大祐から提案された最初のデート場所は引っ越しを控えた
所沢の私の部屋だった。一駅で交通費も大してかからないからだろう。
私は引っ越しの準備と並行して、大祐を家に招く準備をした。
正直、とても大変だった。招き入れるのに段ボールばかりも良くない。
でも、引っ越しはもうすぐ。バランスが難しかったのだ。
私が進学する大学は東京の東側、東大の近くにある。
住所は所沢から千駄木に変わる。
秋津と千駄木は片道1時間ほど、もう頻繁に会うことは
できなくなるだろう。学校が始まればなおさらだ。
私は資格のために早いうちから勉強したかった。バイトもだ。
そのためには、時間とお金が必要だった。
私の家でしたことといえばゴロゴロして、つまらない
テレビ番組を見て、大祐が披露する見下し(その対象は個人
であったり概念であったり様々だった)トークに付き合う。
そして、強引気味にベッドに押し倒される。
そのときはそれでも楽しく思えた。受験時代よりはるかに。
「次いつ会えるの?」
「引っ越して2日なら大丈夫かな? 千駄木駅から不忍通りに出て
すぐにある喫茶店に10時30分で!」
だから私は会いたがっていた。大祐に、頻繁に。
引っ越しはその3日後に行われた。片付けと引っ越しの準備で
私は疲弊していた。
このころから勉強時間は格段と減っていた。
その日、直前まで勉強していた私は慣れない道を部屋から
必死にたどって不忍通りの喫茶店に来た。
前日の単発アルバイトで疲れていたこともあってか、
私は相当遅れてして到着した。
「全然大丈夫だよ。本、読んでたから」
私は大丈夫ではなかった。疲れはピークに達していた。
それでも大祐は私の部屋に終電近くまで居座って、
見下しトークと行為を強いてきた。大祐は終電で帰った。
私は再び慣れない、それも夜道を一人で歩いて、
飲みっぱなしの部屋を片付けた。
翌日も、その翌日もお構いなしにデートは続けられた。
決まって見下しトークと行為がついてきた。
もう単発バイトも勉強の時間も確保されず、
ついには睡眠さえ危うくなってきた。
そうしているうちに入学式があって、授業が始まった。
私はほっとした。授業が始まれば毎日のように終電までいたり、
泊まることもないのだから。
その安堵は瞬きをする間もなく失われた。
学校が始まっても授業が終わってから時間と場所
(それはほとんどどちらかの家だった)を細かく指定されて
会いに行き、見下しトークを浴びせられる。
泊まられることはむしろ増えた。
私の恋心が次第に弱々しいロウソクの炎のようになっていくのを
感じずにはいられなかった。
5月に入って何日かすると、それは消火されていた。
それでも薄く煙が立ち上っていた。
私は思い切って平日のデートを控えるよう何度も提案した。
まだ火がある頃からだ。
大祐は決まって謝ったが、再びあの日々が容赦なく始まった。
バイトはおろか勉強も一切できず、交通費と移動時間で
私の財布と身体と精神はいよいよ限界に近くなって来た。
実家のレストランのこと、私の家族のことを根掘り葉掘り、
毎日のように聞かれた。とうとう学校にも遅刻するようになり、
大祐には
「遅刻仲間だね!」
などと心もとない言葉を浴びせられた。
友人は私のことを不真面目で遊び人な大学生だと思っているだろう。
そんな友人たちから聞くノロケ話に私は思わず聞き入った。
ありきたりのない会話。大学生らしい会話。
良い感情のときに相応しい場所で行われる行為。
その当たり前に飢えていた。

私はようやく、大祐と別れることを決断した。