週明けの月曜日、部員たちが授業を終えグラウンドに勢いよく入って行くと、
そこにはもう新監督の姿があってベンチにドカッと腰掛けていた。

ブチョウ先生が用意してくれているユニフォームがまだ間に合わないので今日は自前のジャージ姿だ。

「今日は昨日の復習だ。アップが終わったら守備位置につけ」

新監督はそういうと再びベンチに座った。

「昨日の復習?」

「もうやれるし」

「だよな」

選手たちは口々に小さく囁きながらランニングを始めた。そしてまだこの時までは余裕があったのだが。

アップが終わってキャッチボール、そして軽めのノックが終わってから新監督の声が
グラウンドに響き渡った。

「今日は百点が取れるまでやるぞ!」

そして新監督はまずランダウンプレーについて何をして百点かを説明した。

「ボールの野手間のやり取りは二回以内、若い塁にランナーを追い込んで行き、
ベース手前三メートルでタッチ、そしてうしろのランナーに進塁を許さないこと」

なめていた内野手たちは、もちろんレギュラー選手もだがみんな、ネをあげ始めた。
どの組も何回やってもそのお達しでは百点が取れないのだ。

例えば、ランナーにフェイントをかけられるとボールのやり取りは三回を越えてしまう、すると後ろのランナーに進塁を許す。

また若い塁に追い込んでもベースぎりぎりのタッチではダメ、つまり間一髪のアウトでは新監督は「ユルシテくれない」のだ。

タッチも追い込んで背中から、であって対面のタッチは不可。なぜなら「タッチの勢いで落球の可能性があること、さらに野手の位置取りが悪ければ進塁妨害を取られる恐れが生じる」と。

なので誰も百点が取れぬまま一時間が過ぎた。

その間、外野手は外野後方のゲージでマシン相手のバッティング練習をしていた。ちなみに拓海はというと今は、内野手組だ。

そして六時に近づきもう誰もがバテバテとなったころ、レギュラー組の一組がやっと百点を取った。

「よーし、ご苦労さん!」

ただ、結局その日は全野手が百点を取れずに練習終了となった。

「もうだめだ~」

「つかれた~」

「勘弁してくれ~」

ただ新監督はなぜかうれしそうに
「このままじゃずっとこの練習だぞ~」
と言って自分だけさっさと帰ってしまった。

そして事実、その週はずっと「この練習」
で終始してしまったのだった。

そんなこんなで新監督就任から一か月が過ぎようとしていた。その間、平日は基礎練習、
土日は紅白戦に終始した。なぜって「正式監督」じゃないので対外試合はできないのだ。

しかし新監督の選手の間での評価はうなぎのぼりであった。

「とにかく良く野球を知ってるよ」

「頭ごなしに無理強いしないしな」

「教え方がていねいだし」

「なにごとにも理論的だよ」

などなどスコブル評判は良かったのだ。

例えばバッティング練習では手投げトスのティーバッティングは中止になった。
理由は「打つほうは投げてくれた人間に当ててはいけないとバットを外側から回す。

これは打撃では御法度のドアスイングだ。さらにネットに必ず入れようとどうしても極端なダウンスイングになる。これもダメだ」なのでヤメル、と。

そして新監督はティーに乗せての練習に変えた。そして選手の中から疑問と驚きの声が出たのが「バットはやや下から」
という新監督の打撃理論だった。

なぜってほとんどの選手が「バットはウエカラ」と習ってきたからだ。しかしそこにもきちんとした理屈と理論があって選手たちは全員がそれを「理解」した。

また新監督はミーティングも重視した。筋トレ理論、インナーマッスルの重要性、戦術理論、メンタルの大切さ、エトセトラエトセトラ。

なのでなかにはこんなフキンシンナ選手まで出てきてしまう始末になってしまった。

「カントク、このままでイインじゃね?」                                         
              
                 ※                        


 十一月に入ると最初の週の土日に学園の文化祭がある。まあ、生徒たちにとっては
年にいちどのお祭りだし、けっこう先生たちも楽しんでる風はある。

英誠学園の文化祭はこの辺りではかなり有名で、なぜなら地域では他にないくらいの大規模校だったし、そのため模擬店や発表する文化部系の数も他校とは比べ物にならないほど多かったのだ。

だから文科系の部活動に所属する生徒はもちろん、運動系もキタク系もそれぞれがそれぞれに楽しみにしている学校行事だった。

それに数年に一度のペースでアイドルや有名アーチストなどがやってくることもあったため、来場者の数はたぶん県内でもトップと言われるくらいに多かったのだ。

そしてこの二日間は野球部も他の運動部も原則として活動は禁止されていたので、
そんなことで野球部の面々もそれぞれに学園生活を謳歌しようなどと考えていたわけだ。

そんななか拓海たちF組は「オサダマリのお化け屋敷」をやることになっていて野球部の
四人も文化的活動にイソシンデいた。

そもそも「お化け屋敷」はお好み焼き屋さんやクレープ屋さんなどと並んで「人気模擬店」の一番手のようなものなので他の学年、他のクラスも希望を出していたにもかかわらず、
なぜだか結局クジ引きで二年F組に決まってしまったのだった。

そんな中でクラスのおもにキタク系の活動的な生徒たちが取り仕切って進んでいたのだけれど担任の先生の「基本全員参加」という方針によって運動部員たちも何らかのことをやらなければならなくなってしまったのだ。

なので野球部員だけが逃げおおせるはずもなく、結局のところ地元商店街から借りる飾りつけのための品々の搬入と返却、というパワー系の役目が当たり前のようにまわってきたのだ。

拓海たち四人は金曜日の夜のうちに借りるものは運んでしまってあったので土曜日は特になにもすることがなく、みんな校内をなんの当てもないままただただブラブラとするしかやることがなくなってしまった。

拓海は午前中、仲の良い軽音楽部員が出演するロックの演奏に誘われていたので、
それを聞くために体育館を訪れて、午後はあきなが入部した華道部の展示を
見に行くことにした。

そうそう、あきなは拓海の野球部入部とともに自分も帰宅部をめでたくタイブして、お母さんがその昔の若かりし頃にやっていたという「オハナヲイケる」あのお嬢様たちが入る華道部に入ったのだった。

ダッテ、毎日ひとりでマッスグ家に帰えったってツ・マ・ラ・ナ・イでしょ?
というのがあきなの言い分だったのだ。

そんなことであきなの活けた作品を華道部が借りている教室まで見に行った拓海はあきなに感想を訊かれて思わずクビヲカシゲテしまい、その日はとうとう夕方まで口をきいてもらえなくなってしまった。

なぜってそれには言いぶんがあって、拓海は「生け花はわからない」という意味の「カシゲタクビ」であって、それをあきなには「ナンだコレ?」と受け取ってしまったようなのだ。

まあよくある、ハヤガテン、というやつ。これはお互い、次の日にハンメイしたことなのだが。

まあ、そんなこんなで土曜日が終わって日曜日となり、今日は文化祭そのものが終わったあとこそ、拓海たちは忙しくなるのだ。

拓海と健大はそれまで何もやることがなくせめて体力だけは温存しておこうと、野球部グラウンドの外野後方の立ち入り禁止になってる芝生の上で、ゴミ箱に捨ててあった古新聞を枕に寝ころがっている。

「なつかしいよな」

「エッ?」

「オマエのヒノタマヘンキュウ」

「ワスレタシ・・・・」

拓海は健大の問いかけに薄笑いでそう返した。

そう、ここは九月の野球部の練習試合の時に健大がレフト後方にホームランを放ち、
そしてそのホームランボールを拾った拓海が甲子園常連校の作川学院の面々の前で、
バックネットをもろに直撃する「大遠投」を見せたあの場所だった。

あの時はまだまだ夏の名残があって十分に暑かったのだけれど、今はもうすっかりと秋になってしまった。

拓海も健大もこの時期の時の移ろいに早さになんだか置いてきぼりを食らったような気がしていた。

「ハヤイよな~」

健大は頭に敷いていた古新聞を両手で丸めるとやわら上半身を起こして、ホームベース方向を見つめた。健大の白いワイシャツの背中には芝がいっぱい、付いていた。

「マジかよ?」

「なにが?」

「あそこまで行くのかよ?ボールが???」

健大が信じられないというようにあらためてダイヤモンドのホームベース付近を見る。

すると三塁ベースさえもかなり遠く見えて、ましてやホームベースとなればそれはもう気の遠くなるような「ハルカカナタ」だった。

「オレなら二回投げないととどかないよ」

健大はそう言ってあきれたようにまた寝ころがった。
午後の陽射は冬に近づこうというこの時期にしてはやけにあたたかく、言いようのない
心地よさを湛えている。

ふたりはしばらく何もしゃべらずに目を閉じていた。