だけどもう、気づかないふりが辛くなってきた。

先生の優しさが、私だけに向けられる特別な気持ちならいいのに。そう願う自分がいる。

一方で、そんなことは夢のまた夢と冷ややかに思う自分もいる。

善良な人の優しさを愛情と勘違いしてはいけない。

そう言い聞かせながら、期待せずにいられない。

だけど、怖くて確かめられない。

そんな私の複雑な胸中を知ってか知らずか――夕方になり家を出るとき、先生は玄関先で見送る私をまっすぐに見つめて言った。

「諸々よろしくお願いします」

「はい」

「それから、あのことも考えておいてください」

「え?」

「ウチのネコになることです」

(どうしよう。ちゃんと確かめないと。それは、引っ越し先が決まるまでご厄介になることなのか、それとも――)

「先生、それって――」

「君はちっともわかってない」

「え?」

瞬間、ふわりと抱きしめられた。

「僕が一緒にいたいから。心配なのは同僚だからじゃない、同情でもない。君だから――」

(どうしよう、何て言ったらいいかわかんないっ)

きっと欲しかった言葉。すごく待っていた言葉。なのに、だからこそ――嬉しすぎて、びっくりしすぎて声が出ない。

「窮地に付け入るようで心苦しい気もしないでないが……これも何かのタイミングかと思って。僕らが近くに住んでいたことも。あのとき、僕が偶然通りかかったのも」

先生の胸に頬を埋めて、優しい腕の中におさまりながら、その言葉に耳を澄ます。足元にはグレちゃんがいて、興味津々といった具合にちょろちょろとまとわりついている。

「困っているのなら頼って欲しいし。何より、僕が――君にそばにいて欲しい。もちろん、グレも嬉しいだろうし。いや、グレのことはまた別として……」

話がどうもあやふやになってきたと思ったら、先生はあっさり言った。

「あ、好きです。君のこと」

(先生、そんなついでみたいに……)

あんまりロマンチックじゃない気もするけど。でも、そういうちょっとズレた感じがまた保坂先生らしくもあり、私の胸はじんわり熱くときめいた。

「先生、あのっ……」

速すぎる鼓動に困り果てながら、私はどうにか言葉をひねり出そうと、声をしぼりだそうとした。なのに――。

「おっと、時間だ」

「え?」

先生はぱっと体を離すと、私の肩をぽんぽんと叩いた。

「とりあえず考えてみてください。帰ってきたらまたゆっくり話を。グレのこと、申し訳ないがよろしく頼みます」

「あ、はいっ」

(うそ、先生このまま行っちゃうの???)

「では、行ってきます」

「い、いってらっしゃいデス」

(うわー、本当に行っちゃった……)

保坂先生は、ほぼ一方的に言いたいことだけ言って出かけてしまった。返事を何一つ聞かぬまま、私を放置プレイ状態にして……。

そうして私は、とりあえず保坂家のお留守番ネコになったのだった。