この制服をまとうのも今日で最後かもしれない。
そう思うとほんの少し胸が締め付けられるけれど、もう決めたことだ。
後悔はないよね、と自分に言い聞かせる。
そうして振り切るようにマスター寮に背を向けた瞬間、あたしは思わず悲鳴をあげそうになった。
「っ、え、さ、櫻井さん?」
あたしが今まさに通ろうとしていた道をぴたりとふさぐように立っている男性。
いつも通りシワひとつないスーツ姿の彼は、マスターズ寮の執事を担っている櫻井さんだった。
けれど、明らかにその様子は〝普段通り〟ではなかった。
こちらをじっと見据える鋭い視線。
その凛とした佇まいだけで、やっぱり普通の人間ではないのだと充分に認識できるほどの圧倒的なオーラ。
思わずごくりと唾を飲み込んで、狼狽えてしまう。
こんな人だったっけ?
そう思わずにはいられなかった。
いや、たしかに初めてこの寮で会った時から、執事としてはなにかと完璧な人ではあった。
掃除や洗濯といった家事代行の全般から、毎日用意してくれる食事も、マスターズ寮内の様々な施設の管理も、いつだって抜け目はなかったように思う。
──それでも、ここまで“気を取られるような”存在ではなかったはずだ。
「姫咲様」
櫻井さんが静かにあたしの名前を呼ぶ。
その瞬間、喉の奥ががちごちに凍りついたように声を発することが出来なくなった。
一歩、また一歩とゆっくりこちらに近づいてくる彼にその場から一ミリたりとも動くことは出来ずに立ち尽くす。
なんなのこれ……?
この人、何者なの……?