「ヒナ、って」
「……平ヒナ……?」
「で、すか?」
「そう、そいつだ。やっぱりここか。どこの席だ?」

女子社員の返事を聞いたタイガが、出入り口から業務推進2課のなかを覗き込むように、ヒナの姿を探す。

「でも、ヒナさんにいったいなんの用事ですかぁ?」
「あっ、わかった! 出した書類にミスがあったとか?」
「それだったら、彼女は派遣なんで、いったん正社員のアタシらのほうでお話を――」
「いや、彼女本人じゃなきゃダメなん――おい!!!」

タイガの口から、ヒナにとっては聞き慣れた怒鳴り声が飛び出した。

「ひっ……」

タイガの口から自分の名前が出てくる前からこの事態を予想して、こそこそと別の出口へ――通常の出入り口とは反対側にある非常階段口へ――向かっていたヒナだったが、非常扉の取っ手に手をかけたところで、タイガに見つかってしまった。

ヒナを見つけるなりずかずかと部屋のなかに入ってきたタイガが、猫の子でもつかむようにヒナの襟口をつかんだ。

「お前! 逃げるつもりか?! 許さんぞ!!!」

耳元で怒鳴られたヒナは、着地する子猫さながらに体を縮め、思わず叫ぶ。

「ぼっ、暴力反対いっ!」
「な……」
「いいかげんにしないと、ぱ……パワハラで訴えますからね!」

こういう状況って、パワハラ、でよかったっけ、と頭のなかで多少の疑問をおぼえつつ、ヒナは勢いにまかせてタイガに言い返す。
タイガは一瞬顔面蒼白になったあと、今度は真っ赤になって怒り出した。

「誰がパワハラだ! 暴力を振るわれたのはこっちだ! さっきお前に殴られたところ、まだ赤みが引かないんだぞ?!」
「そ、それは申し訳なかったですけど……でも……!」

部屋の隅でもみあうタイガとヒナ。
そんなふたりを、呆然と見守る社員たち。
その視線に気づいたタイガは、ヒナの襟から手を離す。
ヒナがほっとしたのもつかの間、今度は手首をつかまれ、強引に引っ張られた。

「ちょっ……なにするんですか!」
「いいから来い! それとも、俺と出来てるとでも噂にされたいのか?」
「は?! 冗談じゃないです、あなたみたいな人!」
「だったら黙ってついて来い!」