ。
この辺りは夜になると盗賊たちも彷徨き出すから、君みたいに可愛らしい女性が一人で歩くのは危険だ』
カナタはそう言って、私に蝙蝠傘をさしてくれた。
自分が濡れるのも構わず、私の事を気遣ってくれた。
お兄ちゃんは教えてくれなかったけど、世の中にはこんな風に優しくしてくれる人間もいるんだ…。
私は下着姿の体に毛布をくるんで座り、黙って暖炉の炎を眺めている。
帽子も濡れていたが、大切な物だからこれだけはかぶったままにしている。
『明日には服も乾くからね。
えっと…仕事で遠くに行ってるお兄さんを追いかけて旅してるって?
一人で?そういえば、名前…聞いてなかったね』
カナタは温かいス-プを注いだマグカップを私に手渡すと隣に腰を降ろして来た。
『フェノン…』
私は自分の名前だけを言うと、良い薫りの湯気を立てるス-プに口をつけた。
『可愛い名前だ。
よろしくね、フェノンちゃん』
カナタは目を細めて笑った。
暖かい部屋と温かいス-プに優しい笑顔が私の警戒心を溶かしてゆく。
家族以外の誰かと居て、こんなに安心したことなんて今まで一度もなかった。
カナタから伝わる温もりが心地よくて何だか眠たくなってくる。
私が言いつけを守らなかった事を知ったら、お兄ちゃんはきっと怒るだろうなぁ…。
ごめんなさい…。
『ごめんよ、フェノンちゃん』
私はカナタの声で弾かれたように顔を上げた。
『ごめんよ…』
再びそう告げたカナタの表情からは、さっきまでの優しい笑みは消え去っていて、悲しげに瞳を潤ませていた。
どうしてカナタが謝るの…?
『へへ…、今回はえらく上玉の女を拐って来たなカナタ』
突然の背後から響いた声に振り返ると、いつの間にか数人の男たちが部屋に入って来ていた。
『え…?カナタこれは一体…?』
驚いた私が立ち上がった途端に毛布が床に落ち、男たちから歓声が上がった。
『ハハハ!サ-ビスが良いじゃねぇか!』
これはきっと罰だ…。
私がお兄ちゃんの言いつけを守らなかった罰なんだ…。
屋根を叩く雨音と下卑た笑い声が響く中、カナタは俯いたまま私を見ようとしなかった。
次の瞬間、伸びてくる男の大きな手が私の大切な帽子を掴み取った。
『へへ…この帽子も金になりそっ……な!?
お前…何だそりゃ…!』
帽子で隠していた私の頭部を見て、男たちの表情が一瞬で凍りついた。
見られてしまった…。
[ディノタウルスお兄ちゃん]とは違い、一本しか生えてないこの短いツノが恥ずかしいから隠していたのに…。
『ひぃっ!コイツ…モンスタ-だ!!』
そう叫んだ男の手首を掴み腕ごと引きちぎると、私は帽子を取り返した。
雨音に奏でられた断末魔が部屋中に響きわたる。
人間は壊れやすい。簡単に死んでしまう。
でも、壊すのは少しだけ……タノシイ……。
『あ…あ…ごめんなさい…どうか許して…
僕はアイツ等に嫌々やらされてただけなんだ!』
血どろみの床で、唯一の生き残りであるカナタが涙を流しながら命乞いをしている。
『謝らなくて良いよ。
悪いのは私だから…お兄ちゃんの言いつけを守らなかった
私が悪いんだから…』
私はそう言うと、カナタの頭を蹴り潰した。
生温い血の感触の中、最初に見せてくれた優しい笑顔が脳裏を過った。
静寂へと変わった悪臭漂う部屋の中、雨だけが五月蝿く騒いでいる。
雨は嫌い。
お兄ちゃんとの約束を破った……
今夜も雨だから…。
※次巻❮この冒険、逆にハードモード過ぎません?❯に続く