二人とも出勤の日、私が彼より先に起きられたためしがない。
まったく、休日は無駄に早く目が覚めたりするくせに……。
目覚ましは同じ時刻にセットしている。
それなのに、私がアラームの音に叩き起こされたときにはもう彼はベッドにいない。
というか、彼のアラームが鳴っているのを聞いたことがない、たぶん。
以前それについてたずねたことがある。
「あー、仕事のある日の朝は、目覚ましより早く起きて、鳴る前に止めるのが習慣になってるからなぁ」
彼は暢気な口調で言ったけれど、私にはかなり衝撃だった。
「それってつまり、目覚ましなしで起きてるってことですよね?」
「それがそうとも言えなくて」
「へ?」
「どうも僕の体はアラームをセットした時刻の少し前に目覚めるようにできているらしい」
「はあ」
「それで、目覚ましなしだと、起きる時刻の目安がわからなくなるみたいなんだ」
「えーと」
「けたたましい音で起こされるわけではないにしろ、つまるところ僕は目覚ましのおかげで起きられているという話だね」
「うーん」
「鳴ることなく主を起こす目覚まし」
「それ、鳴るまえに目が覚める秋彦さんというだけですよね」
彼はやっぱりちょっと変わっていると思う。
まあ、そういうところも、おもしろくてたまらないのだけど。
今朝もまた、彼のほうが早起きだった。
ベッドからもっそり出て、とろとろとキッチンへ向かう。
グレちゃんの気配はない(彼女はまたどこへ……)。
なんとなくコーヒーの香りがして、キッチンに立つパジャマ姿の彼が見える。
どうやら新聞を見ながらコーヒーが出来上がるのを待っているご様子である。
(私の気配にまだ気づいていない?)
チャンス到来とばかりに、私はそーっと近づいた、のだけど――。
「“千佳さん、千佳さん、千佳さん”」
「バレバレでしたね……」
「一瞬グレかとも思ったけど。獲物を見るような視線だったよ?」
「そんなそんな」
「僕は名前呼びの練習中でした」
(うそばっかり……)
「そうですか。私はもうすっかり慣れたので練習の必要ないですけど」
「それは嬉しいね」
つんつんする私と、にこにこの彼。
彼は折りたたんだ新聞を手に持ったまま、ふんわり私を抱きしめた。
(ああ、この感じ……)
みるみるあふれる幸福感。
充電完了? ガソリンならハイオク満タン?
「千佳さん?」
「私は幸せの噛みしめ中なんです」
「じゃあ、僕も」
抱きしめる腕に気持ち力が入る。
私はぽつりと言った。
「もし、慣れすぎてしまったら……」
「というと?」
「あ、呼び方の話なんですけど。うっかり職場でも“秋彦さん”と呼んでしまったりしないかと」
「なるほど」
「秋彦さんのほうは大丈夫でしょうけど。私はうっかりやらかしそうで」
「それが心配だと」
私はこっくり頷いた。
「だからって名前で呼ぶのが嫌とかじゃなくて。名前で呼んでもらえるのは嬉しいし。もちろん、呼べるのも」
「僕は別にかまわないと思っているんだ」
「え?」
「うっかり名前で呼んでしまったとしても」
「えっ」
思わず驚いて顔を上げると、彼が「ん?」て表情で首を傾げた。
「僕らは別に不倫というわけでもないし、レイちゃんによると職場恋愛禁止というわけでもなさそうだ」
「けど……」
「君の言わんとすることはわかるよ。隠し立てする必要もないけど、知られたら面倒なのは確実だから黙っておくのが得策だと僕も思ってる」
「ですよね」
福山さんや、貴志先生や桑野先生、その面々が向ける好奇の眼差しは容易に想像できた。
「さ、コーヒーができたみたいだ」
彼は「気分を変えよう」と私の肩をぽんぽんと叩いた。
「今朝はほら、久々にホームベーカリーもはりきって稼働しております」
「えっ!?」
(そうか、だから今朝はコーヒーを)
朝はいつも和食のことが多くて、お茶を飲むことが多いから。
「昨日の夜のうちにセットしてくれたんですよね? ぜんぜん気づかなかった」
「別にこそこそしていたわけじゃないけどね」
「なんかすごいサプライズです」
私は思い切りぎゅっと抱きついた。
「材料入れてスイッチ押しただけですが」
「私から見れば偉業です」