ちびちびホットミルクを飲む私にくすりと笑い、ヒロが言った。
 「ヒカリはさ、どこに行くつもりだったの?」
  正直、返答に困る質問だった。
  いったん心を整理するため、飲み干した空のカップをそばにあった机に置くと、部屋を見回す。
  この部屋にあるものはほとんどが"木"でできていた。
 タンスも机も椅子も。
 初めて見るものばかりだが、本で培った知識のおかげでだいたい何か分かる。
 写真でしか見たことがなかった物が今、触れられる物となって私の前にある。
 片っ端から調べてみたいという好奇心が心の隅に湧き出て消えた。
 「行く場所なんてない。」
  ぶっきらぼうな言い方に感じたろうが、これが私だ。
  逃げているだけ…。
 その言葉は間一髪で飲み込む。
  と、同時に自分の無意識に出た言葉で現実に戻された。
 そうだ。私は何をしている?
 何を勘違いしている?
 私は、怪物なの。
 偽の安息を手に入れても、どうにもならない。
 むしろ危なくなる。私も、この人も。
 「…なら、ここにいなよ。」
 「なっ…!!」
  ついさっき現実に戻ったばかりだというのに、ヒロの言葉でまた幻の世界に引き込まれた。
  なんでだろう。この人といると、妙に安心してしまう。解いたことのない警戒心が簡単に崩れてしまう。
 そんな心の葛藤を気にせず、ヒロの言葉を待っていたかのように扉が盛大に開いた。
 「何言ってんだよ!!!」
  ずかすがとリンタが入ってくる。
 「悪いけど、うちも今回はリンタに賛成だからね!
 お互い何も知らないのに一緒に住むなんて…。」
  もちほん私も二人と同意見だ。
 これでは出会ってすぐにプロポーズするようなものだ。
 プロポーズ…
 私には一生縁のない言葉だ。
 生涯孤独でいなきゃならないのだから。
 リンタもカルも、いずれ結ばれる時が来るだろう。そして、ヒロも…。
 胸の奥がうずく。
理由はわからなかった。
 「僕は、不思議だけどヒカリなら信じられるんだ。
 それに、お互いのことなんてこれから知っていけばいいだろ?僕らに大切なのは時間じゃないんだ。濃度だよ。時間の濃度。」
 「「…!」」
  あっけらかんとヒロが言いはなつ。でも、その瞳は真剣そのものだった。
  二人がどうすればいいのかわからない、という顔で見合う。
 気のせいかもしれないが、またか、という諦めの色も浮かんでいるように見えた。
 うん、やはり二人もヒロに負けないぐらい、優しい人たちだ。嫌なら無理矢理にでも反抗すればいのに。
 本当に子供なのか疑いたくなるぐらいだ。
 いや、子ども故の素直さなのか。
 それともここに住んでるうちに子供の基準を超えてしまったのか。
 「それに、"ここ"でほっとくことがどういう行為かわかるよね?」
  その言葉に、二人がびくりとする。
  ここは安全地帯ではないのだろうか。そもそも、ここがなんなのかすらわからない。どんな場所なのかも。
  そして何故かこの言葉は二人を動かすきっかけになったらしい。
 「わっーたよ…。こうなったら折れねーもんな、ヒロは。」
 「仕方ないわね。見殺しにはしたくないもの。それに、女子が増えたし♪」
  見殺し。
 カルの口からそんな重い単語が出てくるとは。
 防御態勢をとっていなかった分、衝撃は大きかった。
  自負の念が私を捕らえる。
 そう、"見殺し"てきたのだ、日常の中で、私は。
  一歩も動けなかった自分に比べると、カルは眩しいほどの存在だった。
  そう、こればっかりはだめなのだ。
 私がここに定住すれば、必ず"ここ"も戦場となる。
  心の隅で"ここにいたい!!"と叫ぶ自分を捕まえて、潰す。
 こんなのいらない感情だ。
 私は一生一人で生きていかなければならないのだから。
 「やったぁ!ヒカリもいいよね?」
  なんの穢れもない、私には眩しすぎる笑顔。それは今まで見た中で一番の笑顔だった。
 先ほど強く決意したばかりだというのに、心がぐらりと揺れる。思わず頷きそうになっていた。
  しっかりしろ、私。
 唇を噛み、少し表情を崩してしまいながらも首を横に振る。
 「だめ…かぁ。」
  すごく残念そうな顔だった。つられて眉が下に下がる。
 今からでも取り消したい衝動に駆られたが、その感情をまた潰す。
  胸がちくりといたんだ。
 …これくらい、何でもなかったのに。
 …昔は。
 「私といると不幸になるから。」
 「そんなんわかんねーだろ。」
  !!…正直、意外だった。
  反対組のリンタが即答してくれたことは嬉しい。だが、これは決まっていることだ。
 わたしといてはいけない。
 「じゃあ…せめて理由を聞かせろよ。」
  リユウ…
 理由なんて私の存在そのものだ…。
 「言いたくないかな…?」
  ヒロの潤んだ瞳が私を捉える。
  不覚にも大きく跳ねてしまった心臓を、ぎゅっと抑える。
  なんだろう、この感じ。頬が熱い。
 初めての感覚に戸惑いながらも、自分を保つ。
  「ふぅ…」
  …。 
 この人たちには、話さないといけないのかもしれない。
 私の本当の姿を。
 私の全ての罪を。
 結果、疎まれるのは目に見えているけれど。