気付けば「楽しみ」にしていたはずの時間は「苦しみ」の時間に。

そして次第に私は「笑う」ことが少なくなっていきました。

その行為自体が苦しくなってしまったのです。



それでも「偽りで笑う」ことはいくらでもできました。


気持ちをどこまでも押し殺して。

深い深い瓶の底に沈めて蓋をしてしまえばよいのです。

そうすれは「偽りの笑み」はいとも簡単に表に出てきてくれるのですから。


それはある意味普通の「笑み」よりも「笑み」らしかったでしょう。



笑っているから大丈夫、など侮ってはいけません。



「偽りの笑み」は最大の「防御」なのです。


気持ちを吐き出すことを躊躇った先の「防御」なのです。



しかしそれすらも辛くなったとき、私はそのまま「眠り」へと落ちてしまいました。


その偽りからさえも逃げるように「眠って」しまうのです。



その先にまた新しい現実があるのを知りながら。


それでも私は「眠り」へと心を捧げてしまうのです。