そもそもなぜ、そのような話になったのかが俺には謎だった。



「耳元で叫ぶんじゃねぇよ。……ここがどこだか忘れてるわけじゃねぇだろ?」

我に返り辺りを見回す。

……そういやここ、病院……

「……なんでそんな話になったんですか。『こんな時』に冗談を言うはずないですよね?」

ばつの悪さを振りほどくように問う。



「俺が次期当主になるために足りねぇモンはなんだと思う?」

「足りないもの……? ……人望……ですか……?」

「テメェこそ冗談言ってんじゃねぇぞ?

……俺に足りねぇモンはな…………財力だ」

「財力……?」

真面目に答えたのだが、違ったようで、返ってきた言葉を反芻する。

「ああ。もう一人の候補は前妻の子でなァ。
残念なことに俺はそいつに財力で勝てねぇってわけだ。

……それを補う方法の一つがお前だ。野田」

ここで違和感。

……あれ、この人俺が女だって言う前提で話してない?

「……会長。俺はおと……」

「お前の経歴は全て調べてあんだよ。なァ。『野田 沙耶香』」

ヒュッと息をのむ。

やっぱりこの人気づいて……



「その、補う方法の一つが俺って……どういう……」

ドクンドクンとうるさい心臓の音。

声が震える。

それは会長が俺の秘密を知っていた事に対してか。

それとも、次に紡がれる言葉を本能的に察してのことかは、わからない。



「お前ン家、結構金持ってんだよなァ」

それが、答え。

「テメェが手に入りゃあ俺は次期当主になれる。
……お前さ、どうしてぇ?」

「どうって……そんなの祐一郎を……」

「だろぉ?
だったらいい話だと思うぜ?
俺と婚約すりゃああいつを助けられる」



それへの答えに迷うことはなかった。

だってそんなの決まってる。

俺は、祐一郎を助けたいんだ。

『俺』を捨ててでもいい、祐一郎が笑っていられるならそれがきっと俺も……幸せになれる、道だから。



「……俺は自分に何があっても……祐一郎を助けたい。
祐一郎が幸せな、そんな道を選びたいです」

「交渉成立だな」

外は土砂降り。



こんなんじゃ文化祭、中止かな。

と、もう二度と行けないかもしれない場所を思い浮かべる。



おそらく俺は今日から……『私』に変わる。

沙耶香に戻る。



そうしたなら『光也』として笑った、そこには……戻れない。