(…本当は、無茶するなよって言いたい所だけど…)
その可愛い顔に、思わず怒る気も失せてしまう。
「本当にお前、絡まれやすいよな…。だから余計にほっとけないんだよ」
しょうがないな…という顔で笑って言うと「ごめん…」と夏樹が僅かに眉を下げた。
「でも、まぁ…今回は俺が一緒にいれば回避出来たことかも知れないし。やっぱり俺のせいだよな。ごめんな?」
しゃがみ込んで、捻ったという足の部分をそっと確認していた雅耶がそのままの体勢で夏樹を見上げると、夏樹は小さく頭をぷるぷる振った。
そんな愛しい動作に、思わず笑みがこぼれる。
雅耶は、ゆっくりと立ち上がると。
「こんなんじゃ、ナイトの称号…剥奪されちゃうよな」
そう言って笑った。
「…ないと…?」
夏樹は言っている意味が解らないのか首を傾げている。
「そ。前にさ…力の別荘で薬盛られて眠っているお前を、並木さんが俺の所に連れて来たことがあっただろ?その時に冬樹が言ったらしいんだ」
「ふゆちゃんが…?」
「うん。夏樹の騎士は俺だから…って、さ」
「……っ…」
夏樹は初めて聞いたらしく、頬を染めて驚いている。
「まぁ…『お兄ちゃん』に、そこまで認めて貰えてるってのは凄く光栄なことだとは思うけど…。でも、冬樹に許可されるまでもない。ずっと俺が夏樹を守っていきたいって…そう、思ってるよ」
まるでその瞳に誓うように雅耶は夏樹を真っ直ぐに見つめて言うと、ずっと繋いだままだった夏樹の手の甲にそっとキスをした。
それに反応出来ず、真っ赤になって固まってしまっている夏樹に、雅耶は満足気に微笑むと。
「さて、じゃあ…行きますかっ」
そう言って、素早い動作で夏樹を横抱きに持ち上げた。
「わぁっ!」
突然のことに慌ててしがみついて来る夏樹に、堪らなく愛おしさを感じる。
「ちょっ…雅耶っ。オレ…歩くよっ…」
わたわた余裕のない様子に、雅耶は微笑みを浮かべながらも平然と言った。
「無理するなよ。足、結構腫れちゃってるみたいだし、すぐに冷やした方が良い。保健室までこのまま運ぶよ」
そうしてゆっくりと歩き出した。
「ちょっ…待って…っ…。重いよっ。オレ…っ降りるからっ…」
夏樹は申し訳なさを感じながら控えめに暴れていた。
だが、雅耶は足を止めてはくれない。
「重くないよ。前にもこうやってお前を保健室に運んだんだ。だから大丈夫」
(いや、大丈夫どうこうじゃなく…っ…)
夏樹は顔を真っ赤にしながら、半ばパニック状態だった。
これは、いわゆる『お姫様抱っこ』というヤツだ。
こんな風に雅耶に抱えられるのは、確かに初めてではないのだけれど…。
「このまま、行くのっ…?」
保健室へ向かうということは、沢山の人の中を抜けて行かなければならないのだ。
(それは流石に、あまりにも恥ずかしすぎるっ!!)
注目を浴びることは勿論そうだが、何よりさっきから心臓がバクバクいっていて、それを雅耶に悟られてしまいそうなことが、何よりも恥ずかしい気がした。
夏樹が必死に『降ろして』と意思表示をするも雅耶はそのつもりがないらしく、しっかりと夏樹を抱きかかえながら余裕の笑みで言った。
「あんまり暴れると、スカートが捲れちゃうぞ?それに、この状態が恥ずかしいなら俺の首に腕を回して胸に顔を埋めていればいいよ。そうすれば誰だか判らないから」
「……っ…!!」
(それは、もっと恥ずかしいよ…っ…)
だが…。
保健室がある棟には、通常一般の客が入れないようにはなっているものの、昇降口を通ることは避けられず、二人が周囲の注目を浴びてしまったのは言うまでもない。
そこには、結局注目される恥ずかしさから、その胸に顔を埋めて雅耶に必死にしがみついている夏樹がいたのだった。
別に、このままでも平気だと思っていた。
独りでいるのが好きというワケじゃない。
ひとりが寂しくないワケでもない。
だけど、再び温かい場所を知ってしまったら、次に失った時に立ち直れなくなってしまいそうで…。
誰かと一緒にいる空間が当たり前になってしまった時、自分がどう変わってしまうのかが何だか怖い、だなんて。
でも、本当は…。
今までだって『あたたかい場所』は近くにあったのだ。
自分がそこに踏み込めず、避け続けていただけで…。
学園祭の翌朝。
夏樹はまどろみながら、ベッドに横になり天井を見上げていた。
今日は日曜日。
予定は特にない。バイトも一日休みだ。
その為、特に目覚ましを掛けることなく眠ったのだが、思いのほか早く目が覚めてしまったようだ。
枕元の目覚まし時計を見ると、まだ朝の7時を過ぎた所だった。
(寒いし、布団から出たくないな…)
横向きに寝返りを打つと首まで布団に潜り、再び目を閉じる。
昨日は色々なことがありすぎて、何だか疲れていた。
最終的には雅耶のお陰で、嫌な思い出にはならずに済んだけれど。
自分の中にある嫉妬心とか、一丁前にも独占欲とかがあるのだということが分かって、ちょっぴり複雑な気持ちだった。
(…あんなに泣くなんて…。思い出すだけでも恥ずかしいっての…)
小さく溜息を吐く。
それに、昨日沢山泣いたからだろうか。
今日は瞼が重い感じだ。
夏樹はそっと瞳を開くと、何処を眺めるでもなく昨日のことを思い返していた。
泣いたことも勿論なのだが、何より恥ずかしかったのは抱きかかえられながら保健室まで行ったことだった。
(雅耶があんな大胆な行動に出るとは思わなかった…)
大勢の注目を浴びる中、雅耶は保健室まで自分を横抱きに抱えながら運んでくれた。
普段なら『降りたい』と、こちらが意志を示せば『そうか?』と降ろしてくれそうなものなのに。
昨日の雅耶は違った。
雅耶の胸を借りて顔を隠していた自分と違って、雅耶は皆の注目を一身に浴びてしまっていたのに、全然動じない様子だった。
その上、何故だか嬉しそうだったなんて。
(オレの慌てた反応がそんなに面白かったのかな…)
雅耶の男心が解っていない、夏樹だった。
保健室には当然のことながら清香がいて、二人の思わぬ登場の仕方には流石に驚きを隠せない様子であった。
だが手当をして貰っている途中で、クラスでの集合連絡が入り、雅耶が保健室を出て行くと、先生は優しく夏樹の話を聞いてくれた。
「良いんじゃないかしら。たまには内に秘めたものも吐き出さないと身体にも良くないのよ。貴方は我慢しすぎる所があるから…」
「そう…?かな。別にそんなことはないと思う、けど…」
「うーんと我が儘言って甘えて、何でも雅耶に聞いて貰ったら良いと思うわよ?その方がきっと、あの子だって喜ぶハズだと思うな」
「…ワガママ…」
「そう。男の子は好きな女の子に頼られると嬉しくて、頑張れちゃうものよ。だって、さっきの顔見た?この教室に入って来た時の雅耶の顔。それはもう、すっごく嬉しそうだったんだから♪」
清香先生は雅耶のお姉さん的存在の人なので、雅耶のことに関しては若干面白がってる感が見て取れるのだけれど。
「雅耶は、きっと見せつけたかったんだと思うな」
「見せつけ…?…誰に…?」
「勿論皆に、よ。夏樹ちゃんは自分のものなんだって誇示したかったのね。それこそが雅耶の独占欲なんだと思うわ。好きな人を独占したいと思うのは、当たり前のこと…自然なことなの。全然恥ずかしいことではないのよ」
そう言って優しく笑ってくれた。
捻って痛めた足は、思っていたよりもかなり腫れていて。
結局、その後は保健室から出られずにいたのだが、雅耶を通じて事情を聞いたらしい愛美と長瀬が後から顔を出してくれた。
二人には余計な心配を掛けてしまったようで申し訳ない思いで一杯だったけれど、何より二人の仲がすごく良いカンジになっていて安心した。
そうして、帰りは例によって清香先生の車で家まで送って貰ったのだった。
夏樹は寝返りを打つと、再び天井を見上げた。
先程よりも幾らか窓辺に陽が当りだし、カーテンの隙間から差し込む光が部屋の中をぼんやりと照らしていた。
今日も天気が良さそうだ。
(そろそろ起きるかな…)
頭の端ではそう思いながらも、なかなか布団から出られずにいる。
夏樹は横になったまま、大きく伸びをした。
(でも、愛美と長瀬がホントに付き合うことになったなんて、ちょっとビックリだな…)
昨夜、帰宅後。
夏樹は愛美と長瀬の二人から、それぞれ報告のメールを貰った。
愛美はちょっと照れ気味に。
長瀬の方は、テンション高めだったけれど『協力ありがとう!』と念を押すように何度も感謝の言葉が書いてあった。
そうして今日、早速初デートをするのだそうだ。
その行動の早さと長瀬の浮かれようには思わず笑ってしまうけど…。
(でも…二人が嬉しそうなのは、オレも嬉しい…)
心からそう思う、夏樹だった。
夏樹は意を決して起き上がると、まずはベッドから床に足を降ろし、痛めた方の足を確認する。
(まだ、少し腫れてるけど…大丈夫そうかな…)
様子を見ながらそっと立ち上がる。
若干痛みはあるが、昨日ほどではない。
そのままゆっくりと窓辺へ近付いて行くと、カーテンを開けた。
暖かな日差しが窓ガラスを通しても感じられる程の、ぽかぽか陽気だった。
「………」
(爽やかな朝…と言いたい所だけど…)
でも、何故だろう?
妙に身体がだるい。
(なんか、頭もぼーっとする…)
違和感を感じながらも、昨日泣き過ぎたせいかな?…と、気を取り直して動き出すことにした。
どのみち、今日は休みだ。
足の方も無理しないようにと言われているし、家でゆっくり過ごす分には問題ないだろうと夏樹は思った。
夏樹が起き出してから約一時間程が経過した頃。
珍しく家の呼び鈴が鳴った。
(…誰だろ?)
疑問に思いながらも、そっとドアへと近付いて行く。
今日雅耶は、午前中は部活と例の実行委員の集まりがあると言っていた。
少し時間が被るので途中で部活を抜け出さないといけないし憂鬱だと昨夜電話で話しをしていた。
『終わり次第顔を出すから』そう言ってはいたけど。
(流石にまだ、そんな時間じゃないし…。変なセールスとかだったらやだな…)
そう思い、ドアスコープからそっと外を覗いてみた。
だが、そこに居たのは…。
「……えっ…?」