「宮内部長?」
「……え?」
「え、えっと……、あのっ」

そういえば受け止めて、抱き締めたままだったっけ。
大人しかったから、心地良すぎて忘れるところだった。
名残惜しく力を緩めると、助けられたと勘違いしている美琴に頭を下げられる。

「あぁ、白坂とは色々と話したから」
「え!?」
「データ入力は、ちゃんと白坂がやるそうだ」
「……私のこと、信じてくれるんですか?」
「まったく。困ったら言えって言ったのに、強情な女」

コツンと額を叩くと苦笑いして、可笑しなことを漏らす。

「素敵な女性になりたかったんです」
「はぁ?」
「……目標なんです」
「はぁ。お前の頭の中、どーなってるのかサッパリわかんね」
「私の頭の中?」
「どんだけ複雑な構造なの」
「あははっ、凄く単純ですよ。宮内部長のことでいっぱいです!」
「え」
「宮内部長っ!本当に、ありが……」
「美琴」
「……なんですか?」

俺でいっぱいな頭ってどーゆー意味?
思わせ振りの紛らわしい女に小難しく考えるのが面倒になってきて、思ったことをそのまま伝えることにした。
優しい部長はもう終わり。

「俺さ、パンが凄い好きなんだけど」
「はい」
「コンビニとかパン屋よりも、美琴の作るパンのほうが好きなんだよ」
「そんなっ、ありがとうございます」
「でも、そのパンよりも大好きなんだ」
「?」


「俺、お前が好き」


「…………へ?」

我ながら、三十にもなってなんて頭の悪い告白。
ポカンとする美琴を眺めていると、しばらくして頬を染めうるうると瞳を濡らし始めた。

「かっ、からかっているわけでは……」
「ない」
「ほんとに……?」
「うん」

そんな嬉しそうな顔をされたら、俺のこと好きでしょ?ってツッコミたくなるんだけど。
勝手に安心して自信のついた俺は、つい意地悪く笑ってしまう。

「お前は?」
「えっ!えっと……」

覗き込むとビクリとして染まる頬を隠しながら一歩下がる。
美琴には大きすぎるカーディガンの袖からは指先しか見えなくて、どうしようもなく可愛いかった。

「私っ、困ったら言えって言われたけど、言えなくて。ずっと困ってたんです」
「は?」

「宮内部長が大好きすぎて困ってます」

「……っ」

恥ずかしそうにはにかむ、弧を描いた唇に手を伸ばす。
抱き締めるのが先か、触れるのが先か、本当は抑えきれないのに。
辿々しい彼女を前に、できるだけ優しく微笑みながら一瞬悩んだ。

「あっ!白坂先輩っ」
「え!?」
「手伝わなきゃ!」
「……ん?」
「一人じゃ大変ですから!」
「……あー。そうだね、お前はそう言うと思った」
「ふふっ」
「行ってきな」
「はいっ!」

その一瞬がミスだったらしい。
彼女はきっと、続きがあることを知らない。
再び捕まえる前に、はじける笑顔でパタパタと駆け出し「手伝います!」と元気にオフィスへ飛び込んで行った。

「あんたバカじゃないの!?」
「でも、私も総務部ですから!」
「もうっ!悪かったわよ!」


そんな声が遠くから聞こえて、煙草をくわえながら外へ出る。
冷えた風から火を守り空気を吸い込むと、一気に現実へ引き戻されて。
田代美琴の脳内図面から精密機器の組立図面にシフトチェンジ。
打ち合わせの中身、半分忘れたかも……。

湿気っぽい夜空に、白い煙を吹きかけた。