「……私、は……」

泣きたいような気持ちで、ヒナはどうにか言葉を口にする。

「私は……本当になにも、知らないんです……! あのおじいさん……惣右介会長が、ここの会長だっていうことすら、今日知ったばかりで……」
「それにしては親しげだったように思うが?」

タイガが感情を極力抑えた声で――抑えよう、という意思が感じられる声で、そう尋ねた。

「だいだい、ノコノコ会長室までついてきてきておいて、知らなかった、はないだろう。お前、どうやら本当にここの社員のようだが、どこの馬の骨ともわからないじいさんのために仕事を放り出したのか?」
「本当に知らないんです! 今日だって、私の席にいきなりやってきたからついて行かざるをえなかっただけで」
「理由はどうあれ、いきなり現れた正体不明のじいさんのために、お前は仕事を放り出した。そうだな」

たたみかけるようなタイガの言葉に、ヒナは返事につまる。

「それは……申し訳ありません、そういうことです」
「職務怠慢だ」
「そうかもしれません! そうかもしれませんけど……その……」
「なんだ」
「その……あの、惣右介会長のこと……実は……」
「実は……憎からず思っていたから? それとも、金持ちのじいさんだということを薄々察して……」
「違いますってば! そ、その……今となってはいいにくいんですけど……」
「早く言え」
「それが、その……」


ヒナは決意を固め、言った。



「ちょっと……その、あのぅ……痴呆が入っているおじいさんなのかな、と……」





沈黙が落ちた。


「思えば言ってることめちゃくちゃだし、周りにたっていた警備員のひとも腫れ物を触るように扱ってたし、もしかして、と思って……」

沈黙が怖くて、ヒナは必死にフォローする。
タイガの答えはない。

「……それで会社に入ってきてしまったのなら、放っておけないなって……」

沈黙はまだ続いている。

不安になったヒナは、恐る恐る視線を上にあげた。


タイガは、ヒナから目をそらし――表情が見えないようにか手で己の顔を隠し、上半身をぷるぷると震わせている。



「……あの……?」



ヒナは、タイガの顔をのぞきこむように首を傾けた。

「あの……タイガさん、もしかして……すっごい笑ってます……?」



「笑ってなどいるか!!!」



目じりに、笑いすぎて出てきたらしい涙をほんのり浮かべ、タイガが怒鳴り返してきた。