私は歩くのをとめて、ヤツの影になった顔を見詰めた。
「こんばんは」
影が言った。
聞いたことがある声。ちょっと低めで、ざらりとしている。
私は表情を消したままでボソッと呟いた。
「・・・害虫野郎の登場だわ」
ちゃんと聞こえたぞ、と呆れたような声色で、ヤツが言った。一歩下がって顔を光にさらす。それは、今日の昼間私の職場に現れた、蜘蛛男だった。
「・・・あなた、よほど暇なのね」
私の言葉にヤツは手をヒラヒラと振る。
「言っただろう、あんた達のせいで仕事が停滞中なんだって」
それからゆっくりと近づいてきた。
「さて、交換材料を貰い受けるよ。息子ちゃんは夢の中かな?」
私は唇をかみ締めた。
全く、どうやって情報を手に入れたのだろう。私はヤツは保育園を見張ってるだろうって思ってた。だから、帰り道は気をつけなきゃって。それからはまた百貨店に戻って、桑谷さんにコンタクトを取るだろうかって、思ってたんだけど─────────・・・
ヤツは、目の前にいる。
私はベビーカーから手を離し、その前にたって肩からおろした鞄を地面に放り投げた。
人気のない夜の道で、蜘蛛と向かいあう私。うしろには守らなければならないもの。
口元にあざけりを浮かべて私は口を開く。