もっと一緒にいたかったけれど。
隣同士腰かけたベッドから突然立ち上がった司さん。
出張で疲れていたのかな。
引き止めたい気持ちを堪えて、玄関まで送りまた明日を伝えた。
名残惜しくて下を向き瞬きをすると、優しい笑顔が私のすぐ目の前にあって。

朧気な月明かりの下。
静かな幸せを交わした。

「じゃ、おやすみ」

照れる私と笑う彼。
眼鏡が少し、邪魔だった。



複雑な日の翌朝は、寝坊してしまい慌てて支度。
浮腫んだ目は薄いメイクだけで誤魔化せているだろうか。
なぜかピョンと跳ねた前髪の一束は直らないし、コンタクトをする暇もないし、メランコリー。
目蓋が重くてどうせ眼鏡だったから、いいんだけど。

一日振りの彼へのパンがいくらか焦げてしまって、かなりヘコんでいるわけです。

満員電車で守るのは、焼きすぎた想い。
改札を出てからの小走りは、彼への距離を縮めるため。
一番にタイムカードを通し、ちょっとセンチメンタルな溜め息とともに右足をオフィスへ運んだ。


「おはよう。今日は眼鏡?初めて見たよ」

ドアを開けると待ち構えていたような声が太陽の光に混じり差し込んできて、ピタリと硬直する体。
可視光線に目が眩んで見えないけれど、近づくとわかる麗らかな笑顔の佐川専務。

静けさの中で一人、窓枠を背に寄りかかり何を見ていたのだろう。
変わらない景色、道行く人、青い空、それとも彼が見据える世界。
ドアノブを握ったまま動けなくなる私に向かい、片手を上げて手を振りながらデスクの間を抜け優雅に歩いてきた。
昨日のコトを悪びれる様子もないから、ムッとして顔を反らす。

「おはようございます……」

司さんの話を聞いた時は、やっぱり佐川専務も大変なんだなって感傷に浸った。
でもこの人は、大切なことを蔑ろにしている。

笑った口元を見て、無意識に警戒した。
来た道を戻ろうと身をひるがえすと、即座に掴まれる手首。

「美琴ちゃん、あれきり僕のこと見てくれないよね」
「え?」
「君と唯一視線が合ったのは、僕を叩いた時だけだ」
「……昨日のことは、叩いた仕返しですか?」
「違うよ。言ったでしょ、本気だって」
「信じられません。だってあんなこと……っ」
「あれ?昨日のキスだけじゃ足りなかった?」
「……酷いですっ、離してください!」

クスクスと肩を震わす佐川専務に、カッと頬が熱くなり声を荒げると、掴まれた手首に力がこもる。
まるで青白い閃光のような視線が私を捕えた。

「どうすれば僕を好きになる?」
「絶対になりませんっ!」

誰もいないオフィスと廊下の境で、響き渡る叫び声。

人の気持ちは、無理矢理奪うものじゃない。