想定外の展開かというと、たぶん違う。それでもやっぱり緊張する。

(困った。勝負下着なんて用意してなかった)

おまけに、こんな状況だし……。とりあえず上下バラバラとかでなければ大丈夫かな? いやまあ、大丈夫も何もどうしようもないんだけど。

(先生、仕事のメールを片付けちゃうって言っていたけど。もう終わったかな? ひょっとして待ってるかな? 私、お部屋に行ってもいいのかな?)

私はドキドキしながら寝室のドアをノックした。

「――先生?」

「どうぞ」

「し、失礼します」

枕を抱えて遠慮がちにドア口に立つ私を見て先生が笑う。

「初診の患者さんじゃないんだから」

「それはそうですけど」

先生はヘッドボードを背もたれにして本を読んでいたようだけど、表紙をぱたんと閉じた。そうして、私をまっすぐに見てふわりと笑った。

「おいで」

優しく招き入れられて、胸がきゅうっと熱くなる。

「おじゃまします」

ダブルベッドに、ダブルサイズのタオルケットと肌掛け布団。眼鏡を外した先生と、先生と色違いのパジャマを着た私。私たちは向かい合うかたちで横になると、肌触りのよい寝具にくるまった。

「遠慮はよくない。ネコはもっとふてぶてしくなければ」

「すみません……」

「君はそうやってすぐに謝る」

ベッドの中でこんなふうに保坂先生と話しているなんて、やっぱりまだちょっと不思議な気分だ。

「だって……」

「すまない。決して責めているわけではなくて」

先生は少し困ったようにそう言うと、腕枕して私をそばへ引き寄せた。

「僕からすれば、君こそいつも損ばかりしている気がして。君が誰かのかわりに謝っている場面を見たことがある。君は悪くないのに」

「患者さんにとっては誰のミスかというのは、あまり関係ないですから」

「それにしたって、僕は納得がいかない。君はいつだって真面目に誠実に仕事をしているのに。どうして君が……」

やっぱり保坂先生は、私の応援団だったのだ。

「先生」

「なんだろう?」

「私、じゅうぶんです。自分が損してるなんて思いません。先生が私のことを認めてくださっているならそれで。それだけでもう」

縋るようにくっついて、先生の胸に頬を寄せる。

(あったかい。とってもちょうどよいあったかさ)

気持ちがよくて、すごく――安心する。

「君といると――」

「え?」

「いや、こうして君といると、本当に落ち着くなぁって」

「私もです」

(先生と私、おんなじ気持ち)

嬉しくて、嬉しくて、嬉しすぎて。もう、大きな声で叫びたいくらいだった。

「癒されるよ……本当に、すごく……」

(……先生?)

言葉が途切れとぎれになって、おかしいなぁと思ったら――。

「あらら……」

(よっぽどお疲れだったんですね)

私を優しく抱き寄せたまま、先生はすぅっと静かに寝入ってしまった。

すっかり安心しきったような保坂先生の穏やかな寝顔。こんな無防備な表情、職場では絶対に見られない。私のまえで――私のまえだけで心を許して開いてくれる保坂先生。

(幸せだなぁ、私)

すやすやと眠る先生の寝顔を見守っていられる今が嬉しくて頬が緩む。すると、ドアのほうで何やらガリガリと音がした。ドアの向こうでグレちゃんが「入れて」とせがんでいるらしい。

(今、開けますからね。少し待っていてください)

私は先生を起こさないように、そっとそっと腕を解くと、ベッドを抜け出して、ドアを少し開けてあげた。先生は「遠慮してもらう」と言ったけれど、今夜は一緒に。

先生と私。足元には、寛いだ様子でまるまったグレちゃん。

(明日、帰りに新しい下着買ってこよう)

二人と一匹(それとも、飼い主とネコ二匹?)の夜は、穏やかに更けていった。