「望さん、お父さん達に挨拶しなくていいの!?」
こんな尻切れトンボみたいな形で、次に来た時が思い遣られる。
「いいんだ。言ったろ?俺は居てもいなくてもいい存在なんだって」
「でも!これじゃお母さんがあんまり可哀想…」
これが自分の親なら堪らない気持ちになる。そう思って反論したのに……
「お袋なら慣れてる。昔から俺達の言い争いを見てきたから」
ほら乗れ…と車のドアを開けられた。
睨み付ける私を見向きもせず、自分は運転席へと移動していく。
「望さん……」
どうしてこんなにも意地を張るんだ。
お婆ちゃんにはあんな優しいところを見せていたのに。
振り向いて店の方を眺めた。
出入り口の側に佇む人の目が、悲しそうに見える。
こんなの間違っている。
こんな感じで式を挙げていい訳がない。
「望さんとは一緒に帰らない!」
助手席のドアを閉めた。
「何だと!?」
高島の目が引きつる。
「だって、お母さんが寂しそうだもん!自分の親を大切にしてくれない人と結婚なんてしないし、式も挙げたくない!」
自分にはもう親がいない。
孝行したくてもする相手がいない。
それがどんなに切なくて寂しいことか、この男には分からせる必要がある。
「きちんとお母さんには挨拶していって!お父さんとどんなに張り合ってもいいからお母さんには優しくしてっ!」
訴えながら涙が出てきた。
何も言わずにあの世へと逝ってしまった母のことを思い出すと我慢できない気持ちになった。
ボロボロと溢れてくる涙を拭わずに睨んだ。
高島は私の顔を無言で見つめ返し、やがて一言だけ囁いた。
「……分かった。ちゃんと声をかけてくればいいんだな」
「待ってろ」と呟やき店の方へと戻る。
カウベルを鳴らして店内に入り、二言三言お母さんと話をして出てきた。
「挨拶はしてきたぞ」
戻って来るとぶすっとしたまま声をかける。
「お母さんは何て?」
つい確かめてしまう。
「『仲良くやりなさいって言われた。泣かせたらダメ』…と」
「本当にそうよ」
グシっと鼻をぐずらせた。
「……ごめん。悪かった」
「分かってくれればいいの。お父さんもお母さんも大事にしてあげて欲しい。たった1人しかいない大切な親なんだから」
鎖骨の上に額を乗せて泣いた。
温かい掌が私の背中を撫で摩る。
「もう泣くな」
「泣くわよ。望さんが親不孝ばかりするから」
「式を挙げるのは親不孝か?」
「いきなり決めるから驚いただけ。本当は嬉しい」
「カツラ……」
甘い響きで名前を呼ばれて胸がきゅん…となる。
切なくなる涙も悔し涙も、これからは全てこの胸の中で流そう。
家族という枠組みの中で、私はもう一度生きれるのだから。
帰りの車の中で高島はお父さんとの確執について語った。
「あいつはいつも俺を兄貴や弟と比べるんだ。出来のいい兄弟の中で、俺は一番の不出来だから」
「つまり望さんの意地の問題なのね」
「意地じゃねぇプライドの問題だ!」
「プライドと言うと綺麗だけど、要は頑固過ぎるだけじゃない」
「頑固とか言うな。俺が意固地みたいだろう」
「十分意固地な性格よ。お父さんも望さんも」
「可愛くねぇ女だな」
「ええそう、アラフォーですから」
笑いながら家に向かった。
帰り着いたら一番先に両親に報告しようと思う。
高島の家族に会えたこと。
少しだけ悲しい思いや悔しい思いもしたけれど、素敵な思い出が作れたこと。
来月には簡素だけど式を挙げることになったから、きっと自分は幸せになれるだろうと思う……と。
(だから、どうか安心して下さい……)
ゆっくりと手を合わせて拝んだ。
高島と一緒に生きれるようになった今が、何より一番幸せで有難い。
(今後もどうか、見守っててね……)
顔を上げると、両親の写真は笑っていた。
同じように笑みを浮かべ、私はこれからも高島との絆を結ぶ。
大切な人達の輪の中に溶け込んで、ずっと愛を重ねていくのだーーー。
週の明けた月曜日、音無さんは私の話を聞きたがった。
「相手のご両親に会ったんでしょう?どうだった?」
期待に満ちた目を向けられる。
「どうもこうも最悪だった。お父さんと彼が言い争いになって」
辛うじてお母さんにだけは挨拶させて帰った。
でも、お父さんとは今もギクシャクしている。
「親子とは言っても、どうにも上手くいかない相手っているからね」
思い当たるフシがあるらしい。
音無さんの言葉を聞いて、「そうなの?」と疑問をぶつけた。
「性格似てると相手の考えてることが読めて嫌になることない?私は母とそんな感じだから、お互いあまり話しかけたりしないの」
「へ、へぇー意外…」
今まで聞いたことがない話だった。
そう言えば、音無さんはいつも私と母の会話を聞いて「楽しそうでいいな」と笑っていたっけ。
「それで?式のことはどうなったの?」
初めての時と同じように聞き返された。
「成り行き上、来月にはしようかってことになったけど……」
喪中の身だから披露宴とかは行えない。
身内だけを呼んで、こじんまりしようと考えた。
「私を呼んでよ」
「音無さんは親戚じゃない」
「それでも呼んで欲しい!仙道さんの花嫁姿が見たい!」
「あ、それなんだけどね…」
白無垢とか紋付袴はナシにしようと決めた。
取り敢えず「人前で入籍をするだけならいい」と、住職からも言われた。
「ええ〜っ、花嫁衣装はナシ〜!?」
「それでも良ければ呼びますけど」
「うーーん…それでもいいから呼んで欲しい。保証人の1人に加わりたい」
「物好きね、音無さん」
「私は実際のイケメンを見たいだけよ」
写真の高島だけでは物足らないらしい。
それではどうぞよろしく…とお願いして、ゲストの1人として招くことになった。
「望さんの方は誰が式に来る予定なの?」
夕食を食べながら聞いてみた。
「両親と婆ちゃんと兄弟家族くらいだろう」
「私、お兄さんや弟さんには初めて会うんだけど…」
「ああ、心配するな。俺も10年かそこら会ってねぇ」
「そりゃそうでしょうね。実家にも10年ぶりに戻った人だもんね」
もしかして、兄弟とも仲が悪いのではないか…と聞いた。
けれど、高島はこう答えた。
「安心しろ。親父からは煽られたりするけど、別に兄弟の仲は悪くねぇよ」
「そう…じゃあ、安心ね」
ギスギスした空気の中で入籍するのだけは気が引ける。
ホッと気持ちを落ち着かせて自分の親戚について語った。
「私は今度の法要の日に聞いてみようと思うけど…」
式よりも先に母の百か日法要がある。
父方と母方の親戚はその時に数人来る予定だ。
「間違いなく出席してくれるのは母の妹にあたる伯母さんと父のお兄さん夫婦ね。どっちも大丈夫だと思うけど、後の親戚は微妙かな」
「カツラには婆ちゃんも爺ちゃんもいないのか?」
「いるけど付き合いが全然なくて。うちの両親自体が親戚とは疎遠で、皆バラバラの生活をしていたから」
考えてみたら寂しい限りの付き合いだ。
父も母も同性の兄弟が1人だけ…という点が、災いしているせいなのかもしれない。
「父にはお兄さん以外の男兄弟はいないし、母も女は妹1人だけ。だから何処となく似た者夫婦だったのかもね」
物心ついた頃には父は他界しておらず、私は母と2人だけの生活を強いられていた。
祖母や他の兄弟達を頼ることもなく、母は私を1人で育て亡くなっていった。
「母の妹にあたる伯母さんは陽気な人でね、うちに来るといつも必ず何泊か泊まっていくの。4月の忌明け法要の時も1週間前から泊まりに来て、だから今回もそろそろお出ましになるんじゃないかな…と、思ってはいるんだけど……」
母に似て朗らかな性格の伯母は幼い頃から私の心の拠り所だった。
介護施設で働く母の、唯一の協力者だったと言っても過言ではない。
「親父さんのお兄さん夫婦とはそこまでの付き合いはねぇのか?」
ビールの缶を空にしながら聞かれた。
「うん。叔父さん夫婦も良くはしてくれたけど、母はやっぱり伯母さんの方が気易かったみたいで」
「ふぅん。いろいろと複雑な家系なんだな」
血縁者というのは名ばかりだな…と思いながら大人になった。
母のお葬式の日に集まった人達は、私が籍を入れるくらいではわざわざ足を運んできたりはしないだろうと思う。
「同僚の音無さんも出席してくれると言うし、私の方は精々4人がいいところね」
高島の親子関係を責める以前の問題がうちの両親にはある。
お陰さまで私は1人になってもこの家に住んでいられる。
「たかが入籍式をするってだけだ。大勢来られても困るから丁度いい」
「気楽な式にしよう」と笑った。
私が肩身の狭い思いをしないで済むよう、そう言ってくれるのだろうと思う。
「望さんがお父さんと喧嘩しなければ助かるわ。昨日みたいに険悪なムードにだけはならないでね」
意地の張り合いを続けるのもお互いの性格が似ているせい。
それが親子なら余計でも気を使う。
「分かってる。大人らしい対応をすればいいんだろう」
「うん、よろしくお願いします」
テーブルに額をぶつけそうなくらい深く頭を下げた。
食事をしながら高島は「任せておけ」と、心強い発言をした。
それからの数日間は何の音沙汰もなく過ぎ、木曜日の夜、心待ちにしていた人からの電話があった。
「藤ちゃん、元気!?」
大きな声が電話口から響き、私は思わず受話器を耳から遠ざけた。
「うん、私の方は変わらずです。伯母さんは?体調はいいですか?」
天然パーマのヘアスタイルを思い浮かべながら問ってみた。
「元気元気!健康そのもの!」
明るい口調で伯母は返事をくれた。
「明日からそっちに泊まりに行こうと思ってるから準備して待っといて!」
やはりそう来たか…と狙っていた通りの言葉が聞かれる。
いきなり訪ねて来られては困ると思い、高島のことを話しておくつもりだったけれど。
「あっ、ちょっとお客さんだわ。じゃあ、また明日!」
言ったと同時に電話が切れた。
ツーツー…と虚しく響く通信音に暫し呆然と佇む。
「相変わらず気忙しい伯母さん」
受話器を置きながら呟くと、高島が「何だ?」と聞き返す。
「何でもない。…あっ、伯母さんやっぱり明日から泊まりに来るって」
「そぉか、じゃあ暫く一緒に寝るのはナシだな」
残念…と肩を落とす。
日曜日に家に帰ってきて以来、私達はお互いの部屋を交互に行き来しながら夜を共にしていた。
「どのくらいの期間、泊まるつもりでいるんだ?」
「さぁ?それを聞く前に電話が切れちゃった」
大体いつもと同じなら1週間程度かな…と教える。
「じゃあ今夜は1週間分楽しんで…」
「とか、できる訳ないでしょ!」
明日は現国も古文も授業がある。
帰国子女達に理解できるように授業を展開していくのは実に厄介なのよ…と訴えた。
「カツラは真面目すぎる」
「真面目だけが取り柄だと言ったでしょう」
何処までも変わらない関係。
私達は大人になったのか、それとも子供のままなのかも謎だ。
夕食後の食器洗いを頼んで仕事を始めた。
机の上には先日撮られたばかりのツーショット写真が飾られてある。
3人の幹事達が気を利かして、私の元へ送り届けてくれたのだ。
添えられていた手紙の送り主は立石君だった。
彼はその手紙の中で、あの子についても触れていた。
『葛西に会って先生のことを話しておきました。すごく安心したようで、何度も嬉しそうに笑って泣いて……「これでやっと長い呪縛から解き放たれる」と、意味不明な言葉を吐いていました……』
『長い呪縛』という文字が目を引きつけて離さなかった。
私と同じように、彼もきっと心を痛め続けてきたに違いない。
災いというものは何処で降りかかるものか知れない。
でも、どんな災いにも必ず解ける魔法があったらいいな…と、その手紙を読み返しながら願った。
その日の夜は久しぶりに1人で眠った。
高島の体温を感じない独り寝は、何となく冷たくて寂しい思いのするものだった。
父を失ってからずっと、母はこんな夜をたった1人で過ごしてきたのだろうか。
そう考えると、今の自分も我慢しなくてはいけないと思う。
大人になるというのは、時に切なくなることを言うのかもしれない。
その倍の速度で、嬉しさも膨らんでいるのだと気づかない夜のことだったーーー。