うたを口にしても、思い出してくれなかったらどうしようと思っていた。あのうたを選んだのは、百人一首の一つだからで、彼の代表作でもあるからで。


私に送りたかったうたを、晶子の頃に受け取った私は、けれど十分にお互いの名前を呼び合えないうちに離れ離れになってしまった。


彼が残したうたは、私と離れてから私に対する気持ちをうたったもの。私は彼と連絡する手段を全て奪われて籠の鳥になっていたから、彼のうたを知ったのが遅くなってしまって、漸くその気持ちを、当時のうたを知ることができたから話したいと思っていたのに。


「思い出さないわけ、ないでしょう。私と貴方ですよ。……貴方は信じていてくださいと、言ったでしょう。疑うのは俺の役目だから、と。貴方はただ、信じていてくれればいいんです」

「……わたるさま、」

「あの頃は、直接別れを言えなくてすみませんでした。私の不手際で貴方にまで不自由を強いてしまった。もう遅いかもしれませんが、これだけはずっと謝りたかった」


ふるふると首を振って、いいんです、と震える声を落とす。私のせいでも彼のせいでもなかったのだから、と続けると、困ったような笑みが聞こえてきてそっとその顔を窺った。


「ずっとずっと、ずっと昔から、私は貴方が、」

「だから、あんなことをしたのですか? 私と別れて、私が死んでからも。……貴方らしくもなく、あんな乱暴を」

藤原道雅。父親の藤原伊周が不敬事件を起こして没落する中で育った、その長男。


荒れた性格で、花山法皇の皇女を殺させた、敦明親王の雑色長である小野為明に重傷を負わせた、博打場で乱行した、など乱行が絶えなかったため、世上荒三位、悪三位とも呼ばれていた。


それが、本当のものであるかは、今を生きる人々に確かめる術はない。けれど、私と彼本人には、その真偽を知る術がある。


「あれは、全て噂にすぎません。……当子内親王と通じて、左遷されたのをいいことに、周りが騒ぎたててあることないこと言っていただけです」


花山法皇の皇女を殺させたのは、彼の名を騙った誰か。小野為明が重傷を負ったのも彼に見せかけた誰かの犯行で、博打場で乱行したのは根も葉もない噂。


「曲がりなりにも、愛がなかったとしても妻は子供たちには迷惑をかけたと思ってはいます。本当のことではなかったとしても、人々は噂好き。噂が立った時点で、もうどうにもならなかったのですから。……でもそれ以上に、貴方を喪った事実の方が重かった」


一度目は、密通が露見して有無を言わせず離されたこと。二度目は、私が死んだとき。


「貴方が死んでから、おかしくなっていた自覚はある。ずっと何もやる気にならずに、だから昇進なんてしないままだった。それがまた、私を貶めることを簡単にしていたのでしょう」