『虫王子』

言いふらすまでもなく、もう彼のあだ名はそんな風に変化していたらしい。

『口を開けば虫の話しかしないよ、あの人』
『虫と楽しそうに会話してたんだって』
『あの大きなリュックの中に、いっぱい虫を入れているらしいよ』
『なんか、虫を食べたりもするみたいだよ』

『かっこいいのに、残念だよねぇ……』

あの日から一週間後の学食で、隣の女の子たちのグループからそんな会話が聞こえてきて、私は心の中で思わずガッツポーズを決めた。

麻衣の話によると、そんな噂があっという間に広がり、虫王子の周りから女の子が一人また一人と離れていっているしい。

「いい気味」

紙コップに入ったコーヒーを一口すすって、私はこっそりと笑う。

「本当なのかな。虫を食べるって」

麻衣はカレーうどんをお箸でつまんだまま、眉をしかめた。

食事時にする話ではないな、と思いながらも私は「あの人なら食べそう」と返す。

「あの人って、知ってるの? 虫王子のこと」

不思議そうな麻衣に私は先日の出来事をかいつまんで話した。

団子虫を載せられたところを話すときは、泣きそうになったけれど。

「気持ちわる……」

麻衣は眉にしわをよせて、カレーうどんを食べる手を止めた。

やっぱり食事時にする話じゃなかったな。

「地面にはいつくばって団子虫を集めて……。そんなに集めてなにするんだろうね」

麻衣の問いかけに私は「さぁ」と首をかしげた。

「食べるんじゃない?」

冗談で言ったつもりだったけれど、口にした途端、そのインパクトに驚いて寒気がしてしまう。

「やめよ、この話」

麻衣の言葉に私が「うん」とうなずいたちょうどそのとき、「あ! いた!!」と背後で大きな声が聞こえた。

私には関係のないことだとコーヒーをすすっていたら、急に肩をつかまれて思い切りむせる。

「ちょっと……なによ!」

振り向いた先にいたのは、噂をすればなんとやら。
虫王子だった。